心機一転

新・私の独り言


鹿の調査も終了・無事帰還

【1月25日】

1月21日、ボロ切れのように身も心も疲れ果て、ようやく宇和島に帰還した。

思えば、昨年11月25日からまったく未知の体験をしてきた。全てが新鮮であった。最高齢の私には体力的な試練が押しかかってきた。これには如何ともし難い現実であった。「ぜいぜいはーはー」、息を切らして先頭を行く師匠のK氏に二番手として続くのだが、上りつめると、いつも最後尾になっていた。


(雪さえなければ楽な場所である。こんな楽な場所は少ない。)

自宅出勤から、だんだん距離が伸び、月曜日に家を出ると金曜日まで帰ることの出来ない生活も、ついに西条市の「石鎚ふれあいの里」で四泊五日の連泊が最後となった。

ネットで調べるとずいぶん山の中で非常に不安を感じたが、行ってみれば取り越し苦労であった。

ある程度文化的な暮らしから次第に逆転して来たのが、今治市の鈍川温泉の某旅館であった。それまでにもビジネスホテルでの連泊はあったが、どこもエアコンは完備していた。
この旅館で実に非日常的な体験をすることになった。
まず、夕飯。雪の高縄山から下り、冷え切った身体を湯質の良い温泉にひたって、六時からの夕飯を待ちかまえていた。

私たちの部屋は二階である。夕飯の案内を受けた私は当然、暖房のある一階の食堂で食べるものだと思っていた。ところが二階の離れのような部屋に呼ばれた。旅館の裏が斜面になっており、二階の離れと思っていた部屋は、よく見るとそこでは一階になっていた。
しかも驚いた事に、部屋には大きな囲炉裏があり、もうもうと煙が立ちこめている。そのために四角い部屋の二面の窓が全て解放されており、私の座った席は背中からと左側から冷気が流れこんでいた。


(戦利品・右の丸いものは野ウサギの糞)


(鹿の糞各種、年齢、季節、食物で異なるらしい)

翌日からは夕飯を食べる時も、仕事で出かける服装で臨んだが、とにかく最悪であった。夕飯の前に旅館の親父が作った手打ちそばを食わされた。夕飯の前にである。翌日は手打ちうどんだった。(これは不味かった。親父自ら失敗作だと認めた)。三日目には中華そばがでるかと思ったが、記憶にも残らない何かの鍋だった。

夕飯のメインになるまでに腹を満たしておこうと言う考えなのだろう。修学旅行か体験学習なら、まあ一度くらいはこういう経験も面白いだろうが、少なくともゲストは私たちであり、親父はホストなのである。三日間の夕飯ではいつも親父の自慢話に付き合わされる状態であった。本末転倒という言葉の良い見本であった。

さらに悲劇は続いた。泊まっている部屋のエアコンの調子がおかしいのである。エアコンの吹き出し口からは、かすかに暖かい風が出てくるが、部屋を暖めるところまではいかず、私はセーターを着て寝るしかなかった。
その夜は最低の気温であったらしい。前日は薄かった、玄関前にある鉢の氷が手では割れないほど厚く張っていた。

三日目の晩、寝ながら布団の中でふと考えた。もしかしてエアコンのフィルターを一度も洗ったことが無いのではないか、と。
がばっと起きて、フィルターを出してみると、真っ黒に目詰まりをしていた。
わざわざ人様のエアコンを掃除するだけの余裕はない。その夜はフィルターを外して寝た。吹き出す音も力強かったものの、それほど部屋は暖まらなかった。

寒冷地獄はさらに続いた。

いよいよ最終の週となる1月17日から20日までの四泊五日、その名前から想像しただけで寒くなる、西条市の「石鎚ふれあいの里」のキャビンを借り切っての時を過ごすことになった。

二台のファンヒーターと電気ごたつのおかげで、居間はなんとか暖をとる事が出来たが、二段ベットが並んである寝室のドアを開けると冷風が流れ込んでくる。ここでも薄手のセーターを着て寝る事になった。今回はあらかじめ予測していたので、家から持参した、貼らないホッカイロが役に立った。

もともと寒がりの私なので、冬の寒さには滅法弱い。ユニクロのヒートテックの下着と普通の下着を二枚重ね着していた。が、山の中を歩くと汗をかいてしまう。汗が引くと身体を冷やす。仕事中はズボン下をはかず、宿に帰って履くことにした。

早めに仕事が終わったある日、ナマ海苔を買いに西条の市内に出た。最初の日の夕食に、ポン酢で味付けされたナマ海苔が出された。初めは海苔だと判らなかった。逆に山のものでキクラゲかなと思った。一口食べると懐かしい海の香りが口いっぱいに広がった。ちょうど生牡蠣の味のようであった。これは高級なものに違いないと思いこんでいたが、気になったので、後日職員の方に尋ねて見ると、この季節では結構一般的に西条では食べられて居るらしい。


(多いときはこんな状態で見ることができる・朝倉にて)

変わった土地で、その土地でしか食べられないものがあると、つい食べたくなってしまう。古くはドイツ、ビュルツブルグ(だったと思うが)で食べたハンバーグ(中はナマに近い)、ソウルで食べた鶏の中にいろいろ詰め合わせたサムゲタンは実に美味しかった。韓国通の松元さんでも敬遠した牛の血の煮こごりも平気だった。モロッコでは山羊の乳で作ったヨーグルトも食べたがこれは二度と口にしようとは思わない長野県では沢ガニの飴のように煮たものを食べたこともあった。まあ、そういう方針なので、西条で一般に食べられているナマ海苔を土産に買って帰ることにした。

石鎚ふれあいの里のわたなべさんや山本さんにあちこち問い合わせをしていただいて、ヴォーグと言う店を教えて貰った。
教え方が上手で、一度も間違うことなくヴォーグに付いた。合計で千円くらいということで、だいたい250円のパックを四個袋に入れて貰った。思ったより安かった。西条市のガイドブックでは1月〜2月にかけてとれるとのこと。

店から宿舎に帰るときに、市内で少し道に迷ったがなんとか帰ることができた。帰る途中には雲から顔を出した、霊峰石鎚を見ることも出来た。

前日、朝倉で仕事をしたときには、白く雪を被った瓶が森、笹ヶ峰は見ることが出来たが、石鎚は雲に隠れて見ることが出来なかった。山本さんに撮影スポットを教えてもらい、朝倉まで行ったが残念ながら、冬にしては水蒸気があったのか霞んでいた。

宇和島で見る鬼ヶ城とは格段の違いがある、石鎚連山の景色は素晴らしいものがあった。


(加茂川沿いから見る石鎚山)

仕事をしていた当時は早くお役ご免になりたいと思っていたのだが、こうして貴重な体験をすることが出来、それが過ぎ去ってしまうと、懐かしく思うのはエゴなのであろうか。

私をサポートしてくれた品々


初めはトレッキングシューズを使っていたが、脱いだり履いたりするにはゴム長のほうが便利だった。
だが、山には不向きであることは断るまでもない。
靴の中で足が滑るし、感覚が鈍くて歩きにくい。何度転んだ事やら。


師匠のK氏曰く「穴の空いたゴム長ほど無意味なものはない」


歴戦の跡が偲ばれる


何百という鹿の糞をつまんだ手袋は破けることもなかった。

話が飛ぶが、先日読んだ文春文庫の「田宮模型の仕事」は

大変面白かった。私の子供時代と重なって読む事が出来た。


【1月15日】

「サバ寿司」の美味しい店発見!

昨年の暮れに友人からサバ寿司の美味しい店を教えてもらった。

土曜日にはそこに「サバ寿司」を買いに行った。

国道320号線を日吉方面に走って、宇和島から車でおよそ40分。旧広見町から旧日吉村に入る手前の左側にある「葛川(くずかわ)」という田舎スーパーで、その美味しいサバ寿司を売っている。一パック450円。とろけるようなサバにご飯の味が美味しい。今までこれほど美味しいサバ寿司を食べた事はなかった。だいたい酢がききすぎて、身が締まり過ぎたり酢がきつかったり。ご飯も固いものばかりだった。
ガソリン代と時間をかけても買いに行くだけの価値があると私は思う。特に今は月曜日に宇和島を出て、金曜日に帰るという出稼ぎ生活である。ちょっとばかりの贅沢をしても良いのではないかな?
ただ、何時も在庫があるとは限らない。先週行った時は売り切れていた。宇和島から来たと言うと、作るから待って居てくれと言われた。その日は午前11時頃だった。店の中には石原裕次郎の「明日は明日の風が吹く」が流れていた。サバ寿司が出来るまでのおよそ30分、待っている間に流れてきた歌は、嬉しいことに全部私の知っている歌謡曲であった。断っておく。演歌ではない、「歌謡曲」である。
この時はアジフライも買った。一枚70円である。冷凍のアジを揚げたものではない、新鮮な魚を使用している(みたいだ)。
聞いた話では、ここのご主人は以前宇和島の魚市場に関係していたらしい。それで現在でもこの山の中から直接宇和島築地の魚市場に仕入れに出かけているらしい。
先週の轍を踏んではいけないので、出かける前に電話で問い合わせた。出来ていないという事だったが、宇和島からだと告げると、そのまま来て貰ったら出来ています、ということだった。
店に行くと10パック以上並んでいた。2パックとフライを買って、日吉の夢産地にクッキーを買いに行った。行く途中、そのサバ寿司の存在を教えてくれた友人に、お土産として1パック買い求めようと思い、帰る途中に寄ってみると全部売り切れてしまっていた。
僅か10分そこそこの時間である。

この近くを通ったら、サバ寿司の好きな人は是非一度ご賞味あれ。軽やかなトロリ感は絶妙な味である。

【1月3日】

えーびーしー死亡する

数日前から水槽の側面の砂利の中に姿を見せていたザリガニのえーびーしーが少しも動かない。そこに至るまでは自分で行ったとしか思えないので、砂に埋まったとは思えない。

気になるので、細い針金で触ってみたがビクともしない。水槽で初の犠牲が出た。えーびーしーの残骸を取り除く作業を兼ねて、水槽のリニューアルをした。邪魔になっていた大きな岩を取り除くと、水面が数センチ下がった。ザリガニも姿を良く見せるようになったが、今の段階で三匹が一斉に姿を現しては欲しくない。

住処に「ゼナ」か「ユンケル」の空き瓶が適当ではないかと思うが、こんな時に限って求めるものが出てこない。結局「ウコンの力」の空き缶を入れたが、アルミの臭いでも気になるのか中に居る気配はない。

たまたま使わなくなった古いビニールのホースがあったのでそれを適当に切って入れたら、時々中に入っている。しかしこやつらは少しもじっとしていない。そこに居ると思っていて、目を離したすきに、まるで忍者のようにどこかに消えている。


コナンの彼女

護国神社の側に住み着いているメスの野良犬が、足繁くコナンの所に通い始めたのはまだ暑い夏の頃だったと思う。
深夜12時頃、表の様子がおかしいので出てみると、あちゃー!
塀の下をくぐって入ってきたどこかの犬が、コナンと交尾していた。これには参った。犬の妊娠期間がどのくらいか判らないが、ある日ぞろぞろと子供を連れて
「これコナンの子供です」
ってやってこないとも限らない。

そうしているうちにそれが現実のものとなってしまったようだ。
時々コナンの元に深夜逢い引きにくるらしい。通い妻なんてうらやましいなんて思っていたら、ついに子供を連れているのを見かけたという近所の人もいた。おっぱいも大きく授乳期にあるのかも知れない。そこで少しでも栄養を付けさそうと、ドッグフードを、その犬用に敷地内の道路に近い場所に置いた。
その犬は人間からひどい仕打ちを受けたのか、警戒心が強く、決してある距離からは近寄らない。何時もビクビクしている。昼間も姿を何度か見たが、見ていて本当に哀れさを思わせる犬であった。

当然、この哀れさなどと言う感傷的なものは、私が勝手に想像するだけであるが、今日はさらにそれに追い打ちをかけるような光景に出会った。

私は昼食を済ませると、少し古くなったパンをコナンの芸の餌にしようと持って表に出た。ちょうどその時、その犬が家の側に来ていた。私はコナンに与えるはずだったパンをちぎってはその犬に与えた。極めて優しさを込めて、驚かさないように。
犬は私の投げたパンを美味しそうに食べた。パンでは犬の栄養にはならないだろうと思い、家に戻って今度は犬用のビスケットを投げた。ところが彼女は鼻をつけてにおいをかいだが、まったく食べようとはしない。
そこで、今度は買ったばかりの「ブタミミ」を投げた。そうするとその臭いに喜んだ犬は、ちぎれるばかりに尾を振って、まるでネコがマタタビに酔うように、ブタミミにすり寄って、身体をこすりつけるどころか、仰向けになってじゃれ始めた。
もしかすると、その犬が生まれた初めて口にする美食なのではないかと思った。そう思うと無性にその犬が哀れに思えて、胸が熱くなり思わず涙がこぼれそうになってしまった。

周囲から祝福され、歓迎されて生まれる恵まれた犬もいれば、疎まれ、棄てられる犬もいる。この犬にしてもどこかの人間が関与しているはずなのだ。仮にこの犬の親が、野良犬同士だとしてもそれよりずっと以前にさかのぼれば、飼い主がいた犬のはずに違いない。

ひとしきり、ブタミミと戯れたあと、その犬はブタミミを咥えていそいそと去って行った。
栄養満点だと思われるブタミミが、その犬の子供たちに最高のごちそうとなったことだろう。

犬に限った話ではない、同じ命を有しながら、何の問題もなく生きていくことが出来る環境と、生まれた時から、極めて困難な境遇の人間の子供もいる。怒りを覚える悲しい現実なのである。

【平成23年1月1日】

雪の滑床に行った

友人のジムニーで滑床に行った。さすがジムニーは悪路には強い。
しかも友人は雪道には慣れている。

滑床は20センチほどの雪であった。(万年荘前にて)


こんなテンポな事が出来るのもジムニーならでは、である。


万年橋竣工記念碑


帰り道は目黒に出ないで、若山林道を回った。
道には車の通った跡はない。


雪の重さで倒木がいくつもあった。
友人の持参したノコで倒木を取り除いたのだが。


写真の右にある木をかわそうとして左側を脱輪してしまった。

四駆とタイヤを過信してはいけない、という教訓。


我が家の新メンバー

昨年12月にザリガニのえびぞー(海老蔵ではない)がやってきた。

やって来たと言っても、ま、たまたま三間の道の駅で小さなパックに入れられて売っていたものを衝動買いしただけであるが。

一匹では可哀相に思って、二匹購入した。ニホンザリガニかと思っていたが、あとでよく見るとホワイトザリガニあと書かれていた。

なぜ衝動買いをしたのかと言えば、友人のコーチャン宅で水槽に入ったヌマエビの集団を見たことから始まる。熱帯魚などを水槽で飼っている光景は見慣れていたが、地味なヌマエビを飼育しているのを見たのは初めてであった。
普段はじーっと水面に浮かんでいる。それを見たときには、完全に死んでいるものだと思っていた。

「コーチャン、これ死んどるぜ」
「寝とるだけよ。水槽たたいたら起きるけん」

その言葉通り、水槽をたたくと動き始めた。

何よりも面白いのは、餌を与えると、ざわざわと底のほうから浮き上がり、餌を抱えて食べはじめる。

その水槽には他にもハヤやドジョウなど昔田舎の田んぼの何処でも見ることができた「コーチャン・ワールド」が展開されていた。

春になって暖かくなったら、私も教わったところでドジョウを捕りにいこうと計画していた。その矢先、三間の道の駅で偶然見かけたザリガニはヌマエビにそっくりであった。もしそれがアメリカザリガニであったのなら、私は衝動買いなどはしなかったであろう。

帰りにダイキで以前から買おうと思っていた浄化装置付きの小型の水槽も買った。薬師谷まで行き、砂利と石を少々取ってきた。苔のついた石も拾ってきた。水は大きなバケツに雨水がたまっているのを利用した。

ネットでホワイト・ザリガニの習性を調べたり、パックの水温と水槽の水温をあわせて、準備は整った。後から思うと、もう少しレイアウトを工夫すべきであった。

パックから水槽に移したザリガニは、瞬く間にその姿を視界から消し去った。小石を積んだ隙間に姿を隠してしまった。

夕方私は、また三間の道の駅まで車を走らせ、ザリガニを二匹さらに買っていた。

やはりペットの一つとして飼育しているのであれば、24時間は無理としても、少しは姿を見せて欲しい。
家内はザリガニは二匹だと思いこんでいる。私は家内の目を盗んでこっそりと追加した二匹を水槽に移した。

ザリガニには「えびいち」「えびに」「えびぞう」「えーびーしー」と名をつけた。だがどれがそうなのかは私には判らない。ただ、背中が少し黒いのと、透明なものといる姿の区別は付き、行動も積極的に水槽内を歩き回るものと、物陰でじっと隠れているものと二通りあることが判った。

家内には「海老蔵1」「海老蔵2」と伝えている。いずれそのうち四匹が揃って姿を現したとき、それを見た家内がどれだけ驚くのか楽しみである。

小学一年の孫がやってきて水槽を見るなり
「ぼくなら、こんなつまらんもんはせんぜ」と言い放った。
水槽がつまらないのではなく、レイアウトが下手らしい。
そんな事は言われなくても判っている。

ザリガニ以外の我が家のメンバー

私は動物は嫌いではない。小さい頃から迷い犬や猫を飼ったりウサギや十姉妹、セキセイインコなどを飼育してきた事がある。しかしウサギ、十姉妹をのぞいてそのどれもが飼育の途中で死んでしまったり家出をしたりしていた。特に今でも印象に残っているのは迷い犬が成犬になる前にジステンバーで死んでしまった事である。
小さな箱のなかで息絶え絶えになり、ボロクズのように死んでいった茶色い子犬の事を想い出すと胸が痛む。

当時は子犬が成犬になる前に病死することはざらであったような気がする。そう言う意味ではジステンバーを克服する医療技術が確立したことは嬉しい限りである。

ウサギはメスの子ウサギを知り合いから貰って、大きくさせ、交配させて9匹の子供まで産ませた。小屋も金網を買ってきたり(今思うと小学生の分際でよく出来たと驚く)畳屋で小屋に敷くワラを貰ってきたり、城山に餌にするヤマニンジンをとりに行ったりしたものだ。

息子たちが小学生になった頃から、猫や犬を再び飼い始めた。
最初はオスの黒い子猫で「ミルミル」と名付けた。これは大きくなって近所を徘徊するようになった。それ以降我が家の近所に黒い猫が増えたようだが、おそらく気のせいだろう。ミルミルは喧嘩で大怪我をし、ある朝、私の枕元で冷たくなっていた。

その次に飼育したのは「タロ」という雑種のオス犬であった。
(うちには血統書付きなどというたいそうなものはいない)

タロは今年37歳になる上の息子が小学四年生の頃、商店街のペットショップの店先の段ボール箱の中にいたものを無料で貰ってきた。私の分別がつくようになってから初めて飼育する犬であった。
タロのあと、ジュニア、コナンと雑種三代を飼ってきたが、一番賢い犬だったような気がする。家から徒歩で薬師谷、地四国山、梅が成、スーパー林道などに連れていった事がある。息子の成長とともに育って来た犬なので、一番思い出が多い。

タロは14年ばかり生き、二月のある寒い夜、天寿を全うした。
その日の夕方私が帰宅したときには小屋からでて弱々しく尻尾を振りながら何時ものように迎えてくれた。その晩近郊に住む叔父の様態が悪くなったと聞き、車で30分離れた叔父の家に、家族を連れて行った。底冷えのする夜だった。帰るとタロは生きているかのような姿で小屋の中から外を見るように、うずくまって死んでいた。

タロの死ぬしばらく前に、私は悲しい現実を知った。それまで、活発で元気な犬も老化をするという事が、私の意識からは欠落していた。
その頃犬を散歩に連れていくこともなくなっていた私は、ある日の夕方気まぐれにタロを散歩に連れて行った。
私の頭の中には何時もの定期コースを回ろうという考えがあった。国道を渡る歩道橋にさしかかるとタロは一瞬立ち止まって、私の顔を見上げた。今にして思えばその表情には階段歩くことさえ出来なくなった老犬の悲しい思いが秘められていたのだろう。
促す私に、階段を上って行くタロの姿は私には若くて元気な頃と同じように感じられた。渡り終え今度は階段を下りる手前で、タロは再び立ち止まって、また、私の顔を見上げた。その悲しい表情を私はくみ取ることが出来なかった。タロは仕方がないというような態度で階段を下り始めたが最初の一歩で足がよろめいて、悲鳴を上げてタロは崩れ落ちた。

私は愕然とした。これほどまでにタロの体力が衰えているとは思ってもみなかった。すぐに抱え上げ、そのまま自宅まで帰った。これは私にとって大きなショックであった。それを家内に告げると
「そりゃそーよ、もうあそこは通りよらんのぜ」
と言い放った。

この事実は、その後私自信が滑床で同じような体験をしたことから一層強く印象に残っている。

まだタロが健在だった頃、今年35歳になる二男が山の中で拾って来た犬が「ジュニア」であった。

ジュニアもタロと同じ雑種で姿も似て、天寿をまっとうした部類だろうが、これまたドラマチックな一生であった。

ジュニアの話

三代目の「コナン」は雑種ながらも、我が家では希な素性の明らかな犬であった。昨年の春、昔近所に住んでいたAさん宅で二匹子犬が生まれたので貰って欲しいという話があった。その前年の夏にジュニアが死んで、老母も話し相手が欲しいだろうと、家内が勝手に貰う話を進めた。親がどんな犬かも判らないが、ただ家の中で猫と一緒に暮らしているらしい。小型の犬かと思っていたら、10ヵ月を過ぎる頃には体重は20kgになる中型の大、という大きさになってしまった。


(貰ってきたばかりのコナン)

まさかここまで大きくなるとは思っていなかった。しかも力が強い。
臆病でな性格なのでついつい甘やかしてしまった。気が付けば後の祭り。散歩には苦労する。ただ最近は少し言うことを聞き始めたらしい。貰ってきた当時は家の中で飼っていた。次第に大きくなるので狭い我が家の室内での飼育は難しい。
玄関脇の庭にジュニアが使っていた小屋があったのでそこで飼うようにした。夜中に鳴きはしないか心配であったが、外の生活にも慣れてきた。臆病な性格は直しようがない。獣医のクロダさんは凶暴な犬よりは良いと言ってくれた。

獣医に連れて行った時は、その間の抜けた、情けなさそうな表情に笑われた。上目遣いで人を見る。昨年3月26日、初めて我が家に来たときには、帰宅した私に対してもビビッて後ずさりをした。
猫と一緒に育っていたために猫を友達だと思い、どんな猫を見てもキュンキュンと甘え声をだす。猫のほうはまったく無視である。
ところが最近、我が家では一番の新参者であるオスの黒猫「ガリ」には微妙な変化が現れ始めた。はじめはコナンに対して威嚇をしていたガリがたまにコナンにすり寄ったりするらしい。

コナンは塀を隔てた玄関の横で飼っているので、来訪者がある度に吠えるため(ジュニアもそうだったが)呼び鈴代わりと番犬としては役に立っているが、来訪者が何度も訪れる知人であってもなかなか覚えるところまでいかない。

プーがうちに来たのは平成14」年だったと思う。迷い猫を職場のOさんがポケットに入れて持ってきた。メスの雑種である。

ネコらしく、あまり良い性格をしていない、自閉症のネコでいつもたそがれている。

ガリ


目つきは良くないが、その毛はビロードのようになめらかである。

こいつは昨年の9月に長男がどこかの自販機の前の箱に入れられていたのを拾ってきた。どうも誰かに飼われていたらしい。砂箱のトイレも迷うことなくしたし、パンが大好きだった。(だったと書くのは次第に猫の食事に慣れてきて、以前のようにパンの袋を開けただけで飛んでくるようなことは無くなった。

息子が拾ってきたときは、ガリガリに痩せていた。まんまであるがガリと名付けた。
収まらないのは「プー」である。かなり嫉妬心を持ち、じゃれてくるガリを威嚇するが、逃げまどっている。一度など夢にうなされたのか、パソコンに向かっている私の足下で寝ていたプーを私がなでた途端、手にかみついてきた。思いっきりである。間違いに気が付いたのかばつが悪そうに逃げていった。

部外者に「ゴン太」というオスのボス猫がいる

我が家で飼っている猫ではないが、どうどうと出入りをしてうちの猫に与えている餌の上前をはねる。そればかりではない。屋外が寒くなり、面倒を見ているお向かいさんの戸がしまっていると、我が家で寝ている。

ガリのお気に入りの場所を占領している。

私の布団も占領されている時がある。

私たちが不在の時は、うちの猫をいじめているらしい。

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