心機一転

新・私の独り言


私的・行く年来る年

改めて延べるまでもないだろう。2011年は私の人生でも激動の年になった。
2月から始めた室内整理作戦も、3月11日の大災害をきっかけに無力感におそわれた私は6月までなにもする気にならなかった。
気を取り直して再開したものの、暑さのせいではかどらない。
秋らしい秋はつかの間であった。天候が良いと山に登ることが多かったので結局なにもしないまま年を終えた。

私的にまとめた今年の十大ニュース。

1 東日本大震災
2 二度も体験した、腎臓尿路結石
(以下は思いつくまま順不同)
3 コンデジ?30倍ズームカメラ購入
4 DVDレコーダー購入
5 32インチテレビ購入
6 姪がアフリカで女子出産(世界で70億人目の子供)
7 母の冷蔵庫を私が壊して、大型冷蔵庫購入のはめに
8 野犬のジュニ・ゆりちゃん出現
9 中東の政治激変、ビンラディン、カダフィ殺害
10 禁煙の戒めを破り、喫煙再開

特別編 子猫「ガリ」の失踪

解説

1はもう省くが、年末になり各テレビ局が特集番組を流し始めた。私には悲しい出来事以外の何物でもなかった。テレビ局の劣化が日本の劣化に拍車をかけていることに変わりはない。特に民放で厳かにしなければならないニュースの直後に、ふざけたハイテンションのCMが流される事には腹が立つ。民放の劣化はまだしも、あの?NHKでさえ、朝の「あさイチ」では民放かと間違うような原色をつかったスタジオには違和感を覚える。

2は別な所に書いているので省く。

3寒くなってからあまり屋外に出ないので使う事が少なくなった。ピントあわせが出来ないことがあるのは、ユーザーレビュで聞いてはいたが、いらつく。しかし室内のストロボなしで撮る時はかなり明るく撮れるが、逆に屋外で撮るときに飛ぶ時がある。マニュアルにしてからシャッター速度を調節して撮ることが多い。

4,5は省く。6も別なところで書いた。

7 夏の暑い盛りだった。母とは建物は同じだが、所帯は別にしている。たまたま母が不在の時猫を探して母の台所に行った。冷蔵庫の扉が開いていた。閉めようとして中が氷で一杯になっていることに気が付いた。氷で扉が閉まらない。私は金槌とドライバーで氷を削り扉をようやく閉じることが出来た。半分呆け始めた母にその事を告げると、氷が付いたので溶かす為に扉を開けていたとか。
昔はそんなことをする人間ではなかった。開けると余計氷が付くことを注意したのだが、それから一週間後、また同じことがあった。
今度は私が大失態を犯した。ドライバーの先が滑って、冷蔵庫の側面に穴を開けてしまった。スーっと言う音とともにガスが噴出した。
以前は一人用の小型冷蔵庫だったが、新しい冷蔵庫はかなり大型にした。四、五人用の冷蔵庫なのだが、これもいつの間にか満杯になってしまった。野菜室と冷凍室の区別がつかないようなので、シールに野菜と冷凍と書いて貼っているのだが、判っているのだろうか。この予定外の冷蔵庫購入が、その後の私の財布を苦しめている。以下8,9,10省略

ガリの失踪
本当にお茶目で可愛い猫だった。六月の豪雨の前日家からいなくなった。今でも突然何事もなかったような顔をして帰って来るような気がしてならない。ガリが居た頃いじけていたプーは我が物顔になった。

来年の抱負

まず室内整理
年末にようやく応接間の荷物を片付けて、なんとか人が入れるようにした。来年は本格的にゴミクズがあふれている我が部屋の整理をしよう。

禁煙 このご時世に無駄な出費を控えなければ。

切手の整理
思い起こせば私が切手に興味を持つきっかけはおまけ付き「グリコ」の世界の切手であった。風雪数十年、目が悪くならなければ少しは整理も進んでいたのかも知れない。
切手収集と言えば投機的なものもあるだろう。現在の中国がその傾向にあるらしい。
私の場合、投機的な気持ちはまったくなかった。今の日本で言えば北海道から沖縄まで、50円切手を貼れば数日で届くだろう。子供の頃には切手とは不思議な力を持った魔法の紙のように思えた。私はなぜか、国内ではなく、第一次世界大戦時の欧州で戦場の若者が故郷の恋人へ出す手紙の事を連想していた。
先日家政婦が(ミタではないぞ)切手の処分を願い出た。さもあらん。興味のない人から見ればただの紙切れにすぎない。当時の日本郵政は切手ブームが巻き起こるや、昭和31年に発行された切手趣味週間の東州斎写楽の切手の発行枚数が550万枚であったことに比べ昭和33年の趣味週間ではその枚数は2500万枚と言うように発行枚数を増やした。投機的ではないと言う私の考えと矛盾しているようだが、希少価値というものはコレクターにとってはつきまとうものである。枚数が少なければ珍しさと言う観点からは持っていて嬉しいものなのである。
切手を集めることで一つ良かったことは、世界地図が頭に描けるようになったことだった。しかも当時は消滅していたヨーロッパの国があることも判った。英語の読めない私は父に教えてもらい、切手の国名から専門書にある切手地図帳で場所を調べたりした。
大人になってから、デッドカントリーとして特別にストックブックを作っていた。エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国もその中に入っていた。ところがどっこい、ソ連崩壊後それらの国はまた甦ったのである。
西暦2000年になる頃、私は収集をやめた。子供の頃にもモナコ公国、リヒテンシュタイン、サンマリノ共和国など、世界の切手収集家を対象に切手を発行している小さな国があった。子供の頃祖母にもらった吉野熊野国立公園の切手をサンマリノの切手と交換して喜んだことがあったが、今思うと千円と十円とを交換したと同じことになる。相手はさぞかし喜んだことだろう。あ、金銭的な話になった。
まだその当時はそれくらいの事で済んだが、やがてアラブ土候国が切手乱発合戦に参加して、切手収集界は異常な現象になった。
これも愛想が尽きるきっかけになった。
まあシール集めとなった訳だ。現在の日本もアラブ土候国と似たような状況下に近いだろう。私は務めて手紙には記念切手を使うことを心がけている。使わなければ債権放棄と同じことだ。郵便会社はどんどん切手を発行して(債務)使わなければ丸儲けになる。
そうして私は切手収集から身を引いた。ただ、今でも時々貼って使いたいと思うような綺麗な切手が出ると、つい手を出してしまう。しかし手紙を出す回数はたかが知れている。子供の頃は一枚単位でしか買えなかった。自分で給料を得る立場になってからはどうしてもシート買いになってしまう。
おそらくこの数十年間に発行された切手のほとんどが額面割れとなって金券ショップで売られている。
岩村昇博士が提唱された、使用済み切手で医薬品を買う運動も世界の切手収集家がいるからこそ成立するものだ。微力ながらも収集家は貢献している。話がばらばらになった。

ダイエット
働いていた頃は64kgだった体重が今では68kgになっている。炭水化物は出来るだけ少なめ、野菜中心の生活をしているが、油断すると69kgになる。園芸会社にいた時には59kgにまで下がったことがあった。ズボンのサイズが不揃いになり不経済でもある。
時々ラマダンと称して絶食をしたりするが反動がある。ご飯は茶わんの三分の二としているし、高カロリーのものは控えているし、間食は全くしない。だが、アルコールを、、、、これも控えよう。

さて来年の抱負はどれだけ実行出来るだろう。


平成23年12月9日・鬼ヶ城に初冠雪


例年だと11月の終わりには山に雪が積もる。

そうして、12月になると一度は溶け、クリスマスの頃にまた白く輝き翌年の3月頃まで白銀は残っているが、今年は異常な暖かさのせいだろうか、冠雪する時期が遅かった。前日の夜は風が強く吹いていたが雪が積もっていることには全く気が付かなかった。夕方窓を開けて物干し台から雪を頂いた鬼ヶ城に気が付いた。

スズメ

酔狂にスズメと遊ぶことを覚えた。百均で小鳥の餌と何に使うのかわからない木製の升を買ってきて物干しに御覧のようなえさ台をつり下げた。初めは直接置いたが、猫がねらうので高いところにつり下げた。まず、一羽が偵察にくる。

安全が確認できると、次第にその数を増してくる。

写真では仲良くついばんでいるようだが、実態はそうではない。

力関係に支配されていて、場所をとるために、強いスズメは弱いスズメを追い払う。安全な場所を奪われたスズメは箱からこぼれた餌を食べるために、危険なこの下に下りることになる。

うちの近くのスズメは警戒心が強い。部屋の中から観察していても気配を感じるとすぐに逃げ去る。

ずっと昔、パリに行った時には、退屈しのぎにチュルリー公園のベンチででパンくずをスズメにやった事があった。かなり近くまで寄ってきて、蒔いたパンくずが地面に着くまでに空中キャッチをするスズメがいた。

一月を過ぎればシジュウカラやヤマガラもやって来るだろう。
庭の桜の木は枯れてしまったが、コガラが来て枝を突いて穴を開けたこともあった。

野鳥が来てそれを眺めるのは楽しいのだが、うちの飼い猫は野鳥ハンターなので、それが気がかりである。猫には野鳥を捕るなと言い聞かせているのだが、聞く耳をもたない。


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