心機一転

新・私の独り言


痴呆症進行か?
先日DVDに文字を書こうとして、急にその漢字が出てこなくなった。このところ身体劣化が急速に進行している。
脳の老化を遅らせる為に出来るだけ文字を手書きするように努めているが,昨年書いた年賀状はかなり間違ってしまい宛名のところはホワイトだらけになった。
五木寛之の「下山の思想」を先日読んだ。そうなのか、山を下りることを覚悟しなければならない時代に入ってしまった。これは私自身とこの地球上での出来事も併せてそう思わなければならないのだろう。PCもXPを使い始めてもう9年近くになる。バックアップを取らなければいけないのだが、ついつい作動しているので油断してしまう。何事もそのままの状態が続行するとは限らない。それは判っているのだが、怠惰な私は備えをおこたってしまう。
夜型の私はドラキュラに似て、昼間の活動は苦手である。かと言って日中の時間を無駄に過ごしている訳ではないが、何時も寝る前になって何かを思いついてしまう。

庭に放し飼いにしているスズメは相変わらず賑やかに騒いでいるが、きやつらは仕事をしている訳ではなく、餌を求めて動き回っているだけのことに最近やっと気がついた。種の保存のために生き、生きる為に餌を求めているだけなのだ。
先日「アース」、「クヌート」と言う記録映画を見た。真っ白な氷原の他には何も無い北極で孤独に生きているホッキョクグマやシベリアに生きるアムールトラはすごい。それに比べて極限とは程遠い家に来るスズメを甘やかせていた。朝晩そこに餌があることを覚えたやつ等は、遠征することをやめて腹がすくまで庭木の中で過ごすことが多くなった。
なるべくきやつらを勤勉にするために餌の量を減らしている。

数日前から目の具合がさらに悪くなった。今まではPCのモニタはメガネを外していればなんとか見えたのだが、右目に靄がかかったようで画面が見えにくくなった。老眼鏡で見るには50センチの距離は遠すぎる。本当に固定焦点になってしまった。車の運転は近視のメガネをつければなんとか見えるのだが、困ったものだ。


寒い!寒い!

数日前からまた寒くなった。灯油ストーブを使わなくなってから数十年になる。暖房器具といえばホームセンターで買ったコタツとホットカーペットと暖房足マットくらいである。パソコン用に付けた唯一のエアコンはほとんど使用しない。
我が家は寒地獄のようなものである。熱々のコーヒーもすぐに冷めてくる。

「家政婦のミタ」ならぬ「家政婦の○タ」(丸の中にブと入れるのが正解)は余りの寒さに室内でもオーバーを着てフードを被っている。私もたまに毛糸のスキー帽を被っている。私も机に向かうときは腰から下には毛布を巻きつけているがそれでも寒い。茶の間の温度はだいたい8℃前後である。たまに家の中を風が吹き抜ける。隙間風とはいえないくらいである。コタツの中に猫がいると暖かい。

今、余りの寒さに耐えかねてとうとうエアコンを付けてしまった。パソコンに向かう指先が暖かくなった。困窮生活に入って何年になるだろう。貧乏人の無駄遣いとはよく言ったものだ。貧困なくせにまた本を買ってしまった。本に執着するのは父親譲りの性格なのか。図書館には及ばないが狭い部屋には本ばかりある。

話がそれた。寒い寒いというのが今日の話題だ。物干しにおいている水槽用のバケツに汲み置きをしていた水が凍っていた。今年二回目になる。ただ、昔に比べると水が凍ることはまれになってきたような気がする。
子供の頃には年に一度は10センチほどの積雪があった。記憶では20センチも積もったこともある。夜中に風が強く吹き荒れ、翌朝目が覚めると外は静かで明るい。遠くから車のチェーンの音がする。
子供の頃は寒くなかったのだろうか。ワクワクしながら飛び起きると外は一面の銀世界だった。学校に行くとだいたい一教科ほど授業は中止となり校庭で雪合戦をした。

宇和島は年に一度か二度の雪だからそれで済むのだろう。
以前従弟の結婚式に秋田から来た人が居た。彼の口から「雪がロマンチックだなどと聞くと腹が立つ」という話しを聞いた。
そうだろう。以前冬の季節に小樽に行った時、町を歩くのに雪の煩わしさを痛感した。テレビで雪国の人の苦労をしるとなおさらその思いが強くなった。
藤沢周平の時代小説に出てくる「海坂藩」の武士たちは深い雪の下で、じっと春が来るのを待っているのだろう。それが寡黙で誠実な東北の侍の魂を養ってきたのだろうと思う。
ずっと昔東北を旅したことがあった。二本松市の教育委員会のかたから
「西日本では明治維新で戦争は終わったでしょうが、東北地方は明治維新から戦争が始まったのですよ」
と言われたことに、それまで意識をしていなかった私はある意味衝撃を受けた。会津といえば若松の白虎隊が知られているが、二本松少年隊という子供いたちもいた。
二本松の十代の少年たちが数時間ではあったが、大壇口で板垣軍と戦って戦死したことはあまり知られていない。彼らにも東北武士の血が流れていたのだろう。
戦いの後、相手が子供であった事を知った、板垣軍(官軍)の指揮官野津七次(後元帥陸軍大将野津道真)は

「うつ人も うたるる人も あわれなり ともにみくにの 民とおもえば」
と詠んだ。

宇和島に限ったことではないだろうが、春や秋が何時も快適な気候だと言うのは錯覚ではないかと思うようになってきた。昨年は11月でも30度を越える日があったし、5月でも霜が降ることもある。
三寒四温の言葉どおり、暑いか寒いかのどちらかであり、天気予報で「平年より何度寒い暑い」というのは、あくまでも平均気温から導き出す数字だろう。

寒さのせいだろうか、話しが乱れてしまった。(1月26日)


驚いた!

[19日 ロイター] 米イーストマン・コダック<EK.N>と米子会社は、連邦破産法第11条の適用による事業再編を申請した。(ロイター)

しばらく前に上記の記事のもとになる、「申請か?」というニュースを見たが、今ほどヤフーのニュースを見て破産法の適用を申請したことを知った。
カメラに凝っていた若い頃、ロールになったコダックのトライXを一巻買って、押入れの中で空の富士フィルムのケースに適当な長さに切って入れ使っていたことがあった。当時日本ではサクラとフジがフィルムの大きなメーカーであったが、サクラよりはフジが一歩前を進んでいたような印象がある。使うフィルムはモノクロで、普段はフジのネオパンSSS(スリーエス)を使っていた。感度は多分ASA200だったと思う。コダックのトライXはノーマルでASA400だった。
増感してASA1600とか3200設定で撮影してネガを現像する時、現像液の温度を上げたり時間を延ばして増感していた。(ぞうかんが変換できないのには驚いた。死語になっているのか。)
コダックのネガを使用することは貧しい私の憧れであった。

ハリウッドのカラー映画のほとんどにイーストマン・コダックの文字があった。東映映画は富士フィルムが多かった。

そのコダックがついにこうなるのか、時の流れとは恐ろしいものである。(平成24年1月20日


歩いてきた

1月13日金曜日、松野町教育委員会主催の「四万十アドベンチャーウォーキング」に参加した。

午後6時半受付を済ませるとバスに乗り、四万十川沿いの網代休憩所から、四万十市下田の「とまろっと」までの45キロを徹夜で歩いた。参加者はみんな歩くペースが早い。驚いた。

午前5時10分何とか目的地まで歩くことが出来たが、身体はくたくたに疲れていた。帰りのバスの中では二度と参加はしたくないと思った。後半には太ももの筋肉が痛くなってきた。バスに乗るのも下りるのも、何かにすがって歩かなければならなかった。翌日はさらに筋肉痛が強くなるだろうと覚悟をしていたが、時間が経過するにつれ痛みは治まってきた。

それにもまして翌日の気分が爽快だったことには驚いた。
辛い思いをしながらも、何度も参加する人がいる理由が判った。
爽快感は良いにしても、歩いた時が晴天できれいな星空を眺めながら歩く事が出来たが、雨だと考えるだけでもいやになる。

おそらく、多分、いや、きっと、もう参加することはないだろう。

冥途への良い土産話が出来たことは間違いない。

カメラをポケットに入れて歩いたが、とても写真を撮るなどという余裕はなかった。


DVD

年末年始に主にNHK教育テレビ(今はそんな言い方はしないか)で深夜放送された番組を取りだめしていた。
それらをDVDに焼いているのだが、余りにも番組の数が多くて面倒になっている。
操作はリモコンだがテレビ、DVD、ケーブルテレビのチューナーの三つのリモコンを使わなければいけない。
私は目が悪いため、接近して操作しなければならず、五十センチの距離では各リモコンの受信場所が異なっているため、角度を変えなければいけない。

テレビはビデオ5までの設定からチューナーのビデオ1を選びまずチューナーで予約をして、レコーダーのビデオ4を選び、チューナーで予約していた時間をレコーダーで設定する。実にややこしい。
地上波はレコーダーでそのまま予約録画が出来るが、予約録画をしたい番組はほとんどケーブルテレビのチューナーを通すものが多い。

目が見えにくいために、テレビに接近してリモコンを操作すると、少し角度がずれると反応しない。たまに別なリモコンで操作していることに気がつく。

私が生きている間に、果たして録画したものを全て見ることが出来るのだろうか?

それにして最近のテレビ番組が劣化したことにはあきれている。

新潮新書・石光勝著「テレビ局削減論」のカバーには
『時間を水増しした特番、タレントが空騒ぎするバラエティ、増殖を続ける通販番組・・・・」
と書かれている。税別700円、真新しい発見はないが、関係者からの声には納得する。


探し物

もともと良くない頭がさらに悪くなってきた。それにあわせるように目が見えにくくなった。私のくせでついうっかり、その辺りに適当にものを置いてしまう。特に買ってきたばかりのもの、送られてきたばかりのものを見失う事が多い。目と鼻の先にあるのに気がつかず焦って探してしまう。

狭苦しい部屋の中、普段から物を置く場所を決めているのだが、何時も例外を作ってしまう。こいつが始末に終えない。
老眼鏡もそうだった。探すことをあきらめていたら、目の前の本棚に置いてあることに気がついた。

何時も探すときには出てこない。別な探し物をしていると、思わぬ場所に以前探していたものを発見することが多い。そうしてまた見失う。目が見えにくいことは本当に困ったことだ。

スズメ

昨年末からスズメを飼い始めたことは以前にも書いた。カゴには入れずに放し飼いにしている。えさ箱を作ってから、群がる数が増えてきた。メジロのためにミカンを挿している梅の木にもえさ箱を付けている。初めは焼酎の紙パックの底の部分を切って、割り箸で足場を作っていたが、紙が破れ始めたので、百均で枡を買ってきて吊るした。窓から壊れたこうもり傘を逆さに持って、柄でそばにある梅の枝を引き寄せ、恐々と餌を枡に入れミカンを枝に刺す。

小鳥に餌を与えようとして窓から転落なんて洒落にもならない。

初めはせいぜい数羽だったのが、多いときには二十羽近く集まるようになった。まさに町のスズメの噂が広まったのだろう。にぎやかである。さえずりは可愛いが、撮った写真を見るとスズメとは獰猛な表情をする小鳥であると思うようになった。

眼はまるで爬虫類のような印象を受ける。遠くから眺めるだけが良いのかもしれない。

それまで身内のように可愛く思っていたスズメが急に遠い存在になってきたが、まあ、今まで餌を与えていたから、これまでと変わらない付き合いをしよう。

穀類が好物だが、たまにメジロの真似をしてミカンを突付いたりもする。

きやつら(突然スズメに対する表現が変わる)は満腹になると、何処かに飛んで行く場合もあれば、近くの木の枝に留まって腹がすくのを待っているように思うことがある。ひとしきり騒いで静かになったので、次の餌場を求めて居なくなったのかと思い、餌を追加しようと窓を開けると、ものすごい羽音をあげて一斉に飛び去ることがある。壮観である。
やつらはかなり警戒心が強い。写真を撮るために窓を十五センチばかり空けても、視線を感じるのか飛び去ることがある。かと思えば、中には人馴れしたやつもいる。
私がいることを知っていても、それほど警戒しないでいるスズメもいる。

1月5日、この冬初めてメジロがやって来た。一羽だった。心配していたスズメとの諍いもなく、平和共存していたので一安心した。
春先になればたいていツガイでやってくる。一羽が警戒して見張り、その間にミカンをついばむ。昨年春は、ボーナスとして蜂蜜を水で薄めたジュースを提供したが、結構好評だったようで、連日賑わっていた。

ただ、メジロの大敵にヒヨドリがいる。近くの学校にある楠から、キーと大きな声がするとメジロは飛んで逃げる。ヒヨドリは乱暴である。小さなモンプチ(猫の餌の缶詰)にジュースを入れてカゴに入れてつるしているが、時々カゴから出て庭に落ちている事がある。がさつなヒヨドリがジュースを飲んだ時に落としたのであろう。


(平成24年1月10日)


雪の状態が気になっていたが、久しぶりに梼原・四万川の竜王宮に初詣に出かけることにした。国道197号線の高研トンネルを抜け、わき道に入り、県道2号線を韮が峠方面に進み、四万川郵便局の手前で右折する。国道からの入る道は相変わらず狭い。
ほとんど道には雪もなかったが、日陰は雪で凍結しているところが結構あった。昔は大野ヶ原に行くには最短距離だったが、大規模林道が開通してからは、宮野々の関所跡に行くこと以外には通ることはなくなった。前回通ったのは何時だったのか。おぼろげな記憶がよみがえる。

梼原の町中から来る道と出会い左折。町中からの道は関所跡までは二車線で広いが、すぐに狭い道になる。

大きな右カーブに忠魂碑かなにかあったはずだ、と思っていたら、なんとその横に牛鬼鎮魂之地と書かれた標識が目に付いた。

そう言えば牛鬼伝説は奥伊予には沢山伝わっている。一山西に越えると、野村、城川だ。

海津見神社でおみくじを引いたら「凶」だった。これまで三度凶を引いた事があったが、そのうち二回はこの神社であった。ここで引くといつも凶である。凶しかないのか?などと思いつつも厄を消去してもらうために木の枝に結びつけた。

果たしてそれが的中したのか?その夜風呂を入れ、天気がよかったから太陽温水器もがんがんに熱いだろうと、天気温水器から出てくるお湯を手で確かめて湯船に注いだ。
しばらくして、そろそろ入ろうと衣類を脱いで、風呂場に入ったら、な、な、なんと、お湯が途切れてくるぶしまでしか入っていない。今朝家政婦が水を上げるのを忘れたのだ。
寒さに震えながら、急いで電気温水器のお湯をいれた。

これが凶の始まりでまた終わりであればラッキーだ。

だが、一抹の不安が残る。

最近急にデスクトップのパソコンの具合がおかしくなった。
起動するとしばらく異音がするし、漢字の変換が異常に遅い。メモリー不足らしいが、タスクマネージャーで見てもPFの使用量はそれほどでもない。メモリーは1GBを入れているのだが、今までは問題はなかった。12月の終わり頃から突然遅くなった。解説書を片手にコミットチャージの数字を見て仮想ドライブの数字を書き直してみたが効果は無い。

なにしろ使い始めてからもう9年になる。

バックアップを取らなければいけないことは判っているのだが。


(平成24年1月8日)


車の走行距離がいつの間にか上のような数字になっていたので記念に一枚撮った。一番左が7になればきれいに揃うのだろうが、とても私の生きている間には出来そうにもない。この車は北は北海道から南は鹿児島の土を踏んでいる。もう20年も乗っている。燃費は一時期に比べるとかなり下がったが、それでも高速や信号の少ない田舎の国道を走るとリッターあたり12kmは走る。しかし昔は市内を走っても10kmはあったが、最近は8km前後に下がった。

この縁起の良い数字になったにもかかわらず、正月早々いやな出来事が降りかかってきた。これまで来るものは拒まず、の姿勢であったが、善意でしたことの結果、他人の行為が別な人を傷つけることとなり、それに関連した私も心を重くする出来事となった。実に複雑な構造なのでそれ以上は書かない。

まあ愚痴はよそう。


スーパー林道で。ミシュランのタイヤには信頼性があった。

今の車にのる前にはスズキのエスクード・ノマドに乗っていた。パートタイム四駆は雪道には滅法強かった。ただ、普段は後輪駆動のために何度か恐ろしい目にあったのも事実だ。コーナーでちょっとアクセルをふかしてスリップし、180度回転した事が二度あった。
思い出すのも恐ろしい。いずれも対向車が無くて幸いだった。

その点、今の車は前輪駆動なので、オンロードではあまり問題を感じないが、下りの雪道はまったく駄目である。リアルタイム四駆を唱っているが、雪道では信用できない。何年か昔、大雪が降った時ルンルン気分で梼原に向かった。かなりの積雪の国道を日吉から梼原に向かって曲がった途端スピンして宇和島方面に向きを変えた。その時以来雪道が怖くなった。日吉からの帰りは水分峠を下るのも恐ろしくて、三間回りで帰った。

ノマドだったらそんなことは無かっただろう。だが逆に怖さを知ったからまだ大きな事故をしなくて済んだのだろう。


ノマドのメーターは一桁少ない。今の車だったら一回りしている。


ついでに。昔台湾で見かけたノマド。エスクード・プリンスと書かれていた。

(平成24年1月6日)


新年を迎えて雑感

あっと言う間に一年が終わった。
この数年、身体が老化して行くことををしみじみと感じた。
何よりも辛いのは視力が衰えていくことである。
若い頃は視力は普通だった。近視のメガネを作ったのは昭和48年の冬であった。
次第に見えにくくなってきたために、何時の間にか映画を見るときは前列に座るようになっていた。
ある日松山三越で「無料検眼」という看板が目に付き、そこで検眼したところかなり悪いことが判った。

早速近視用のメガネを作り、出来た時メガネをかけて見た町の灯りがこれほど綺麗だったことには気が付かなかった。その頃写植という、目を酷使する仕事に就いていたことが原因だったと思う。

以来近視は年を追うごとにかなり進行していった。
ところが高齢化すると近視は弱まり、老眼と乱視が強くなった。私の同級生には四十代で老眼鏡をかけなければ文字が見えない人がいたが、私はその頃には老眼鏡などは必要なかったが、現在では読書する時には、ないと不自由を感じる。

近視は弱まり、若い頃使っていたメガネをかけると頭がクラクラする。

しかし、近視が弱まったと言っても視力が回復した訳ではない。
おまけに不運にも緑内障(今のところ高眼圧症)の症状が出てきた。車の運転にはメガネをかければ遠方はそこそこ見えるが、室内でそのメガネをつけるときつくて何も見えない。従って室内の整理がはかどらない。
茶の間でテレビを見る時はメガネをかけずに見ていた。数年前には私の座っている場所からテレビはよく見えていた。しかし昨年あたりから文字が全く見えなくなった。最近では人物の顔がはっきりと見えなくなった。と言ってメガネをかけるとやはりきつい。

車の運転をしていても夕方になると、前の車のナンバープレートが霞んでしまう。これはブルベリーを飲むことで多少解消した。

一休和尚の「正月や冥途の旅への一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」?(不確実な表現)という言葉を思い浮かべる。

さて今年はどんな年になるのだろう?

はっはっは、早速老眼鏡が行方不明になった。(1/02)


新・独り言のトップ

TOP

これまでの独り言はここ
inserted by FC2 system