心機一転

新・私の独り言


子猫は見ているだけで心が安らぐ。

はれてつぶれかけていたふくちゃんの左目もきれいになったが

まだ毛は生えていない。いや、私の頭のことではない。



6月15日の猫


うちの「ぷーちゃん」(この写真は飛び切りきれいな顔で写っている)

一ヶ月ばかり前になるが、「きーちゃん」と言う野良猫がお向かいの軒下で三匹の子供を産んだ。「きーちゃん」と言う名前も当然ながら自ら名乗った訳ではなく、黄色がかったトラ猫なのでお向かいのご主人が名付けた。いずれ我が家の近くを拠点とする野良猫を紹介したい。「きーちゃん」は小柄でおとなしい表情の猫である。冬の間は我が家の物干しをねぐらにしていた。ミカン箱を横に置きその上に小さな植木鉢をいくつか並べていた。ある時そのミカン箱の中で猫が寝ていた。それが「きーちゃん」であった。最初に私の姿を見た時は物干しの横にある隣との境の生け垣に逃げた。何度か出会うたびに次第に慣れたのか逃げなくなった。
その「きーちゃん」が出産したと言うことで近所の猫たちが入れ替わり立ち替わり「きーちゃん」の子供を見に来たらしい。ある時家政婦が乳離れしたらそのうちの一匹を我が家の一員に加えると言う話を「きーちゃん」の前でお向かいの奥さんと話したらしい。それを聞いたのが原因なのか、はたまた連日訪れる野次馬の煩わしさに「きーちゃん」は子供を連れて何処かに行ってしまった。猫は人の話が判るとはよく聞くが本当だった。
それから数週間が過ぎた。近くの家に庭師が入って植木の手入れが始まった。6月15日の雨の夜、近くの駐車場で子猫の鳴き声がした。どうも「きーちゃん」の子供の声らしい。野良猫ウォッチャーの噂では「きーちゃん」の子供は三匹から二匹になっていたらしい。「きーちゃん」そのものが弱々しい猫なので、発育不良で死亡したのかもしれない。夜通し母を求める鳴き声は続いていた。
早朝家政婦が小汚い白と褐色の子猫を持ってきた。顔は皮膚病にかかっているのか、目が腫れ上がって触る気にもならない子猫だった。私は棄てるように言ったが家政婦は聞かない。仕方なく9時頃大雨のなかクロダ先生のところに健康診断に連れて行った。目は皮膚病ではなかったらしいが思った通りノミだらけだった。
母親が育児放棄をしたのだろうか。家に連れて帰ると次第にこの子猫が可哀想になってきた。名前など決めていなかったのだが、クロダ先生の奥さんが目の周りが怪傑ゾロに似ているからゾロではどうか、とカルテを作るときに言った。どもゾロは言いにくいので家ではゼロにした。ゼロはヨチヨチとテレビの裏側に行っては壁に向かって鳴いていた。母親を求めているのだろう。ふとアンデルセンの「醜い家鴨の子」の話を思い出した。私は外見の美醜で子猫を見ていた。確かにペットの場合は見て癒されるという効果を求めるのであれば、可愛いほうがそれに叶っている。しかしこれもまた一つの出会い。保護者の居ない「ゼロ」を飼ってやろう、と決心すると顔の問題もそれほど気にならなくなった。これまで母の乳で育っていたのか、プーさんの餌の缶詰は食べようともしない。水も置いているのだが飲むことを知らないのだろうか飲もうともしない。クロダ先生のところで貰った流動食も口に入れてやらないと食べようとしない。
夜通し鳴いていたことはおそらく「きーちゃん」の耳にも達していたと思う。ゼロが家族の一員として承認された日の午後、「きーちゃん」が子猫をくわえてお向かいに入って行く姿を目撃した。まさか意図的に我が家に押しつけた訳ではないだろう。
ゼロはまだ顔が治っていないのでここでは紹介しない。

追補・ゾロもゼロも言いにくいのでころっと変わって「ふくちゃん」と命名した。

来た当初は向かって右の目は腫れ上がって、ほとんどつぶれていた。

まだ、若干はれて大きさが違うが、これがふくちゃんである。

三日目になるとようやく慣れて元気になった。

初めは自分で水を飲むことさえ出来なかった。

学習能力とはたいしたものである。



きーちゃん(この写真は目つきが悪いが実物ははにかみや)


ごんた(ある冬の日、私が寝ようと思っていたら布団の真ん中で寝ていた)


ももちゃん(迷彩色の猫がいるなんて知らなかった。ぷーの天敵)


りょうちゃん(発情期が過ぎると来なくなった)


氏名不詳(きーちゃんの連れ合いらしい)


白黒の猫は最初は「ごんた」だと思っていたら別猫だった。
お向かいの飼い猫と言うことだが余り見かけない。
この猫はどんな猫とも友好的らしい。
写真も喧嘩ではなくふざけているところである。


きーちゃんの連れ合いにそっくりだが別猫


めーめ


黄昏のぷーちゃん

猫とは無関係だが

1960年6月15日東大生、樺美智子さんが国会前で死んだ。それが大きな事件としてとらえられていた時代だった。彼女が書き残した文章がその後「人知れず微笑まん」というタイトルで出版された。
岸上大作「意思表示」、奥浩平「青春の墓標」、高野悦子「二十歳 の原点」思想など関係なく青春を過ごした人は目にしたことがある書籍ではないだろうか。6月15日になると何故か思うのである。森田公一とトップギャラン「青春時代」の歌詞「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」あれから四十年以上も経過しているにもかかわらず、未だに道に迷っている私である。


6月17日


えひめ南予いやし博

公式ガイドブック・夏号ができた

聞くところでは、このイベントは大手広告代理店Dに丸投げをしているらしい。そのDが地元の広告代理店Sに丸投げをしていると言うことらしい。
それで春の部のお粗末さが理解できた。夏の部を見ても、まとまりがないはずだ。単なる各地の行事の羅列が多い。他所の人が他所の感覚で、全国各地で催してきたイベントを南予に移しただけのような気がする。
一部では地元のメンバーの取り組みもあるようだが、足が地に着いていないように感じていたのも当然だ。
そもそも昨年の11月に唐突に企画されて4月に間に合う訳はない。

夏の部のガイドブックはすごい。すでにある、自然の海、山、川の紹介だ。目次から拾うと
○宇和海をまるごと遊ぼう! ○南予の川は、みんなの学校
○夏のえひめ南予いやし博 イベントPICK UP!(他の頁で紹介されている事の紹介)
○【連載企画】南予いやしの達人 石垣守ろう隊
○「いやし博一押しグルメ」認定!お持ち帰り大集合
○キャンプに、海水浴に、そうめん流し 夏のレジャースポット
○南予の夏の夜を彩る 花火大会完全ガイド
以下○イベントカレンダー ○ロードマップと続く
囲みで○伊達な町歩き  ○森の四万十自然学校  ○まるごと海のミュージアムとあり、
表紙2に○なつかしのキャラクター「おもちゃ博」というのがある。お金を取るのである。
角の方をよく見たら本当に小さな文字で「おもちゃ作品所有および提供者・玩具レンタル&イベントHTS代表若藤昌男氏」と書かれていた。おそらく全国で何かのイベントがあるたびに品物を貸し出す、持ちつ持たれつのイベント屋の商売らしい。
私の友人が行ったが不満だったらしい。母は行きたい様子だった。

降り続く雨のせいで食事も満足に取れないらしい。

PCに取り込んで、くちばしの黄色い子スズメがいることに気が付いた。

軒下で雨宿りをするヤツら。


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