心機一転

新・私の独り言


8月も終わった

 なんと暑い夏だったことだろう。過去形ではなく現在進行形である。8月も終わりだというのに、33度になっている。
 老母の対応にも少し慣れてきて、HPの更新も徐々に再開を始めることができた。私は時間を有効に使う事が苦手だ。随分と無駄に人生を過ごしてきた。残り僅かになって改めてそれに気が付いた。
 フェイスブックが走りの頃に人から誘われたが、私のネット環境はPCが主体である。携帯はメールのやりとりだけでそれ以外にはネット接続をほとんどしたことがない。一番の問題は携帯では接続には余計な費用がかかる設定になっている。次に細かい文字を打つのも読むのも苦手である。携帯でネットショップをしている人などは私にとっては神様のように思える。
 そのフェイスブックにうっかり最近加入?してしまった。私の思考の中ではmixiに近いものだろうと勝手に想像している。登録して驚いた。ヤフーメールの私のアドレス帳に登録している人が数人すでにフェイスブックに登録していた。
 プロフィールの顔写真に伊達宗城を使おうかと思ったがすでにmixiに使っているので、高野長英さんを借用した。髪型がそっくりだと受けたみたいだ。

 9月6日に東高の体育祭があるようで連日その練習の音が聞こえてくる。結構うるさい。6日が過ぎればまたしばしの静寂が来るだろうから、我慢しなければ。それでも昔に比べれば随分温和しくなった。何時の頃までだろうか、毎年体育祭が終わると使用した立て看板などをグランドの中央で燃やしていた。どんど焼きなどという穏やかなものではない、火のついた紙切れが空高く舞い上がって、これまでよく火災がなかったものだと驚くばかりであった。学校が近くにあると何かと影響が多い。グランドの砂埃はもうすっかり慣れている。なにしろ父、私、息子と御世話になった学校だから文句は言えない。

 8月に入ってケーブルテレビで「ナショナルジオグラフィー」チャンネルが見えなくなっている事に気が付いた。エラー表示が出る。それに気が付いたのは8月第一週の土曜日だった。宇和島ケーブルテレビには電話は通じない時間だった。ネットで調べると、何週間か見ていないチャンネルは繋がらなくなり、そいう表示が出るらしい。そんなときはリセットボタンを押せと書いてあった。なんどリセットを押しても解消できない。月曜日になって問い合わせると、会社で契約を打ち切ったと言うことだった。その代わりに「ヒストリーチャンネル」が無料で見えますと電話に出た人が言った。しかしふざけた話である。8月のチャンネルガイドにはまったくそんなことは書かれていない。見えなくなった「ナショナルジオグラフィック」の月間番組予定表が載っている。ネットでヒストリーチャンネルの番組表を調べると8月の敗戦記念日に合わせて戦争ドキュメント番組が目白押しに並んでいた。ザ・シネマ、日本映画専門チャンネル、時代劇専門チャンネルと無料のチャンネルの番組表と首っ引きでデッキの予約をしていた。
 デッキとケーブルテレビチューナーの両方を予約しなければならず、うっかりチューナーの変更をし忘れて三つの番組を間違ってしまった。なにも映っていない真っ黒な画面を二時間も録画しているほど間抜けな事はない。

 ケーブルテレビの放送だけで16番組無料放送がある。それに地上波、衛星と合わせるといったいいくつの放送があるのだろう。洋画でも3時間の放送で1時間は宣伝が入っているものがある。たまに夜中には放送終了の場合もあるが、24時間放送している所もある。録画して見る分には他に録画したい番組と競合しない深夜のほうが都合の良い場合もあるが、エネルギーの無駄遣いだとは思わないのだろうか。
 昔NHKでは深夜12時になると日の丸がはためいて番組終了を告げる時間があった。そう言う時代に戻ることは出来ないのだろうか。


同級生の訃報

 8月26日、同級生のF君の訃報が飛び込んできた。
 東高17期生のまとめ役の一人であるF君は数年前から体調を崩し、何度も入退院を繰り返していた。この春関西の某大学病院に入院したという話は聞いていた。かなり重体であるとも。
 ところがF君と仲の良かったK君が松山の大病院に入院したのは6月の終わりであった。本人が言った。もう手術の出来ない、かなり進行した肝臓ガンであると。
 これには参った。それまで元気十分だったK君だけにF君のことはみんな忘れていた。いや忘れていたわけではなく、先に悪くなったものの、まだまだ先は長いものだと思っていた。気丈夫なK君は至って元気よく話すが、その心の奥には計り知れないものが渦巻いているのだろう。
 7月上旬に松山にK君を見舞いに行った。見舞いの場所の食堂に行ったら大勢のK君の見舞客がいた。ほとんどが同級生あるいは宇和島の関係者であった。努めて明るく面白く話すK君の姿につい甘えてしまい、身体に悪かったのではないかと後になって反省した。
 一度宇和島に帰って自宅療養(こうする他に手だてがないと聞いた)をしていたK君はいろいろな治療方法を試すためまた再入院したと聞いた。電話で話した友人は「普段は弱音を吐かない彼も辛そうなことを言っていた」と話した。
 F君の訃報が入ったのはそんな頃だった。
 26日の夜亡骸が宇和島に帰ってくるので、同級生の人は出来れば迎えて欲しいと言う奥さんの希望があり、自宅に8時過ぎに集まった。一時期は薬の作用でパンパンに腫れ上がっていた顔も少しはやせていたが、元気な頃のスマートな顔とはほど遠かった。
 高校生の頃はどちらかと言えばやんちゃな部類であった。ホンダドリームに乗っていたとおもう。登山部で一緒だったM君のホンダベンリー・スポーツタイプと並んで走っていた記憶がある。

 お通夜の日は雨が降ったり止んだりしていた。雨が上がったので傘を車に置いていたら土砂降りになってしまった。ぬれねずみになって自宅に帰った。寝る前に空をみるとこうこうと青い月が輝いていた。また真夜中に土砂降りの雨音を聞いた。

 8月29日葬儀が営まれたが、午後1時からと言うことで私は参列することはあきらめた。母を病院に迎えに行く時間が不確定なためにじたばたしたくなかった。

 来月松山で開かれる同窓会に出席することを心待ちにしていたと聞いた。また一人同級生が居なくなった。(平成24年8月29日)

キーボードを交換した
かなり以前から漢字の変換が遅い。私はてっきりシステムの問題だと思いこんでいた。何のことはない、キーボードのボタンの接触不良が原因だった。エアースプレーで吹き飛ばすと解決したボタンもあったが、スペースキーだけは言うことを聞かない。思い切って分解した。分解して組み直したらまったく動かなくなった。
しかたなくデオデオに行って一番安い、サンワサプライの中国製のキーボードを買ってきた。おー、すいすい反応する。ただ、全体的に少し小さい。バックスペースの位置が感覚的に内側に寄りすぎている。と言うほどブラインドタッチは出来ないのだが。

デジイチを買った

 とうとうデジカメ一眼をオークションで手に入れた。ニコンD70s、10年以上も前に発売された、今は骨董品に入る部類だろう。これも実に私らしいそそっかしい出来事があった。
 もともと若い頃からニコンに憧れていた。我が家にはニコンが全くない。一眼レフのフィルムカメラはミノルタ、ペンタックスである。ペンタックスSPを初めて買ったのは大学3年の時だった。代々木駅前のカメラ店で55ミリレンズ付きで33000円くらいであったと思う。その大井町の質屋のウィンドウで見かけたタムロンの95−200のズームと何処で買ったか記憶はないが35ミリ広角を買った。
 当時友人がニコマートを持っていた。ニッコールのレンズがうらやましかった。その時のコンプレックスが現存していたのだろう。何がなんでもニコンを、と思っていた。最近ではデジイチも手の届く値段になってきたが、デジイチを手に入れることを放棄していた私はD3000とかD5000とかの違いが分からない。カタログを見たがどこか玩具っぽい。そんな時フォトジャーナリズム雑誌「DAYS JAPAN」4月号の記事でアルゼンチン生まれのカメラマン、ワルテル・アストラーダ氏の愛用機種が昔も今もニコンという記事を見つけた。D700を愛用していると書いてあった。お子様向きのものに比べてD700はかなり専門的な機種のような気がした。その流れをくむのかD7000もボデイだけでかなりの値段がする。
 そんな時たまたま見たオークションでいきなりDと言う文字と70と言う文字が見え、ニッコール35−80、80−300二本のレンズ付きで即金○○円とあった。

 おっ!これは!
 6月から年金が満額もらえるようになったのだが、ちょっとした手続きミスで扶養家族になっているインド人家政婦の申請が漏れていた。申請漏れが判って年金機構に再申請したが時遅く、6,7月分がもらえるのは8月からと言うことであった。その年金追加分で十分まかなえる金額に目がくらんでしまった。
 落札した後よくよく見るとD70sであった。あっちゃー!

 まあ機種としてはそれほど遜色はないと思う。強いて言えばISOが1600までで現在の機種に比較すれば明るさに弱い。しかしいろいろネットでユーザーの声など読んでみると、明るささえしっかりしていれば問題はなさそうである。
 おおきな問題は私がこっそりとカメラを買ったことである。日中堂々とカメラを取り出してマニュアルを見ながら操作することが出来ない。夜寝る前に取り出して目の前の壁を撮るかテレビの場面を撮る程度である。たまに家政婦が買い物に出掛けたすきにベランダから鬼ヶ城を撮るが、なかなか時間がない。フード、フィルターもレンズ経に合わせてネットで買った。

 近いうちに、旧来使っていたコンデジとの比較画像を撮りたいのだが、天気が不安定である。おまけに母の通院の関係で時間も制限される。フルに時間が取れる土日も生鮮食料品の買い出しなどでつぶれてしまう。

 それでも最近少しづつ時間の使い方に慣れてきた。
 そのうち比較画像jをお披露目したいと思う。「いやし博」は相変わらずどこで聞いても不評のようである。


少し再稼働

 夕方テレビのニュースを見ていたら、「浅草サンバ」のことを放送していた、それとスカイツリーとの組み合わせがマッチして写真を撮る人が多いらしい。そりゃあそうだろう。そのどちらも江戸文化とは全く異質な文化だから。(文化などと言えそうにもないが、取りあえず人間の手が加わっているから、文化包丁レベルの文化か)

 スカイツリーの姿をみた時には「京都タワー論争」を思い出した。

 今、本来あるべき形のものが急激に壊れていくような気がする。例えば「ヨサコイ」と言われる国籍不明のダンスが日本のあちこちで踊られるようになった。別に踊りそのものを否定する意図はないが、あの奇妙な衣装とダンスには違和感を覚える。踊っている本人たちの意識は高揚しているのだろう。まあ勝手にやってください、としか言いようがない。
 面白い話で、高知市在住の友人から「よさこい鳴子おどり」は余りにも下品で、徳島の阿波踊りを見に行った、さすが情緒がある、とのメールを貰った。
 別に阿波踊りをけなす訳ではないが、おそらく初めに見た人の中には違和感を覚えた人も居たことだろう。祭りの行事などと言うのはそんなものなのかも知れないが、歳を取るごとになじむことが難しくなった。
 日本人は音には無神経なのだろうか。うちの近くで週に二回ばかり日中太鼓の練習をしているところがある。公民館と名が付いたそこからは午後二時頃から五時頃まで太鼓の音がする。それほど近くではないので我慢しているのだが、たまに体調が悪くて寝ている時にそれが聞こえてくると腹立たしくなってくる。冬は戸を閉め切っているからそれほどでもないが、窓を開け放っている夏は始末に困る。おまけに、リズムが乱れたり、音がふと止んだりすると余計気になってしまう。

 今日は少し時間が出来た。本当に久し振りだ。(8月25日)


休眠宣言

 5月の連休が明けた頃から母の具合が思わしくなくなった。

 それほど緊急の案件ではないが、月曜日から金曜日まで連日病院に点滴を受けるために車で運搬することもまだ不慣れである。
すっかり私の日常生活が変わってしまった。土日は普段出来なかった様々なことをするのに忙殺される有様で、とても自分の時間をゆっくり持つことが出来なくなった。
 こうした事態はいつかは訪れることは判っていたが、余りにも突然やってきた。

 辛うじて日々のプレッシャーにつぶされないで生きているが、そのような環境の変化に私はまだついて行くことが出来ない。
 おまけに今宇和島で行われている「南予いやし博」には私に何か書きたいと思わせるような、突き上げてくるものが全くない。

 したがって当分の間は「城下町宇和島から」および関連サイトの更新は中止する。(宇和島語辞典は随時更新する)

平成24年8月17日



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