心機一転

新・私の独り言


1月いぬる

1月いぬる、2月は逃げる、3月去る。「いぬる」とはこちらの方言で帰ることを意味する。古語に由来する。この言葉は小学校の時三学期に入ると必ずといっていいほどどの先生も口にする言葉だった。「光陰矢のごとし」よりも遙かに実感のわく言葉だった。


弱肉強食の時代?

 先ほどNHKのクローズアップ現代で福島から避難した人たちに対する東電の賠償問題で苦労する一家の話が出ていた。改めて被害にあった方々のご苦労を思った。しかし何時から弱いものいじめの時代になったのだろう。優しさやいたわり合う暮らしは消えてしまったのだろうか。

 庭の梅の木に古くなったミカンを刺しているとメジロがやってくる。昨年までミカンをついばむのはメジロだけであったが、今年はスズメもメジロの真似をしてミカンをつつくようになった。しかしメジロもスズメもヒヨドリが来ると逃げてしまっていたのが今までの光景であった。

 アクロバットよろしく実をつつくのはメジロだけではない。ヒヨドリも上手に実を食べる。

 メジロは去年まではスズメが来ると逃げていたが、今年は仲良く同居し始めた。

 驚く事に今年はヒヨドリとメジロが共存するようになった。昨年までは決して目にする事の出来ない光景であった。

 しかしスズメとヒヨドリはまだ相性が悪いようである。ヒヨドリが来るとスズメは退散して、ヒヨドリがいなくなるまで待っている。以前はヒヨドリが来るとスズメは蜘蛛の子を散らすように何処かに逃げていたが最近では遠くに逃げることはなくなった。

 戦略的互恵関係は鳥の世界の方が進んでいるように思われる。
(1月30日)


 某日CATVで録画した戦争映画ばかりを三連ちゃんで見た。「空軍大戦略」、「ロンメル軍団を叩け」、「トブルク戦線」の順番に見たら、なんとロンメル……とトブルク……に全く同じシーンが登場した。頭がおかしくなったのかと我が目を疑ってしまった。どう考えても訳が分からない。あとでウイキベディアで調べると、なんと1966年制作のトブルク……のシーンを1971年に作られたロンメル……に流用していたらしい。
 他愛ない戦争娯楽作品であったが、砂漠の鬼と言われたロンメル元帥が切手収集家であった事が判った。CGなど無かった時代では戦闘シーンの撮影は大変だったことであろう。


 このところ映画三昧の日々が続いる。別に映画館に出掛ける訳ではないが、ケーブルテレビの映画専門チャンネルで録画していたものを早送りで見ている。だいたい一日に三本の割合で見ている。

 若い頃に見た映画がほとんどであるが、何度見ても見飽きない映画もある。「ランボー」はその一つである。最初の映画は州兵という軍隊組織に対ししかしランボーという個人が果敢に戦うというストーリーに現代社会からドロップアウトした底辺層の大衆から共感をよび大ヒットした。しかし2,3とシリーズ化される実につまらないただのアクション映画になってしまった。

 ここに書こうと思ったのは「ランボー」に関する話ではない。これは本当に偶然なのだが、ある日ケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」を見た次に「グレイスランド」を見た。何故こんな映画を録画していたのか自分でも意識していなかった。見始めてすぐにやめようかと思ったくらいであったが、次第に面白くなってきて最後まで見てしまった。
 その日最後に見たのは「リバティ・バランスを射った男」であった。
ジャンルは全く異なった映画であったが、見終わってまさにアメリカという国について考えさせられた一日であった。

 一本目は60年代のアメリカの良心のような暖かさが感じられた。テレビで放映されたものしか見たことはなかったが(この映画が作られた頃には私は映画館まで足を運んでまでして見るということはなくなっていた)「ライ麦畑でつかまえて」の作者J・D・サリンジャーがモデルとなった隠遁生活をしている元作家が登場したり、一度だけメジャーリーグの打席にたった後、野球界から退いた老医師役にバート・ランカスターが登場していたりして妙味のある映画だった。バート・ランカスターの遺作であるらしい。私はケビン・コスナーが好きである。何時も何かを考え続けているような表情にアメリカの良心を感じている。次に見たグレイスランドは自分を偉大なロック歌手エルビス・プレスリーだと信じている男と愛する妻を事故で亡くし心に深い傷を負った若者との話である。私の若い頃にはプレスリーは生存していたが、余り好きな歌手ではなかった。しかし嗜好の変わりようには私本人が驚くばかりである。この映画では世界の全てにおいて牽引的な役割を担っていたアメリカの栄光を感じた。

 そうしてリバティー・バランス…では暴力至上主義とも言える、ジョンフォード監督の異色の西部劇を感じるのであった。昔はジョン・ウエインは好きな俳優であったが、歳を取るに連れて彼はでくのぼうのように思えてきた。それは私の西部劇に対する考え方の変化に比例する。
 子供の頃はアメリカ先住民は悪であり、砦を守る騎兵隊は正義の味方であった。平和な開拓者の幌馬車を襲う先住民。危機一髪のタイミングで現れる騎兵隊。しかし次第に先住民を追い出し開拓地を拡大するイギリス移民はまぎれもなく侵略者そのものであるようになった。

 小さい頃戦争ごっこに興じたことがあった。戦後間もない頃であった。敵味方に分かれる時、皆我先にアメリカになりたかった。日本が負けたことは判っていた。そんなおりたまたま近くにいた愛国婦人会の生き残りのようなおばちゃんから「あんたら日本人やろ」と言って叱られたことがあった。勝つ側になりたかったのが、そんなおばちゃんの言葉で少し変化がでたのかもしれない。

 今思えばジョン・フォードの映画には白人優越主義の臭いが紛々と漂う。リバティー……には騎兵隊も先住民も登場はしない。小さな出来て間もない西部のある田舎町での物語である。法を守る保安官は一人いるが、これがどうしようもない非力な男である。ジョン・ウエンは何の仕事をしているのか判らないが腕っ節の強い男であるが、リバティーというリー・マービン扮する悪党にはその場限りでの力で対決はするが、保安官に協力して逮捕するという処まではいかない。その町にジェームス・スチュアート演じる新米の弁護士が東部からやって来ることからストーリーは始まる。(映画では上院議員が列車で来て、回顧談から始まるのだが)
 有権者一人一票のアメリカにおける議会制民主主義の原則を彼は訴えるのだが、それがもろいものであることを思わせるような映画であった。この映画は私が高校生か中学生の頃に一度見ただけであった。ストーリーは漠然と覚えていたが、やはり数十年以上昔のことである。ほとんど忘れていた。

 今日は「三人の名付け親」を見る予定である。
(1月25日)


 初詣には檮原町四万川にある「竜王宮」に出掛けるのが最近の私のパターンになっている。昨年はおみくじで「凶」を引いてしまった。とどのつまりには昨年末は本当に最悪のケースになった。今年はどうだろう。神社に向かうと丁度上り口に愛媛ナンバーの軽トラが停まっていた。山の途中までか車で行けるのでいつも車で上っているのだが、V字型になっているど真ん中にその車が停めてあった。邪魔くさいことこの上もない。何とか後退、前進を繰り返して上の駐車場に車を停めた。境内の奥から浦方訛りの会話が聞こえた。この神社は山の中にあるのだが、宇和海沿岸の漁師の信仰を集めているらしいから、多分そこから来た人たちだろう。
 また「凶」が出たらどうしよう。少しばかり不安を覚えながらおみくじの自動販売機を捜したが見あたらない。
 社務所に問い合わせると器械が故障して外しているらしい。小さな川を挟んで神社の真向かいにある社務所に行っておみくじを引いたら上の写真のような結果だった。この文章は実に意味深長だった。きわめて常識的なことが書かれているのだが。
 帰る途中西日がまぶしいのでサンバイザーを下ろしていたら、突然そこに挟んでいたガソリンスタンドのクレジットカードが落ちてきた。走行中だったので見る訳にもいかない。カードが落ちた時に硬いものに当たったような音がした。
 帰宅してから車内を捜すがカードが見つからない。カードが落ちたのは日吉の夢産地で缶コーヒーを飲んだ後だったのだが、私の記憶は混乱して、もしかするとそこで休む前に落としてうっかり身体につけたまま外に出てしまったのかも知れないと思うと不安になってきた。初詣に出掛けてカードを紛失するなんてしゃれにもならない。
 翌朝明るくなって車内を捜した。どこにも見あたらない。硬いものに当たってはじかれた可能性もあると、運転席側のドアポケットを調べると、なんとロードマップの中にカードがあった。一件落着。
 早いもので初詣に行ってから三週間も過ぎてしまった。

 アルジェリアでの事件は何とも痛ましい結果になった。姪の旦那のアフリカ人の故郷はマリ共和国の首都バマコから100kmほど北東に行ったところらしい。マリでの騒動は時折新聞の国際記事で見かけたが、旦那は日本に来ているのでマリでの出来事には影響を受けてはいないようだが、そのマリでの出来事がアルジェリアの事件の要因であるような報道を目にする。
 旦那は昨年初めて迎える日本の冬で風邪を引いてしまったらしい。

 久し振りにエビフジで買い物をした。新聞折り込みで冷凍食品の「あんかけ硬い焼きそば」の広告を見て急に硬い焼きそばが食べたくなったのである。エビフジに買い物に出掛けたことで、私の思考回路が崩壊していることを痛切に感じた。まず駐車場での対応を忘れてしまっている。出る時はどうしたのか覚えていない。昔は駐車場の係員がいたはずだが今は無人化されている。入る時に1時間以内は無料だったことを思い出した。店内に入ったのだがどこに何があるのかさっぱり判らない。買い物カゴを持って店内をうろついた。冷凍食品の場所はどうにか判ったが、目当ての品がどこにあるのかも判らない。悪戦苦闘したがどうにか買い物を済ませ帰宅したのだが初期認知症になってしまったと思った。(1月23日)

 1月19日、偉大な横綱だった大鵬こと納谷幸喜氏が亡くなった。
私がふと彼のことを思い出したのは、あの品格のない朝青龍という横綱が日本相撲界の人気を博していた時だった。勝ってガッツポーズをするやんちゃ坊主そのままの姿を見た時だった。いろいろと裏話があるようだが、それはさておき、私の知っている限りでは横綱の品格を有している頂点にいた人は大鵬だった。朝青龍のガッツポーズは実にテレビの申し子として出来たものだろう。関取は感情を表に表すものではないと思われていた。ウルフと呼ばれた横綱になる前の千代の富士が立ち会いまでの時間に相手をにらみつける表情が物議を醸すようになったのもまだ記憶に新しい。
 甲子園の高校野球でヒットを打った選手がガッツポーズをするようになったのもテレビカメラを意識してのことだろう。そう言えば五輪で金メダルを取った日本の選手は皆一様にメダルをかじるポーズをするのも私の記憶ではマラソンで金メダルを取った高橋尚子選手からではなかったかと思う。以来何とかの一つ覚えのようにカメラに向かってメダルをかじっている。一つ覚えと言えばプロ野球の放送ではインタビューでは「応援よろしくお願いします」という言葉しか口に出てこない人たちばかりである。
 写真を撮られる時にはこれまたピースサインのオンパレードである。旧制中学の学生のように斜め上を見上がるような人はます見かけない。自分の頭で考えることがなくなったのであろうか。
 昨年市立病院に入院した孫が退院して間もなく、また入院することになった。まだ言葉も話せない幼子があちこちにチューブを付けてベッドに横たわっている姿を見るのはやりきれない。見舞いに行くと顔が妙に歪んで泣くのかと思えばそれから造ったような笑顔になった。

 映画監督の大島渚が亡くなった。好きなタイプではなかったのだが、彼の映画に友人がちょい役で出ていたことから意識して見るようになった。その友人とも長らく話していなかったのだが、監督の訃報で思い出し久し振りに電話をした。ずっと以前だったがテレビドラマの「西部警察」を見ていたら彼が悪役で出ていたのには驚いた。そこそそ端役で出ていたようだ。「戦場のメリークリスマス」ではあのデビット・ボウイを処刑場に連れて行く兵隊役で登場していた。

 15日に上げる予定だったが全くのところ気力が無い。その時の予定のフレーズが「今年も1年の24分の1が過ぎた」と書くつもりだったがそれも過ぎてしまった。

 1月いぬる、2月は逃げる、3月去る。「いぬる」とはこちらの方言で帰ることを意味する。古語に由来する。この言葉は小学校の時三学期に入ると必ずといっていいほどどの先生も口にする言葉だった。光陰矢のごとし、よりも遙かに実感のわく言葉だった。
 三学期の思い出などほとんど残っていない。特に歴史の授業などは戦後史になり歴史と言うよりは現代史になるためか教える方も教わる方も授業という感覚はなかったようだった。

 本当に嫌な世の中になってしまった。何時の時代でもそうぼやく老人はいるのだろうが、正月になっていきなりテレビで初売りの福袋争奪に群がる女性たちのニュースを見た時には、正直吐き気を催した。むろんこの人たちが悪いことをしていると言っている訳ではない。しかしテレビの扱いではその愚かしさを取り上げてはいるものの、私が見た限りでは、未だに避難生活を強いられている東北地方の被災者及び原発事故によりふるさとを追われた人たちの迎えた正月とを対比させて放送しているテレビ局はなかった。被災地以外の地域の人たちはあの災害はもう忘れましょうとでも言っているのだろうか。いわゆる言論人に心の温かい人は居なくなったのだろうか。まだ二年も過ぎていないついこの前の出来事なのである。対比はしていなかったがいくつかの番組では仮設住宅で暮らす火とたちの迎えた正月を放送していた。それを見ると泪が止まらなかった。

 いったい何時の頃からこれほど歪んだ世の中になったのだろう。大震災が発生した直後、暴動や略奪もなく(少なくとも表面では)粛々と時を過ごし、世界各国から驚嘆されていたこの国の人たちはどこに消えたのだろう。いや消えては居ないはずだ。今でも耐えながら生きているのに、国全体でその人たちのことを無視し始めているのではないかとさえ思えて仕方がない。

 謙譲の美徳を忘れ、一時的な我欲に生きる事が重要なことのようにさせているのは一体何なんだろう。これは随分以前から感じていた。大宅壮一がテレビの出現によって一億総白痴化と言ったことを思い出す。まさにその通りだった。価値観を真贋、善悪、正邪ではなく、損得で計る時代にしてしまった。今はあるかどうか判らないが、京都だったと思うが「真善美社」という出版社があった。何という美しい響きなのだろう。私自身も今の社会に埋没してしまったようだ。せめて今からでも己に恥じない生き方をしなければならない。
年頭にあたってふとそんなことを思った。

 翌朝再度自分の書いた文を見ると、どうも感情に走りすぎた嫌いがある。同じ頭で考えてはいるのだが、夜と朝では180度違ってくる場合がある。忘れやすいということは四季の訪れに恵まれている日本人の特性なのかも知れないと思っている。それはある意味であきらめに似た感情なのかも知れない。和辻哲郎が「風土」を記したきっかけはインド洋の航海船上であったと聞いたことがある。風土がそこに住む民族の思考回路に及ぼす影響の根底にあるとすれば、厳冬期には灼熱の夏の暑さを恋し、夏にはその逆を求める。とすれば嫌なことは忘れ去ることでずっと過ごしていたのだろう。だがしかし大震災はつい最近のことで忘れてはいけないことだろう。すでに第二次大戦の災禍を遠い歴史の彼方に追いやろうとしているような気がする。

 このところ時間を見ては「地名の勉強」に取り組んでいたが、今尾恵介の「地名の謎」を読んでいると、無性に虚しくなってきた。由緒ある地名だと思っていたら、近年になって合成された地名だったことが判ると、どうしようもないやりきれなさを感じてしまう。彼の著書から印象的な文章を引用する。

(以下引用)
「地名は過去と現在を結ぶ糸である」とは、私が地名関係の本を書く際に何度も繰り返してきた言葉だ。ワンパターンで恐縮なのだが、やはり強調しておきたいのは、歴史は地名という「見出し」があってこそ現代につながる、ということだ。あまり深い考えもなく流行に乗って無責任で根拠のない地名を乱発していい気になっていると、遠からず先祖の残した文書を見ても「おらが村の文書」であることさえわからない火が来るだろう。
(引用終わり)

 そのような意味からも「宇和島」という地名が存続できたことは実に意義深いものである。

 昨年末から年頭と非常にあわただしい時が流れた。特に年末は最悪だった。細かいことは省略するが、昨年の初詣に訪れた檮原町の竜王宮で引いたおみくじが「凶」だったことを思い出した。厄災が昨年で終了したのかと言えば必ずしもそうとは限らない。

 NHKの紅白なんとかという学芸会を見なくなって数十年になる。大晦日は中学時代の同級生たちと酔っぱらって過ごした。元旦には三島神社に初詣に出掛けた。三日には東京から友人がやって来た。
 35年ぶりの出合だった。このあたりから私の予定が狂い始めた。松山空港から帰宅する途中自宅から電話があり、姪たちが家に来ているとのこと。オーストラリアから帰ってきた姪と七ヶ月になる娘、マリから一時帰国して九州にいる姪と一歳二ヶ月になるその娘たちが弟の嫁とともに来ていた。母を含めると女六人?がかしましく居た。
 母は誰が誰なのか分からない様子であったが、さほどぼけては居ない振りをしていた。嫁は夏に比べて随分元気そうになったし、同じ質問を繰り返すこともない、と言っていたが、やがて正体が明らかになった。
 オーストラリアの姪は結婚する前に一度亭主をうちに連れてきて母に紹介している。母はきちんとそのことは覚えていた。しかし母にとって孫にあたる姪は誰が誰なのか混乱しているらしい。
 この前うちに来たのはどちらの子のお父さんやったかね?と何度も聞き始めた。その都度丁寧に嫁は説明をしていたが、都合20回ほど同じ質問を繰り返していた。今年もまた悪夢がよみがえるのである。

 母はまだ松の内なのにしめ飾りを外せと言いはじめた。聞けばもう世間は外していると言う。 母の言う世間とはお向かいさんだけなのである。お向かいさんは初めから松飾りは付けていない。その両隣はまだお飾りを付けていたが、外すことになった。

 さらに想定外の出来事は続く。我が家のコナンの娘にあたる、片足を失った野犬「ユリちゃん」が夜になるとしきりに家の近くに来るようになった。静かに来て静かに去る分には問題は無いのだが、近所の人がユリちゃんの為に用意している餌に野良猫が群がり、ユリちゃんは猫に追い払われる。遠くから猫を威嚇する為に鳴くその声がうるさい。時間などお構いなしである。何度も深夜その声で目を覚ましたこともある。昨年はそれほどうるさく吠えなかったのだが、今年になってからはひどい。これが一年中続くのかと思うだけで鬱陶しい。

 どうやら今年も私には良い年になりそうもない。唯一の朗報は年末に肺炎をこじらせ小児科医院から救急車で緊急搬送され、市立の集中治療室に入っていた10ヶ月になる孫が予定よりも早めに退院できたことだ。今は亡くなっている父もICUに入ったことがあった。もう十数年前のことだ。その時父と一緒に数名の人が入ったのだが生きてそこから出たのは父だけだった。孫もきっと生命力の強い人間になるだろう。

 流行にのって、回線をフレッツひかりからハヤブサに変更してしまった。関係会社から執拗に電話がかかってくる。ネット回線の変更以外でも健康食品、太陽光発電、生命保険など諸々のセールス電話がかかってくる。私は電話で営業する会社のものは一切お断りしますと言うとほとんど失礼しましたと言って相手は受話器を置く。忙しい時にそんな電話がかかってくると本当に迷惑千万である。話がそれた。フレッツハヤブサのことだった。時間はかからないという事だった。私はモデムの交換程度に考えていたが、結構時間がかかった。接続の設定はご自分でしてください、と言われた。昔電話回線で接続する時は四苦八苦だったが、だんだんと便利になってきた。今回もCDを入れて画面の通りに進めば出来るという事であったが、付属のセキュリティー対策ソフトをインストールする段階で止まってしまった。
 私は一応市販のウィルス対策ソフトを入れている。10分過ぎても進まない。CDパンフレットに書かれているフリー電話に問い合わせるのだがこれが一向に通じない。一時間待っても電話も通じなければインストールも完了しない。デスクトップのPCは少し具合が悪い。ノートで再挑戦してようやくネットが繋がった。デスクトップは強制終了した。そのため立ち上げるたびにセキュリティーソフトのインストール続行の画面が出てくる。閉じる為のXボタンがない。仕方がないのでタスクマネージャーのアプリケーションの終了で閉じていた。
 余りにも面倒なので、もしかしてと思って「プログラムの追加と削除」を開いてみると、あったあった。NTTのそのソフトが。それで削除すると次から出なくなった。しかし私の場合はなんとか出来たが、返す返すもNTTのフリーダイヤルが通じなかったというのには腹が立つ。世の中便利になればなるほど、大切な何かを失うというのが持論である。

 世の中というのは「人間」で成り立っている。合理化を至上命題にすることで無人の場所が増えてきた。一例だが交通機関の切符販売もほとんど自動券売機になっている。会社が利潤を追求するだけの為に無人化をして、利用者のことなどは考慮していない。東京から来た友人を宇和島駅まで見送りに行ったのだが、彼は列車の切符を河買うのに戸惑っていた。東京の人間でさえも判らないシステムである。
 ずっと以前宇和島自動車の営業所でも無人化されたことがあった。ある時老婆がその前で途方に暮れていた。私が手伝って切符を買ったが、その時貨物の仕事かなにかで事務所にいた人に苦情を言った。その後窓口でも乗車券の販売を再開したことがあった。さすが宇和島自動車だと感心した。今はどうなっているのか判らないが。

 昨年友人から面白いと教えてもらったアメリカのドラマ「ウォーキング・デッド」のDVDをヤフーレンタルで借りた。ヤフーでは一度に二枚までしか借りることが出来ない。今年になって初めてTSUTAYAの会員になって伊吹町のTSUTAYAでその続きを借りた。TSUTAYAでも私が世の中から取り残されていることを感じた。最近のレンタル業界の繁盛ぶりには驚いた。レンタルビデオ時代はよく借りに行った事があったが、TSUTAYAのシステムがよく判らなかったので店員に教えてもらった。別に時代に取り残されていることは何とも思わないが改めて世の中がどんどん変化していることを痛感した。

 この「ウォーキング・デッド」を何故借りようと思ったのかと言えば、ケーブルテレビで「生存者たち」というドラマを見て、設定は面白いけれど内容的にはつまらないと友人に話したところ、これが面白いと紹介してもらった訳だ。先日レンタルDVDで「ウォーキング・デッド」を見た日の夜にケーブルテレビで「生存者たち」シーズン2の放送があった。ゾンビが出るかでないかの違いはあるのだが、生き残った集団の設定には似ているものがある。まず理知的なリーダーがいるが、しかしともすればその穏健さが災いを招くことがある。脇には暴力至上主義の人間がいる。これもトラブルメーカーである。子供も女もいる。これらもまたトラブルメーカーになる。話を長引かせるにはそれまで温和しかった人がある時無定見になり問題を起こしてしまう設定にしてしまうのだろう。見ているとどちらもイライラしてくるが、結局続きが見たくなる。テレビで見た時、話が混乱してどちらのドラマがどうだったのか判らなくなった。きっと母も孫を見てそうなったのだろう。

 これを書いている途中に同級生の訃報が入った。昨年の同級生の「お講」では何も変わっている様子はなかった。かなり以前から糖尿病になったということで米のご飯は何年も食べていなく、かなり痩せてはいたがまだまだ死ぬような人間ではなかった。聞けば松山での新年会の流れで二次会に行き、そこで眠るように亡くなっていたらしい。周囲の人間も気が付かなかったということだった。

 これはショックだった。同級生の「お講」のメンバーでは何年か前にシンチャンが亡くなった。肝臓ガンだと聞いていた。聞いて間もなくして急逝した。昨年の秋、フジワラ君が亡くなった。それから間もなくして亀ちゃんも亡くなった。この二人とも病気が重いという事だったが、一月の初めにマコちゃんが亡くなったことには驚いた。

 しばらくは余りにも辛い出来事に消耗してしまった。

 従兄から1966年の和霊様の祭りの日の様子を撮った写真を送ってもらった。しばらくサイトアップする気力にも欠けていたがなんとか再開しよう。


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