心機一転

新・私の独り言


何とかの高上がり

何とかと煙は高いところに上がる、との言葉通り、5月の最後の休日に薬師谷から権現山に登った。このルートは昨年2月に行ったのだが、下りで足を滑らせてかかとを剥離骨折したと言う苦い思い出のあるところだ。5月の初め頃から少し歩き始めた為に、ハイペースで登ることが出来るだろうと思っていたが、残念ながら途中からバテ始めた。

↑写真は山頂から毛山を望む

尻割山からは見えない角度で大浦湾の埋め立ての様子が見えた。


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しかし5月下旬から宇和島の町は白い靄に覆われていた。オリジナルの画像はご覧のように薄れている。(ガンマ値を変えていろいろ触るのは嫌いではない)

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城北中学校

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鶴島小学校(奥)と宇和島東高高(手前)

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左は宇和島南中等校、右奥は宇和島水産高校、その下が城南中学校(一部)と明倫小学校(一部)

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おーっといけん!城東中学校を権現山から撮ることを忘れていたので、尻割山からの画像で勘弁して欲しい。(これのみニコン)

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東高の全景を忘れていた。こうして見ると倍率は低いがニッコールのレンズのほうがフジよりは鮮明だ。

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この日は天候が良くて幸いだった。権現山からデジカメで動画を撮っていた時のことである。おそらく、いや、きっと、絶対に光線の加減だと思うのだが、眼の悪い私は三脚に付けたカメラのモニタを見て思わず背筋が凍り付いてしまった。モニタの画面に白い鉢巻と白い服の男らしいものが写っている。カメラのレンズの方角と私が立っている場所は微妙に位置がずれているために、私がその方向を見ても人の姿は見えなかったが、何かの間違いだと自分に言い聞かせた。再生後10秒ほどすると。いや気のせいだ。

ふと三島由紀夫を連想してしまった。

ドライブレコーダのファイルを読む時、以前は問題なかったのだが、ある頃から急に不具合が出てきた。デジカメで撮った動画は全く問題は起きなかったのだが、ドライブレコーダのAVIファイルを再生するとすぐに 「問題がおこりましたのでExplore.exeを終了します」 のメッセージが出て、デバッグのボタンを押しても画面が消えてしまい、辛うじて動作の出来るタスクマネージャーで再起動をしなければいけなくなった。ひどい時は動画再生をしなくても、ファイルに触っただけでもその症状が起こり始めた。

これは弱った。私はてっきりレコーダに問題があると思いこんでしまった。しかし使うことが出来なければ意味がない。なんとか調べてみるとどうもコーデックの問題が原因のように思えて、フリーソフトのDivxを最新バージョンにしてみると、なんたる不思議か、固まることもなく動画再生が出来るようになった。しかしこれもまた不思議なことで、ほとんどのプレーヤーできちんと再生出来るのだが、コーデックを提供してくれた、Divxのプレーヤーでは天地が逆さまになってしまう。

とにかく一安心。これからしばらくは雨が続きそうだ。今まで保存していた動画を分類する作業にかからなければいけないのだが、母を病院に送り迎えする画像が余りにも多いことにはうんざりした。車で走るルートが限られているので、意識的なコースを考えなければいけない。

(5月28日)


三間の畦地梅太郎記念美術館に行った

美術館のパンフレット
先日三間の道の駅にある、畦地梅太郎記念美術館に行った。
テレビのニュースで素描、肉筆画展が行われている事を知った。
ローカルニュースでは時々ここの企画展について放送している。町内の運動会や愛好団体のカラオケ大会等のニュースも多いが、このような報道は役に立つ。国際的にも名の知れた版画家なのに私が行く時は何時も貸し切り状態なのでゆっくり見ることが出来る。それはそれで有り難いのだが、やはり寂しいものを感じる。

企画展のチラシ

三間の道の駅にて

彼の細やかな色遣いはとても真似が出来ない。特に様々な緑色の表現は。そう思いながら会場を出て自販機の近くで缶コーヒーを飲みながらふと前方を見るとカーブを描いた屋根とその屋根の上に収まるかのような遠くの山並みが重なって見えた。私は企画展の報道があるたびに出掛けるが、入ってすぐ左手にある、彼が16歳で生まれ故郷を発つ朝の心境を思い出した時の言葉を見るたびに胸に迫ってくるものを感じる。

今までじっくり見たことがなかった南海放送制作の紹介ビデオも、彼の仕事場を再現した会場の一角でこの日はゆっくりと見た。

五月は思ったよりも時間が取れたので、あちこちを見る機会に恵まれた。


(5月19日)


薬師谷に行った

薬師谷は宇和島市民にとっては馴染みの深い渓谷である。まあ住宅のあr地名でもあるが、私らにとり「薬師谷」に行くか、と言えば渓谷をつけなくても谷川のことを意味している。小学校の遠足や市民の行楽としてかなり親しまれていると思っていたのもどうやら昔の話になってしまった。

しかしこの建物の裏にある無料給水器に、毎日沢山のペットボトルを持参して水を取りにくる人は多いようだ。

これらは私が初めて露出、シャッター速度を自分の意志で決定できるデジカメを購入した時、実験のためにここまで撮りに来た時の写真である。手持ちでスローシャッターの為に若干ぶれているが、使い方にある程度納得できた。

薬師谷は滑床や成川に比べると花こう岩の河床ではあるが遙かに規模は小さい。おそらくそのせいで足摺宇和海国立公園の区域には入っていないのだろう。しかし上にも書いたが宇和島市民にとってはきわめてなじみ深い場所であった。

キャンプ場としてかつては整備されていたのだが、今では利用者はほとんどいないようだ。

薬師谷の雪輪の滝

雪輪の滝の上にはこのような似付かわしくないものが出来てしまった。

初めてこの光景に出会った時(平成11年1月)は驚いてしまった。


これは工事中の時の様子(平成11年


えん堤の上から下流を見る。ダムではないから水は貯まっていない。

しかしまだこのような光景は残っていた。

薬師谷に行く途中その手前にいつも気になっていた場所がある。いつの間にか温泉も閉鎖になっていた。私の記憶に誤りがなければ、「ふるさとなんとか」という国からの交付金で出来たものだと思うが、もったいない話だ。国道にはまだ看板が残っていた。

「高月山」に登った翌日は気分は鬱々としていた。朝から夕方まで山の中を歩き回り、翌月曜日からいつもの生活に戻ったことが、さらに気分を滅入らせていたのだと思う。しかしそれから時間の都合を付けて里山を歩くといつの間にかそんな気分も消えていた。(5月15日)


高月山に行った。


高月山のシャクナゲ

久方ぶりに成川を歩いたのは、かなり以前だと思っていたら、9日だったのか。本当に記憶力が衰えた。三日後の日曜日にこれまたそうたいぶり(宇和島方言=ひさしぶり)に朝から高月山に登った。宇和島地方は数日前から快晴が続いていた。母のこともあってなかなか家を留守に出来なかったのだが、家政婦の許可をもらって丸一日自由な時間を作ることができた。前日から「権現山」に行こうか「高月山」に行こうか迷っていたが、出たとこ勝負で車でスーパー林道に行き、そこから高月山に登り、時間があれば「権現山」に行く事にした。朝7時に家を出て、歩き始めたのは8時であった。

梅ヶ成を過ぎたあたりで、ぽつぽつシャクナゲの花が目に付いた。同級生が4月末に篠山のシャクナゲを見に行ったと聞いていたので、もうこの辺りの花の季節は終わっていたとばかり思っていたのでまだ残っていたことには驚いた。

しかし上の写真のように儚く散った花びらが多かった。花がある度に写真を撮っていたので山頂に着いたのは予定時間よりも遙かにオーバーしていた。

冬だと太陽は南から傾いて照るのだが、夏至に近づいている為「滑床」を挟んで「高月山」の南に位置する「三本杭」も逆光にはならなかった。

「高月山」の山頂に近い尾根にはこのような植物が芽を出していた。初めは「エビネ」かと思っていたがどうやら「バイケイソウ」らしい。「エビネ」だったら大事だ。乱獲されるだろう。

朝はジャンパーを着て歩かなければならないほど寒かったが、日が高くなるに連れて暖かくなってきた。新緑が爽やかな初夏の陽射しであった。

普段なら人と出会う事もない高月山の道であったが、山を下りる途中で7、8人の登山者とすれ違った。スーパー林道まで下り、権現山に向かい、登山道の途中で遅めの昼食のにぎりめしを食べた

最近血糖値が上がってしまった。少しでもカロリーを消費して、なおかつ食事を考えて下げなければいけない。この一週間足らずに晴天の午後には山歩きをした。歩き始めの頃には上り坂はかなり苦痛であったが、回数が増えるに連れ少しなれてきた。しかし足首はまだ痛い。

「高月山」に登る前夜、よせば良いのにCATVで放送があったベルイマンの「野いちご」を見てしまった。きわめて地味なストーリーではあるがさすがスエーデンの巨匠の作品である、引き込まれたのは私の歳のせいだけではないだろう。これを見た直後に「高月山」に登ったものだから、ずっとその重さがのしかかっていた。私はシャクナゲの花にきれいだと語りかけていたのも映画の記憶が新鮮だったからなのだろうか。(5月12日


成川を歩いた

 遅咲きの山桜が緑の中でぽつりと咲いていた

66歳の声を聞いてから体力が衰えてきたことを痛切に感じ始めた。体力だけではない頭の方もかなり劣化してきた。月の初めに父の十三回忌を行った。これと言って特別な任務がある訳ではないが、法事が終わるまではかなりのプレッシャーがあった。老母は三月頃から毎日毎日法事の事を口にする。それに対して怒っても仕方がないのでその都度説明をしていた。世間がGWではしゃいでいた時も私にはそんな余裕はなかった。
 法事が終わり親類一同が会食を済ませた後、母の認知症が進行している事を知らされたいくつかの出来事があった。食事中母は平常を装って当たり障りのない会話をしていたが、家に帰る車の中でいきなり弟の嫁に宇和島の町の説明を始めた。(嫁は宇和島生まれである)後で聞くと、他所から来た知らない人だと思ったそうである。同じようについ最近までよく我が家に来ていた私の孫のことを、何処かの小学生が来ていたが、あれは何処の子やろうかと家政婦に尋ねたらしい。
 法事が終わってホットしたのも束の間、母との暮らしはそれで終わった訳ではない、やはり相変わらずの毎日を過ごしてきた。平日の午前中は母の通院に時間を取られてしまう。
 明るくなって来たので、母を病院に連れて行く時間も早くなった。快晴の続いたある日、早めに終わったので正午過ぎに家を出て、久し振りに成川に行くことにした。家を出たのは12時過ぎだったが、雑用に追われて結局歩き始めたのは1時半であった。
 五月晴れの下、吹く風も心地よく、かすかに汗ばむ程度の歩行で成川の林道を歩いた。しばしの自由な空間であった。木々の枝には新緑の若葉が光を受けて輝いていた。緑と言う色彩には千差万別のあることを実感した。ずっと昔オードリー・ヘップバーンの出た「緑の館」と言う映画があったことを思い出した。私のいる林道はまさに一面緑の世界であった。


 成川林道から見た「梅ヶ成」(中央のくぼみ)

誰しもそうだと思うが、一人で歩くとつい余計な事を考えてしまう。
 突然少し前に偶然Eテレで見たフランクルの「夜と霧」のことを思い出した。生きる事に対する意味。渓谷のせせらぎと時折聞こえてくる小鳥のさえずり、誰も居ない林道を歩いているとそんな事が浮かんで来るのである。


 歩いているうちに昨年怪我をした右足首が痛くなって来た。歩く前にサポータを付けてきたのだが、それを家で捜していた時、サポータが片足分しか見つからないことにいらだち、あちこち探し回った。そうしてふと片足分で良かったことに気が付いた。笑い話のようだが、捜す時には靴下と同じように両方あったはずだと思いこんでいた。思考力が落ちていたことを実感した。

 書くと長くなるから、「夜と霧」に関しては別な機会に書く。私は中学生の頃読んだ気がするが全く覚えていない。子供の頃には内省的な内容のものは好きになれなかった。世俗的だが「椿姫」よりは「マノン・レスコー」の方が伝わりやすかった。

 成川から帰っても昔であれば快い疲労感に浸ることが出来たであろうが、この日はそれほどハードな歩き方をしていなかったにもかかわらず、かなりくたびれてしまった。

 それから数日後、久し振りの雨の日に徒歩で30分かけて歯科医に行った。これもきわめてスローペースであった。前日の暑さとはうってかわったような肌寒さであった。東京では夏日と報じられていたが、宇和島では長袖のシャツでなければ寒いくらいであった。今日も足首が痛んだ。歳は取りたくない。(平成25年5月10日)
 


庭のスズメ

 これまで二階の窓から手の届く梅の枝にえさ箱をかけていたが、植木屋さんから切った方が良いと言われて、大きな枝を切り落とした。別な枝の地面から2m程の枝に新しくえさ箱を付けた。

 初めの頃は警戒していたスズメも、私が庭に出ると屋根の上から見下ろして、餌を入れると近くに私がいても平気で寄ってくるようになった。しかしいつもはホームセンターで買った小鳥用の穀物を入れているのだが、たまにパンくずなどを入れると、寄って来てもすぐに離れて様子を見ている。

 この動画にひな鳥が親に餌をねだっているのが写っていることは、再生するまで気が付かなかった。
 それにしても、生みの親に虐待されて命を奪われる子供の事件が後を絶たない。この世の中で一番かばってくれるべきはずの親から虐待される子供の気持ちを思うとやりきれなくなってしまう。

 今、世間はスマートフォンがブームらしい。私も目がよければ参加したいのだが、さっぱり目が駄目なので無理な話である。デジカメもファインダーをのぞくタイプでないと難しい。もし、あくまでも仮定の話であるが、天から髪の毛と視力のどちらかを再度与えてもらえるとすれば、私は言うまでもなく視力を選ぶ。
 まあ、無い物ねだりだから、何とでも言えるが。

 スズメの話に戻る。ずっと以前NHKで「ダーウィンが来た」と言う番組で「スズメ」の特集を放送していた。都会のスズメの中には信号機などに巣を作っているものもいるらしい。それに比べれば、うちのスズメは運が良いと思う。町内の自治会費もはらっていないがうちの町内の立派な住民?だ。一応「ちゅん吉」「ちゅん太郎」「ちー子」等々の名前を付けているが、まったく区別がつかない。その数からすると他の町内からも噂を聞きつけやってくるスズメもいるだろう。毎朝車で母を病院に送ってから帰る時、自宅付近にさしかかると、スズメが待ちわびているような気配を感じる。とにかく私が思っている以上にスズメは観察しているようだ。スズメは人間の視線を鋭く感じているらしい。庭で露地植えした「アボガド」に水をまいている時には梅の小枝で騒いでいるスズメも、私が見上げて視線が合うと素早く逃げる。室内からスズメを観察している時にも、気配を感じると逃げてしまう。これも野生動物の直感なのだろう。

 話がそれるが城山にイノシシが出ると聞いた。住み着いているのか、タケノコの季節にやって来るのか判らないが、早朝出会った人がいるらしい。何年か前に宇和島東高のグランドを走り回っている映像がニュースに出たことがあった。同じイノシシかどうか判らないが、山には住めなくなったのだろうか。(平成25年5月1日)


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