心機一転

新・私の独り言


嘆きの「うわじま祭」

22日に行われたうわじまガイヤはまったく興味がないのでパス。

本当は祭の期間だけでもどこかに消えたかったのだが老婆がいるためにそれも叶わず。

7月23日の夜、宇和島城が海上から上がる花火見物の為に開放されことを知った。

私は三脚を担いで天守閣まで上がった。山頂では生ビールの販売などがあったが、かたく心に戒めている私は悪魔の誘惑にも耳をかさなかった。

写真は城山から見た黄昏の内港。

実はデジカメで花火を撮るのは生まれて初めてのことだった。いきなりのぶっつけ本番となった。何枚か撮ったものの中で観賞に堪えるものを選んでみた。

夜間なので見えないと困ると思ってメガネをかけていたのだが、手元がまったく見えないのには弱った。


ニコンの手持ちで撮った唯一ぶれていないもの。色合いはこれが一番忠実に再現されている。

フジのコンデジで撮ったものは色が悪いし、ピントが合っていないものが多かった。

しゃちほこと月が何とか重なるようにカメラを構えてみたが結構移動が早い。

ここでこのような写真を撮ることが出来る時間は限られている。

前日もおぼろげな月が出ていたので、この日も期待していたのだが、夕方雲が一面に広がり、月の出現はあきらめていただけに、有り難かった。結果として輪郭のくっきりとしたものではなかったことで怪我の功名のようだった。

そうして明くる24日、よせば良いのに前日の続きで町中に「牛鬼」のパレードを撮りに行った。けばけばしい金髪、茶髪の牛鬼が増えたなか、ねらいは丸穂の巨大な牛鬼が駅前の並木を通る姿である。道路の左側を通るのでかどやの前の交差点で待った。一度道路の北側を駅の方に向かったが、中央分離帯の街路樹が邪魔になるので、駅前で休憩したあと神社に向かう時を狙っていた。

その時携帯がなった。同級生から今年の初めに亡くなったMの奥さんのお寺を聞いてきた。何もこんな時にかける必要のない電話だったが、ついお節介に別な人に問い合わせて、同級生にメールをした。はっと我に返った時は、狙っていた牛鬼は大きなお尻を振り振り神社の方に向かっていた。

炎天下数時間待った私の行為は一体何だったのだろう。まあ相手にした私に責任があるのだろうが残念でしかたがなかった。

もうこれからは祭とは無縁な生活を送ろう。

ふと、抜き取られたアボガドの事を思い出した。


糖尿病かな?

 母に抜かれてしまったアボガドを庭に露地植したのはこの春だとばかり思っていたが、その時の写真が出てきて、データを見ると昨年の10月26日だった。冬を越していたのだった。それを思うとなおさら残念で仕方がない。冬の寒さを堪え忍んで成長したやさきに引き抜かれるとは。

 写真は自作のビニールハウス?とフクちゃん。好奇心の強いフクちゃんは新しいものが目に付くと必ず探求していた。余談になるがうちの近くに野犬捕獲用にオリのワナが仕掛けられた。そのワナに引っかかった第一号がうちのプーちゃんであった。

 アボガドもフクちゃんも今はもう帰らぬ運命なのだろうか。アボガドは仕方がないにしてもフクちゃんはまだ帰って来るという一縷の望みにすがっている。 

 世間は宇和島祭の準備に彩られている。最近の私にはそんなことはどうでも良くなってきた。宇和島について考える作業は元気で生きている限り続けて行きたいとは思うが、祭に対する意気込みとは別である。ある歳を境にまったく興味が持てなくなった。やはり年齢のせいであろうか。

 「けばけばしい」ものがもてはやされて来ると、そこにあった本来のものが消えてしまう気がする。

 以前、派手な「劇場型政治」が取りざたされて、表面的な事だけしか見なくなった。祭そのものは確かに「劇場型」の要素が多いが、神事には本来越えてはならない一線があるはずだ。例えば神輿は神の居る場所であり、それを土足で踏む行為はタブーであろう。それに近い行為が宇和島の祭でも見られるようになってきた。それは祭ではなくただのショーだと思った時に、私の力が抜けてきた。

 あるテレビ番組で宇和島の和霊大祭を「四国三大夏祭りの一つ」と紹介していた。では他の二つは何だろう?おそらく「徳島の阿波踊り」と「高知のヨサコイ鳴子踊り」なのだろうが、宇和島はスケールでは遙かに劣っているし、祭の質が違うと思った。他の二つは神事とは縁遠い創作踊りである。まあ何十年かすれば「ガイヤ」がそれに匹敵するようになるかも知れないが。

 ある処で聞いた話に「御幸町三大奇人」と呼ばれる人が四人いると言われている。四人とも私の知っている人である。その四人はそれぞれ自分をのぞいた他の三人のことを「御幸町三大奇人」だと思っていることも有名な話である。
 「御幸町奇人四天王」が正確な表現なのだろう。

 ついに私も糖尿病(らしい)の宣告を受けた。
 発端は原因不明の首のこわばりであった。三月頃から朝起きると首がこわばっている。肩こりとか寝ちがいとは明らかに違うこれまで経験のない症状だった。その後帯状疱疹が後頭部に出来たのでそれと関係があるかな、と思っていたが症状はそれ以上ひどくもならないが、消えてなくなる事はない。ずっとそんな状態が続いていた。その間に朝起きると手の指がしびれてしまうと言うこともあった。今でも両手の薬指を中心に小指、中指の内側には軽いしびれがある。頸椎の状態が悪いことを覚悟していたが、目薬をさす時に仰向けになることが出来ない程度で、日常生活にはさほど支障がないし、なによりも母の通院に時間をとられて私が病院に行く時間が持てない。

 たまたまネットで市内の総合病院を見ていたら、ある病院が土曜日の午前中に新患の受付をしていることが判った。6月の終わりに行ってX線、MRIなどの検査をして詳しく見てもらったが専門医の目でも異常がないと診断された。ただし他の病気の疑いがあるので血液検査をしてもらった。その時血沈も調べられたが、それは問題はなかったらしい。ただ、血糖値が高かった。内科に回されて再検査してもらった。

 穀類は出来るだけ控えるようにしていたのだが、栄養士さんと話していて実に愚かな食生活をしていたものだと改めて感じた。まず熟したトマトには糖が多いという事を意識していなかった。トマトジュースも同じである。常食していた丸寿司(おからをイワシやアジなどの青魚で巻いたお寿司)も甘酢には糖があるのでアウト。等々、何を食べて生きればよいのか悲しくなる話ばかりだった。

 その夜、山崎のランチパックで最後の晩餐となった。病院でもらった食べ物の表をにらみながらの毎日になった。果実の中では唯一アボガドは食べても良い食物に入っていたのは有り難かった。今自分だとゴーヤもまあ好きな部類になるだろう。焼酎が飲酒可になっていたのもせめてもの救いだった。マンナンライフの蒟蒻畑もアウトだった。家にある麺類はことごとく他家に回った。生協で買ったばかりのトマトジュースは箱にはいったままで息子の家に持って行った。

 元々甘いものが大好きで南国商事の「シロクマ君」を一気に三個も食べたことも、饅頭を朝から何個も食べたりしたことも良くなかったのだろう。駄目だと判ってからなおさらお菓子の映像が目に浮かんできた。スーパーの食品売り場でパンコーナーの前を通ることは残酷な拷問である。

 この糖尿疑惑が発覚したのと時を同じくして腎臓尿路結石疑惑が浮上した。背中が痛い、脇腹が痛い、そう、一昨年二度も起こったあの痛さが起き始めた。これは早めにヨシケンちゃん医院に行って、石を溶解する薬をもらって飲み、水を飲んでは玄関でジャンプをしたおかげで痛みが増幅することはなかったが、その時にふと思ったことがあった。
 せめて死ぬ間際に意識があれば、シュークリームを腹一杯食べてこの世を去りたいが、あの痛さを抱えたまま死ぬ事だけは避けたいと。それほどまでにあの痛さには抵抗がある。


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