心機一転

新・私の独り言


メダカのヒナ

(正しい日本語としては稚魚と呼ぶべきであるが)

CDのスピンドルのケースにシュロの毛についたメダカの卵を移したのは8月16日だった。

そうして一昨日(8月28日)、なにやらゴミのようなものがうごめいて居るのを見付けた。

今日それがメダカの稚魚である事がはっきりした。左のシュロの大きさから想像して欲しい。

家政婦は稚魚のことを「ヒナ」と言った。メダカのヒナが誕生した。

水槽の中の二匹のメダカが毎日のように抱卵している。初めは過保護と思える程大事に

していたが、もううんざりし始めた。それにしても我が子を口の中で育てる魚がいるか

と思えば、卵から稚魚まで食ってしまう親がいることは何か残酷な気がする。(8月30日)


いつの間にか稲刈り

ある日の三間平野の光景で

昔なら手作業での稲刈りだったであろう

機械化することで能率はあがったことだろう

見る見るうちに刈られていった。

もちろん刈り方には何かの基準があるのだろう。

この日三間平野は稲刈り真っ最中であった。

もう水は無いが、日本の水田の幾何学的な模様は素晴らしいと何時も思う。


早朝なので頭もピントもぼけまくり

 本当に暑い夏だった。これまで体験したことのない夏だった。その夏もようやく終わろうとしている(ような気がするだけ?)。
 余りの暑さに何もする気にならなかった。ふざけているのではないが夜中に寝返りをうつことさえ面倒になった。
 この日は朝の6時前で31度もあった。無気力になるのも当然だ。
なにしろ何度も書くが寝ている部屋にはエアコンなどという気がきいたものはない。生温い扇風機があるだけである。
 (しかしこの8月24日から少し情勢は変わってきた。夜になると風が涼しくなった。おかげでこの夜扇風機を回して寝た私は風邪を引いてしまい、喉は痛いし熱っぽい)

 話がそれてしまった。まず、暑さの為に無気力状態となり、生活するうえで最低限のことしかしなくなったので、当然ながら余裕があって初めて出来るサイトの更新は全くする気にもならなかった。

 その間にも少し新鮮な出来事はあった。
 8月24日土曜日正午、松野町松丸で行われた「伊予美人ライブ・番外編・映画会『スケッチ・・オブ・ミャーク』」に出掛けてきた。人によって受け止め方は様々であろうが、私にとってこれは凄い映画だと思った。沖縄・宮古諸島に伝わる宗教的儀式を通じてそこに暮らす人たちを描いたドキュメントである。この映画の紹介にしても私がそう感じただけのことであり、監督の意図はまた違うだろうし、見る人それぞれの受け止め方はあるだろう。まあいずれにしても私にとってはかなりズシンとくる映画であった。
 伊予美人ライブが開かれる酒蔵はエアコンはないが、フル稼働の沢山の扇風機と氷を満載した金属の樽の側に座っていたために暑くはなかった。


メダカが孵化した

 夏の初め頃からメダカが盛んに卵をくっつけて泳いでいた。水槽の中の何処かに生み付けているらしいが、確認は出来ない。ほとんど毎日卵をくっつけている。おそらく生み付けた卵は他のメダカかヌマエビが、いや生み付けた母親が食っているのかも知れない。
 だとすれば余りにも残酷ではないだろうか。採卵用にシュロを入れて毎日観察していたが、卵は確認出来なかった。ネットで調べると無理矢理採卵する方法が載っているサイトがあった。以前から水槽のメダカ用に100円ショップでステンレスの小さな金網を買っていた。ある日卵をくっつけたメダカを掬って採卵しようとしたら、なんとその金網に卵を産み付けてしまった。かなり強力な粘着力があって別な容器に入れようとしても離れない。仕方が無いので金網ごと容器に入れた。水槽の中でジャングルのように成長していた水草も別な容器に移して、中の見通しが良くなるようにしては、毎日観察を続けていた。



 そうしているうちに、私にはさっぱり心当たりのないバケツの中で何か動いているのを発見した。



これは感動ものであった。体調3〜4ミリの稚魚が泳いでいるではないか。

思わず「こんにちは赤ちゃん」と口ずさみたくなった。

このバケツは水草を入れていたことには間違いはないが、意図的にメダカの卵を入れていた覚えはない。



こちらの容器には卵の付いた水草を入れた。こちらものぞいて見るとこんまな(ちいさな)メダカが泳いでいた。

昨日、甲子園の高校野球で優勝候補の一つにあげられていた済美高校が花巻東に惜敗した。まあいろいろ悔しい点はあるがまあそれについては沈黙しておこう。ただ、かなりがっくり落ち込んでいた。
 そんな翌日に思いもかけないメダカの誕生があった。おそらく絶滅危惧種に指定されている純粋な在来種のメダカだと思う。私の夢はこれを繁殖させて小川に放流することであるが、さてそう言う小川がどれだけ残っているだろう。


 あまりの暑さに私の頭もおかしくなった。

 昨日面白半分で江川崎まで行ってきたのだが、これにはそれなりに理由があった。7月末から体調が思わしくない。8月に入っても力がでない。サウナ効果を期待して江川崎まで行ったのだが、何の効果もなかった。そんな私をあざ笑うように、今日はついに観測史上最高気温を記録したらしい。

高知で41度、史上最高=6年ぶり更新、3日連続40度超―熱中症に警戒・気象庁
時事通信 8月12日(月)14時4分配信

 日本列島は12日も太平洋高気圧に覆われて関東以西で気温が大幅に上昇し、高知県四万十市では午後1時42分に41.0度を観測して、全国の史上最高を更新した。最高気温が40度を超えたのは3日連続。気象庁は熱中症に警戒するよう呼び掛けている。
 これまでの最高は、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で観測した40.9度だった。前日15日には群馬県館林市で40.2度、翌17日には多治見市で40.8度を観測しており、当時も3日連続で40度を超えていた。
 今回、41.0度を観測した四万十市西土佐用井の「江川崎」では、10日に40.7度、11日に40.4度を観測した。同じ地点で3日連続で40度を超えたのは初めて。
 甲府市も10日に40.7度、11日に40.6度を観測したが、12日午後3時時点では39.1度にとどまった。
 同時刻現在、最高気温の全国2位以下は、浜松市天竜区39.6度、奈良県十津川村と大阪府豊中市39.4度、多治見市39.3度。
 午後2時までに30度以上の真夏日となった所は703地点と今夏最多で、全国927地点の76%を占めた。35度以上の猛暑日は224地点に上った。 

はぁー
.


猛暑体験ツアー

 この数日間、四万十市で40度前後の猛暑が観測されている。
 私の野次馬根性が目を覚まし、早速猛暑体験ツアーを企画実行した。参加者は私と家政婦の二名である。11時過ぎ宇和島を出発して江川崎を目指した。四万十市と言われてもまったくピント来ない、中村市、西土佐村のほうが遙かに判りやすい。
 おそらく道沿いの温度計はないだろうと思って、自宅から温度計を持参した。



江川崎から中村方面に車を進め、大宮との分岐点にある赤い橋を渡った先で車を停めた。ドアを開けると、ムッと熱気が襲ってきた。



橋の途中に、歩行者用のちょっとした広場がある。そこから上流江川崎のほうを見る。



下流を見る。多分目黒川との合流点だと思う。清らかな水である。



カヌーを楽しむ人がいた。


直射日光の下なので参考記録でしかないが、拡大すると。



気温44.3度Cであった。頭がくらくらするので早々に帰った。

思えばアホなツアーだった。


甘いものが食べたい

 約一ヶ月前、血液検査でHb1c(NGSP)が7.9と言う無惨な数字を見せつけられ、糖類、穀物を絶ち、修行した結果6.8まで下げることには成功した。体重も64Kgから61Kgまで減量に成功した。しかしドクターの「良いですね」という嬉しそうな話の後に続いた「このまま続ける事は出来ますか?」というきわめて現実的な質問には私も即答できなかった。
 少し慣れてはきたが、空腹はごまかせない。水を飲んだりスルメをかじってごまかしているが朝から晩まで腹が減っている。
 新聞に入るスーパーのチラシのほとんどは私にとっては危険な食べ物ばかりである。
 もし命の灯火があと僅かで消えてしまうことが判れば、死ぬ前にたらふく食べておきたいリストを作っておこうと考えた。順番は別としてそのリストの中には「ヤマザキ」のランチパックのあるものを加えたいし、水ようかんとシュークリームも入れておきたい。
 カレーライスも捨てがたい。カツ丼も入れておこう。カツ丼は東京味に限る。

 なんで食べ物の話題になったのかと言えば、私が糖尿病になり食べ物が極端に制限を受け、飢餓と闘う毎日が始まったことに端を発するのだが、山田洋次監督の「ふーてんの寅さんシリーズ」の話を友人としたことがきっかけであった。
 東京生まれで東京育ちの通称「金太」という友人がいる。とても東京育ちには思えない野趣味あふれるその容貌から「金太」と呼ばれていた。しかも専攻は仏文科であったことはとうてい信じられない。彼は時代が平成になるまでは恵まれた生活を送っていたが、180度激変してかなりの辛酸を味わう生活をしている。時々メールや電話で近況報告をしているのだが、彼が映画ファンで寅さんシリーズをもれなく見ていたことを最近知った。記憶力がすばらしく、各シリーズの細やかな部分まで覚えている。
 私がこの初夏から寅さんシリーズを見始めた話から、ふと寅さんシリーズでは食卓を囲むシーンは数多くあるが、どれも見る者にとって食欲をそそるものはないな、と言う結論が出た。

 それまでにもこのシリーズでは濡れ場と修羅場が無いことに、私は安心して見ることが出来るという会話をした。そう話ながらも食欲、性欲、暴力=支配欲がどれも人間の持つ原始的な欲望の発露であることに気が付いた。それを押さえた映画を撮る山田洋次の根底には、人としての崇高な生き方の大切さを、教養のない寅さんを通して訴えたいのではないかとも思った。(あじさいの恋でいしだあゆみ演じる「かがり」の足の線を撮った映像は珍しく色っぽい表現であった。この感覚も金太と私は同じであった)

 寅さんシリーズは何作かは見た事があるし、テレビの放送もあったためにおそらく半分くらいは見ていると思ったが、初回から改めて見ることにした。以前NHKBSで48作品の放送があった時に録画していたものを、順番通り見た。テレビ番組を録画してしまうといつでも見る事が出来ると言う安心感からついつい先送りしてしまう。何度も見ているはずなのに、記憶にないシーンが沢山あった。

 いずれ寅さんシリーズを見終わればそれなりに何かの法則でも発見できるだろう。NHKで放送があった時に視聴者アンケートで一番好きなタイトルをあげる時があった。録画が中途半端で解説まで録画していた時もあれば、いきなり映画が始まる時もあった。太地 喜和子がマドンナ役の17作目の「夕焼け小焼け」は第三位であった。一位、二位は見付けられなかったがおそらく浅丘ルリ子がでた「相合い傘」かいしだあゆみの出た「あじさいの恋」ではないだろうかと思った。私の中では「あじさいの恋」は珠玉の作品だと思う。
 なかにはついて行けそうもないものもある。外国人が出てくると日本の下町情緒とは不釣り合いに感じて引いてしまう。24作「寅次郎の夢」などはそうだ。また大阪が舞台になるのにも違和感を感じたが(第27作・浪花の恋の寅次郎)松坂慶子の余りの艶っぽさに違和感も吹き飛ぶとともに、彼女の急死した弟の婚約者に向かって「あんたが一番悲しい思いをしたんだね」と言った寅さんの優しさに満ちあふれた言葉には涙が出てしまった。

 私の周囲には寅さんが嫌いだと言う人が少なからず居る。確かに笑いをとるための低レベルのギャグには反感を持つこともある。しかしそれらを差し引いてもわがままで自分勝手なはずの寅さんの優しい心の琴線に触れると、私はうるうるになってしまう。

 最近見たものに都はるみが出た「旅と女と寅次郎」がある。その前にみたのは田中祐子の「花も嵐も寅次郎」は退屈な映画であった。これでジュリーと結びついたのか、と思いながら見ていた。「旅と女と……」も同じような軽いものだと思っていた。
 しかし見ているうちにだんだん引き込まれてきた。ストーリーは取り立ててどうこう言うものではない。演歌歌手の都はるみ演じる有名歌手京はるみが、葛飾柴又の団子屋の庭先で大勢の近所の人に囲まれて歌うシーンがある。それを離れた処からじっと見つめている寅さん(いや渥美清なのかも知れない)の表情は、それまで見たことがないような思い詰めた怖いものであった。

 私が寅さんシリーズで見る山田洋次の思想についてそう話すと、私よりも遙かに寅さんに詳しい金太も同意してくれた。マドンナ評に関しては金太は作家の娘役の吉永小百合が良いと言った。私は浅丘ルリ子演じるリリーが良いと話すと、あんなはすっぱな女は疲れるよ、とのことであった。金太は映画を見ると完全に役になりきっているので、一般論ではなく自分が寅さんになった場合には清楚な吉永小百合のほうが扱いやすくリリーでは尻に敷かれてしんどい、ということであった。

 食べ物にもどる。寅さんにはよくものを食べるシーンが登場する。バス停で食べているあんパン。駅の食堂で食べるラーメン。とら屋の茶の間で食べる夕餉。どれをとっても私の食欲をそそるものはない。人は食べる為に生きているのではない、と言うメッセージなのだろう。新約聖書マタイ伝四章「人はパンのみにて生くる者に非ず」

 とは言ってもこの暑さに丸永製菓の「白くま」バーアイスが無性に食べたくなった。春先には家政婦の目を盗んで立て続けに三本も食べてしまったことがあった。あれも悪かったのだろうな。ざるそばも素麺も美味しい季節なのだなー。



エアコンを買ってしまった

 ついに暑さに負けてエアコンを買ってしまった。まあエアコンと言っても窓用の安い製品、いわゆる簡易エアコンと言うものだ。
 6月頃に一度購入を検討をしたのだが、家政婦は要らないというので購入を中止していた。本来ならばセパレート型のきちんとしたエアコンが良いのだろうが、困窮生活者の我が家では予算が限られているし、家に穴をあけるという事には抵抗がある。
 ホームセンターのチラシに載っているので現物を見に行った。39000円の値が付けられていた同じものが(メーカーが同じだけで違うかもしれない)近くにある家電量販店で5000円安く売られていた。即決で購入したのだが、その時点でもくろみが崩れていった。車に横積みが出来ないと言うことで配達してもらうことになった。夕方配達してもらったのだが、かなり重い。若い配達の人は軽々と運んでいるように見えたが、私が持ち上げると結構重い。それでも階段では何回も休憩しながら尺取り虫のようにボツボツと一人で二階まで上げた。
 二階まで運んだらエネルギーは使い果たし、設置は翌日にした。
 さて翌日、前日に念入りに取説を読んでいたものの、サッシの枠に取り付ける段階で戸惑ってしまった。キャッチコピーには「取り付け簡単30分」と書かれているが、小さな文字で「個人差があります」とあった。誇大広告のようだ。最近の健康食品の宣伝は実にいかがわしいものが多い。だいたい健康食品では効能を謳って良いのだろうか。効能の横には小さな文字で「個人の感想を述べただけで効果を保証するものではありません」と書かれているものが多い。多分同じものを二回取り付ければ二回目からは30分で出来るかも知れないが、子供の頃にはプラモデル組み立てには絶大な自信のあった私であるが、説明書の書き方には理解できないものが多々あった。
 何とか設置できはしたが、これで良いのだろうか?と言う不安はつきまとう。間違いなく稼働はするし問題はなさそうだが、あの取説には腹が立った。


平成25年8月・暑い!

 夏は暑いに決まっている。しかしこの夜は殊の外暑かった。この日は昼から気分が悪くなって早めに寝ることにした。普通は母が起きていて大音量でテレビを付けているために、母より早く寝ることが出来ない。母の居間の上の部屋で寝ている為に、テレビの音が枕を通して聞こえて来るので、うるさくて母が寝るまでは起きているのだが、この日はとても疲れていたので、それも気にしないで寝た。

 もしかすると私も熱中症になっていたのかもしれない。とにかく気分が悪かった。腎臓尿路結石の不安が消えないために水分は何時も余計に取っている。一日500mlのペットボトルで4〜5本は取っているはずだ。しかし老化のために身体がもろくなっているのは確かだ。

 ある病院の待合室に「人間の命は平等だ!」と書かれたその病院の創立者のポスターがある。理念はまさにその通りである。しかし現実には貧しい者の命は冨のある人に比べて遙かに粗末なのだと思う。

 8月に入っていきなり最高気温の記録を更新した。
 ここは私が寝ている部屋であるが、36.8度になっていた。日中なので夜になれば少しは下がるだろうがアイス枕は必需品になっている。

 最近35度と33度の違いが分かってきた。33度だと少し涼しいと感じる。それが判ると何故か笑ってしまった。何かの本で悲しすぎると笑ってしまう、と言うようなフレーズがあった。馬鹿馬鹿しい生活である。以前北海道に住む友人にマイナス10度とマイナス20度ってどう違うのか聞いたことがあった。どちらも体験した事のない私にはそれほどの違いはないような気がした。友人曰く痛さが違うらしい。30度と33度の体感の違いが判った私は、北海道の氷点下の違いについて尋ねたことが愚問だったとようやく判った。

 それにしても今年の暑さは何だろう!

 しばらく過ぎたある夜寝る前に温度計を見ると32度の時もあった。感覚が麻痺してしまったのだろう。もう写真を撮る気にもならなくなった。

 1975年の6月〜7月にかけて私は北アフリカのモロッコにいた。沿岸部は地中海性気候のために気温の割にはそれほどの暑さを感じなかったが、内陸部での暑さはかなりのものがあった。ある時ルノー・エル・8という小型乗用車で内陸のとある町に向かっていた時のことである。ゆるやかな坂道でいきなり車が走らなくなった。ボンネットを開けると冷却用の水がゴボゴボとタンクの中で沸騰していた。初めての経験だった。気温が摂氏50度を超えた時もあった。日陰はそうでもないが日向に出ると頭がくらくらする。真夏にたき火にあたっているようなものだった。ターバンがいかに住民の生活に大切なものかよく判った。

 今年の猛暑にふと昔のことを思い出した。


先月に戻る

前に戻る


新・独り言のトップ

TOP

これまでの独り言はここ
inserted by FC2 system