心機一転

新・私の独り言


やっと新車が来た

 本当にあわただしい秋であった。笑い話のようになるが、多忙を極める日は重なってしまう。玄関のチャイムが鳴ったとたん電話機がなった。どちらを優先するべきか迷ってしまった。
 先週待ちに待った車が来た。私の身の丈にあった軽四である。新車に乗るのは実に17年ぶりである。その機能の多様さには目を回してしまった。軽四とはいえ驚くような事ばかりであった。ディーラーに行き、それまで親しんできた車を置いて、新しい車で家に帰った。途中ガソリンを満タンにしたのだが、給油口のフタを開けることはすぐに判ったのだが、トリップメーターをゼロに戻す方法が判らない。液晶のメーターには戸惑うばかりであった。液晶メーターと言えば車を動かした時から慌ててしまった。パネルに電気がついているものだから、トンネルに入った時にランプを付けていると錯覚してしまった。後方を見るルームミラーも以前の車より高い位置にあるために慣れるには時間がかかった。

 しかし軽四とは言えかなり快適な走りをする。私に車の運転の楽しさを思い出させてくれた。コンピュータの発達による合理的な方法は時に老人を困らせてしまう。
 ある雨の日買い物に行くのにワイパーを付けたのだが、以前の車は左のレバーでワイパーを作動させるには大きな角度だった。一番上が停止なので、終了する時には一番上に上げればよかったのだが、今度の車では上にすると間欠ワイパーになってしまう。駐車場入ってワイパーを止めたつもりが時々動いてしまう。これには参った。止めてマニュアルで調べたら、停止の位置は上から二番目になっていた。しかも角度が狭い。
 ホーンもこれまでの車に比べて堅く、鳴らしたつもりがまったく音が出ない。乗り始めて数日経過しても自分の車のクラクションがどんな音なのか判らない。町中で音を出すことはためらわれるので、成川に行って誰もいない所で鳴らしてみた。やはり軽四の音だった。

 同じ車のマニュアルはグレードが多種あってもはたいてい一冊ですまそうとしている。従って良く読まないと私の車には関係ない記述がある。ロービームのライトの角度を微調整するダイヤルがついていると書かれていたが、そんなものは何処を捜しても見あたらない。よく見ると私の車種にはそれがないことが書かれていた。
 トリップメーターも脇にあるボタンを押すたびに内容の変わる表示であることがようやく判った。運転し始めた時に600km辺りの数字があった。うちに来る前にそれだけ乗っているのかと最初思ったが、それが現在のガソリン容量で後600km走れるという意味だった。走るたびに燃費が表示される画面もある。この17年間に私の知らない世界が広がっていた。驚いた私が友人にその事を話すと、世間ではそんなことは常識になっていたらしい。私は浦島太郎になっていた。
 確かにいろいろなものが発達して便利にはなっているのだろうが、その便利さが人間から考える力を奪ってしまうのではないだろうか。(11月20日)


デスクトップ・アウト

 昨日車の納期が決まったと連絡があった。それは良いのだがついにデスクトップのPCが動かなくなった。多分電源ユニットが悪いのだろう。いつも御世話になっているマウントさんに電話をして新品に交換してもらうことにした。ついでにメモリー増設スペースが一個だけ空いているので中古のメモリも増設してもらった。さすがプロは仕事が速い。見ている前で簡単に交換、増設をしてもらった。

 少し肌寒いが天気も良い。気分は爽快と言いたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。デスクトップの後部のケーブルを付けている途中で、いきなり母が体調不良を訴えてきた。息苦しいとのことだが昨年の状態の再現である。行きつけの病院に連れて行ったが別に身体に問題はない。この時点で私の都合は暗転し始めた。いつもだと病院への送り迎えだけで良かったのだが、それも毎日連れて行っていたのが医師からの話で週に一回でよくなり、私の負担が軽くなったと喜んでいたのも束の間だった。これからは認知症が進み始めたので母を一人には出来なくなった。これからはますます手がかかることだろう。このような問題を抱えている人は全国に沢山いることだろう。


新車の納入が近づいた

 9月の初めに注文していた車が来週来るとディーラーから連絡が入った。もう普通車は経済的に大変だから軽四に替えることにした。いろいろと食指は動いたが、結局ホンダのN−boxターボに決めた。車種を決めてからは寝る前にカタログを見る毎日であった。
 それまで17年間乗っていたCRVはエンジンも車体もボロボロになっていた。燃費は一番良かった時でリッター14km走ったこともあったが、最近では高速を走っても10kmそこそこ、市内だと7kmになっていた。下取りには不向きになってはいたが、あちこち傷がついた車体を洗っていると様々な苦楽をともにした思い出がよみがえってきた。東海、関東、紀伊半島、沖縄は結局未踏の地に終わったが、それ以外の日本各地の道にはこの車の轍が残っている。
 
 経済的なことが軽四に替えた最大の理由であるが、弱い者いじめのように軽四の税金も値上がりになりそうだ。私は本当にタイミングが悪い人間のようだ。

 先日夜中に目が覚めてから眠れなくなった。NHKの「ラジオ深夜便」を朝まで聞いていた。昭和30年の歌謡曲特集の放送があった。怖ろしいことに、流れる曲のほとんどがイントロから覚えているものばかりであった。「おばこマドロス」と言う曲だけは聴いたような気はしたが知らない歌だった。島倉千代子の「この世の花」も流れていた。それを耳にした四日後に彼女が亡くなったと知った。何だか切ない思いがした。私は彼女の歌では「あの橋の畔で」と言う映画の主題歌か挿入歌か知らないのだが、「夕月」と言う歌と、ラジオドラマ夜光虫の主題歌「遠い人」と言う歌が何故か強く印象に残っている。「哀愁のからまつ林」も良かった。CDではステレオになったリメイク盤よりは古いオリジナル盤のほうが好きだ。

 あの頃はまだポップと言う言葉もなかった。「洋盤アワー」と言うラジオ番組があったような気がするがとにかく日本の歌は全部流行歌であり歌謡曲と言われていた。平尾昌明、山下敬二郎、ミッキー・カーティスが日劇のウエスタンカーニバルでキャーキャー騒がれていた時代だった。あ、そうかロカビリーはあったんだ。
 私が流行歌を口ずさむと母は顔しかめていた。そうだろうな、意味も分からず「粋な黒塀、見越しの松に……」と大声で歌って居たのだから。(11月8日)


二度目のESWL(体外衝撃波砕石術)

 9月14日に激痛を覚えた腎臓尿路結石は19日にESWLの処置を受けたものの残骸を体内に残したまま二ヶ月目を迎えることになった。その間実に様々な出来事が私の周囲に発生した。
 旅から帰って間もなく老母は見つかった肺ガンの検査のために市立病院に短期間入院となった。私にとって初めての経験となったが、なんとか無事退院にこぎ着けた。その間も私自身の検査のために何度も市立病院に通うことになった。これまで、昨年末に孫が入院した時初めて新しくなった市立病院の中に足を踏み入れたのだが、7階の病棟に見舞いに行く程度のことだったので、詳しい様子は全く分からなかった。自分が治療で通うようになって、初めて巨大な病院のシステムが判り始めた。
 これは凄いシステムだと改めて感じた。情報管理と合理化は驚くばかりであった。患者は番号とバーコードで管理されているために初めての人間には戸惑うことばかりであった。
 母が入院をして初めて、東館と西館に分かれていることを知った。建物は卍の字の二辺がない形をしており、エレベーターを基点として左と右がまったくそっくりに作られている。入院病棟でエレベータを下り左右どちらに行っても面会室、ナーススーション、病棟となっている。違いは柱の色がオレンジかグリーンになっているのだが、私は全く気が付かなかった。色の違いに気が付いたのはなんと方向音痴論理的思考ゼロの我が家の家政婦だった。
 
 余談になるがこのことから私はふと民話に出てくる家を見分ける話で、屋根にカラスがとまっている家という見分け方をする男のことを思い出した。

 母が退院をしてから間もなく、今度は私の結石の様子を調べてもらうためにまた市立病院に行った。いくらなんでももう出ているだろうと思っていたら三週間前の位置から少し下がり、それまで二個だった影が小さな四個ほどになっていた。どうするか医師から聞かれ、このまま抱え込むのも面倒なので、またESWLをしてもらうことにした。しかし、前回は仰向けで背中に音波を当てられていたので姿勢は楽で、リズミカルな刺激も身体の奥深い感覚だったのでそれほどの痛みは感じず、眠りそうになっていたが、今回はそうは行かなかった。
 まず、姿勢はうつむきで、場所も股関節に近いところで、しかも複数の場所にあるため刺激も強く、眠ることなどとうてい不可能だった。多分五カ所ほど対象の攻撃場所を動かしたと思う。ある箇所での照射が終わり静かになり、器械がウイーンと移動を始めると、そのたびに私は身構えなければならなかった。今回は気持ちのよいものとは言えなかったが、なんとか粉々にしてもらったと思っている。

 それにしても何度も驚くのだが、市立病院のシステムというのはたいしたもんだ。再診手続きから支払いまで診察カードがあれば人の手を患わすことなく済ませることができる。待合室でも待っていれば自分の番号が大きなモニターで出て来るのでそれから診察室に入れば良い。だが、それが理解できるまでは訳の分からないことばかりであった。老人には寂しいシステムに違いない。待合室がいくつかの科目と一緒になっているところがあるので、自分が受診する科目についてよく監視していなければいけない。

さらば愛しき女よ Farewell,My Lovely

 今年の春 初めて疲れを感じ 年を取ったと思った。
多分ロスの不快な気候やくだらない依頼のせいも 何しろ行方不明の夫や妻を捜し回る生活だ ただ金のために
 本当はやはり年を取って疲れたのかも………
唯一の楽しみは ジョー・ディマジオの連続ヒット記録の更新だけだった。

 ロバー・ミッチャム演じる私立探偵フィリップ・マーロウを主人公にしたチャンドラーの傑作小説を映画化したものを見た。上の文字は映画の冒頭に主人公がつぶやく言葉である。

 私は子供のころはこのロバー・ミッチャムが好きではなかった。いやそれどころか嫌いな部類の俳優であった。この嗜好は年とともに変化してきた。ジョン・ウエンも子供の頃は好きだったのだが、その無神経さや暴力至上主義のような雰囲気に次第に嫌悪感を覚えるようになってきた。(これらはあくまでも私の個人的な受け止め方)
 
学生の頃によく見た東映のヤクザ映画でも分別くさい鶴田浩二よりは単純な行け行けどんどんの高倉健のほうが遙かに好きであった。
 しかし歳を取るに連れ、紆余曲折したような人生を感じさせる鶴田浩二の様々な表情には実に深い人生を感じるようになり、その好感度は逆転した。私にとっては 「単騎千里を行く」 が彼の最後の映画であり、それからは画面には出て欲しくないと思うようになった。あの年老いて呂律も回らなくなった人間をさらし者にはして欲しくないと思うのである。これ以上書くと健さんファンに文句を言われそうなのでけなすことはここまでにする。

 話をフィリップ・マーロウの言葉に戻す。ケーブルTVを録画して見直した時、この台詞は見事に今の私の胸に響いてきた。ずっと以前に見た時にはちょい役に出ていたシルベスタ・スターローンを見つけて大はしゃぎぢたことがあったが、この台詞のことはまったく記憶に無かった。

本当はやはり年を取って疲れたのかも………

悲しいけれどこれが現実なのだろう。

3/11以来中断していた部屋の片づけはまだ先が見えない。子供の頃から集めてきた切手も元気なうちに処分しないとただの紙くずになってしまう。そうかと言って過去のものだけに拘っていると時代が見えなくなる。

 メダカは孵化した時のサイズから大きくなっていない。あんなゴミクズの大きさでバケツの中で冬を越して大丈夫なのだろうか。


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