心機一転

新・私の独り言


行く年来る年

 今年は私にとり大変な年であった。糖尿病と言う未知の病と戦うハメになるとは昨年の暮れには想像すら出来なかった。糖質制限食を守ることでヘモグロビンA1Cは5.4まで下がった。年末にはつい甘えて、久し振りに饅頭を食べてしまった。懐かしいあの甘さには参った。大晦日にはこれも自分を甘やかして年越しそばなんぞを食べてしまった。1月半ばに検査があるから楽しみである。数値の変動がなければ、ある程度の食事の幅が出来てくる。逆に上がっていれば私の自己管理が不徹底だったことの証明になる。

 今年2013年の私的十大ニュースを考えたが、やはり糖尿病の文字の存在が大きく、10も浮かんで来なかったから、十大ではなく重大ニュースとしよう。

@ 糖尿病発覚
  歳をとると食べることが最大の楽しみになるが、それを失ったことは私の今後の人生に大きな影響があることだろう。

A 腎臓尿路結石でESWLを受ける。
  これも生まれて初めての体験であった。肉体的にも痛かったが懐も痛かった。

B 新車がきた
  四度目の新車が来た。乗廻は楽だが良いことばかりとは限らない。目が痛くて目が痛くてたまらない。一緒に乗っている家政婦は臭いは気になっても、私のように目が痛くなることはないから、個人的な体質の問題なのだろう。年末になって臭いは感じなくなったが相変わらず目が痛い。

C 猫の入れ替わり
  フクが居なくなってからしばらくしてガリがやって来た。オスの子猫は仕草の全てが可愛く思える。

D久し振りの上京
  この中に含まれる課題だけで十以上あるから、まとめて「上京」でくくるが、東京の町の様変わりには驚くばかりであった。そう言った中で私が居た頃の地下鉄「日比谷線」「丸ノ内線」「銀座線」の乗り換え駅の懐かしかったことはひとしおであった。「国会議事堂前」での乗り換えの為に歩く長い道の一歩一歩に50年前の思い出がよみがえった。地上はもう私の知っている東京ではなかった。

等々思いは尽きぬが、今年の厄払いを兼ね曹洞宗・東光山永昌寺へ除夜の鐘つきにそろそろ出掛けることにする。先日墓掃除に行くと境内にポスターが貼ってあったので行こうと思っていたが、風邪気味なので一度は断念したが、まあ行ってみるべーと思い直した。
このように最近の私は実に優柔不断になった。いや、昔からそんな傾向はあったのだが、これほどまで煮え切らないとは我ながら情けなくなった。

 来年は皆さんにとって良い年になりますように。合掌

シックカー症候群A

 車がきてから一ヶ月も過ぎるのに、未だに目の痛みが消えない。乗るまではなんともないのだが、しばらくすると目が痛くなる。一時は治っていたつもりだったが、寒いのでどうしてもエアコンをつけしばらく走るとたまらなく痛くなる。車を降りてもその日は寝るまで痛む。効果があるかどうかは不明だが点眼薬の「ヒアレイン」「サンコバ」を使っている。痛みを感じるだけではなく視力にも悪影響があるらしい。視力がおかしくなったと感じてメガネ屋に行って調べてもらったが、屈折率は以前メガネを作り直した時と変わらないと器械での測定がでている。
 夏場だと窓を全開で走るのだが、この寒い時期そんなことをすると「エセカン」に見える。(エセカン=お調子者)

 エセカンで思い出した。私の友人は Facebook や mixi は馬鹿発見機であったり製造器であると言っている。実にその通りだと思う。なにもそれを利用している人全てそうだと言うことではなく、見事にその人物像をあぶり出している場合がある。
 私もたまに利用している一人なのだが、出来るだけ友人を作らないようにしている。1000人以上も友人のいる人を知っているが、果たしてその全てが友人と呼べるのだろうか。稀薄な現代社会の人間関係がここに見えてくる。多い人ほどつぶやく言葉は空虚でうわべだけしか見ていないことがよく判る。評価するのに「いいね」と言う単語があるが、自らそれを要求してくる人がいることには驚いた。自慢話をする人は世間がどんな気持ちで聞いているのか考えたことがないのだろう。

シックカー症候群

 新しい車には独特の臭いがある。好ましい臭いではない。その程度の認識しかない私だったが、新車に乗るようになってからこれまでになかった違和感を感じるようになった。まず目が痛くなった。情緒も不安定になってきた。ここで一番下に書いた長い髪の少女を思い出し、涙するようになったのは、単なる初冬の感傷ではなかったようだ。
 http://fu-cube.info/100/
 
シックハウス症候群と言う話は聞いたことがあったが、車でもそれが起こることを初めて知った。目が痛いのは乗り始めてすぐに気が付いた。寒空の中で出来るだけ空気の入れ換えをすべく窓を開けて走っている。一度はきれいになったと思っていたがしばらくするとまた目が痛くなってきた。化学物質はすぐには消えないようだ。ただ人によっては敏感な人種と鈍感な人種の違いがあるらしく、私が目が痛くなっても同乗している家政婦は平気らしい。
 目の痛さは車に乗っている時だけではない。一度痛くなると下りてからでも目は痛い。目薬を使ったりするのだが回復するのに一晩はかかる。
 私は車から離れることで影響は薄らぐが、シックハウス症候群の人は大変だろう。個人差があるだけに判断は難しい。犬のコナンも過敏なようで、車の排気ガスを感じるだけでクシャミをしてしまう。


怖ろしいドライバーを目撃

滑床に行く途中、目黒の先で前方を走る車が奇妙な走り方をしていた。

高齢者ドライバーだと思われるが、狭い道路とは言え、キープレフトの

原則を忘れて、まるでアメリカのように道路の右を走っているのである。

友人がそれをユーチューブにアップしたので紹介。

https://www.youtube.com/watch?v=gBc0YwQmZvw

https://www.youtube.com/watch?v=L7bxyCywoB0

おまけ

狭い道での離合も大変だった。まっすぐにバックすれば

簡単に離合できる広さになるのだが。本当に接触寸前だった。

https://www.youtube.com/watch?v=EFLwqS_yWho


滑床に行った

 友人に誘われて久し振りに滑床に行った。駐車場の少し先に大きな紅葉の木があった。もう葉が落ちているかと思ったが、ご覧のようにきれいに色づいていた。 

 歩いた時はポケットにコンデジを入れていたのだが感度が鈍いでいか山の中で撮ったものはほとんどブレていた。夕方山から下りてここに戻った時は薄暗くなっていた上に、電池まで消耗して撮ることが出来なかった。翌日車に慣れることも兼ねて再度滑床を訪れた。緑の中の僅かなカラースポットだった。

上目黒の田で野焼きをしている煙が何故か懐かしく思えた。

 二日目に写真を撮るため、滑床に向けて車を走らせて居た時、スピーカーから流れてきたのはザ・ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」(1968年・橋本淳作詞・鈴木邦彦作曲)だった。まあ私がUSBメモリーの中に入れていた曲の一つだから、、それが流れてきても当然ではあるのだが。
 その曲がヒットしたのは45年前であった。その頃私は東京の片隅に住んでいた。そして中部地方出身の長い髪の少女と知り合った。理由があって彼女は間もなく郷里に帰った。帰ってからもずっと電話や手紙での交流が続いた。私が田舎に帰った後彼女は地元で結婚し子供も生まれた。年賀状程度の交流ではあったが、小さな情報の交換は続いていた。ある年の夏私はその地方の近くに行く機会に恵まれ、コーヒーでも飲めたら良いがと思い、彼女の家に電話をしてみた。娘さんが出て「母は脳卒中で入院しています」と告げた。
 それは大きなショックであった。人は何時どんな災難に出会うか判らないが、病気で倒れたと言う話を聞いた時はまだ50代前半であった。おそらく意識はないであろうし、若い時の面影しか残っていない人の病床の姿は見たくはなかったし見るべきではないと思った。長い髪の少女の思い出はそこで閉じることにした。

 この曲を聞く度に昔の事を思い出す。以前は涙することは無かったのだが、最近は本当に涙もろくなってしまった。そしてそんな私の老いさらばえた姿に涙するのであった。
 


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