心機一転

新・私の独り言


四万川の「龍王宮」に行った

 今年も四万川の龍王宮に初詣に行った。本来ならばもっと早く行きたかったのだが、いろいろ手間取る野暮用がかさなり最後の土曜日に出掛けた。国道197号線を下西の川から左折した途端に交通整理のおっちゃんが旗を振っていた。おっちゃんは赤と白の二本を丸めてて持っているので一瞬どちらが正しいのか理解できなかったが、取りあえず止まって「四万川まで行きたいのだが」と尋ねた。
 さっきまで工事を休んでいたが30分たたんと通れんぜ、と言うことだった。暇で話し相手が欲しかったのか、「さっき止めたのに無視して行った車がいた」と話しかけてきた。「ちょうど掘るのをやめていた時だったので通れたみたいだが、危ないやつだ」と愚痴を言った。檮原の町まで出て県道を通ったら良いと言うことでまた国道に戻り、言われた通りに檮原の町まで出て県道を四万川に向かった。途中先ほど通った道が合流する三叉路では橋の手前で別な誘導員が手持ち無沙汰な顔で立っていた。
 ところが、また県道が通行止めになっていた。そこの誘導員に四万川まで行けるかどうか尋ねると、地元の人間ではないから四万川がどこか判らないと言う。郵便局のあるところと言うと、川を挟んだ反対側の迂回路があるから行けると言うことだった。ワシは地元やないがで地名は知らんが、郵便局のある所は知っている、と弁解しながら教えてくれた。

 この辺りまで来るとカーブを曲がった日陰には雪が残っているところが出てきた。

 何とか龍王宮の下の駐車場までたどり着いた。人影は全く見られなかった。狭い道だが神社の側まで急な道がある。CRVでも何とか通れたから軽四なので楽勝だろうと思っていたが、どっこい、そうは問屋が卸さなかった。
 いきなり道路に雪が現れた。

 スタッドレスタイヤと言っても、べた雪でしかも傾斜がきつい。CRVではこの程度の雪は苦にならなかったが、前輪駆動だけではスリップしてここから先へは進めなかったので、車を広い場所に止めて少し歩くことにした。

 長い石段を登りつめると境内に出た。先日降った雪が残っており、人の足跡はなかった。

 社務所の横に原型に近いと思われる檮原の特徴のある牛鬼が置かれていたが、暗いので写真には撮らなかった。

 以前も何処かで述べたと思うが、この龍王宮に初めてきたのは、まだバイク仲間のムラカミさんが健在の時だった。2万5千分の1の地図に長い階段が記されていたのを見てここに行こうと相談をした。越知面から林道をバイクで通って四万川に来てここに来たのは秋だった。当時は越知面からいきなりダートだったがいつの間にか舗装がされてしまい、魅力に欠けてからは余り走ることもなくなった。「ハヤブサのヒデさん」と異名をとるムラカミさんが病気で亡くなってから13年は過ぎようとしている。一時はバイクにのめり込んでいた私だが歳を重ねるに連れバイクに対する気力がなくなった。車で山の中を通るとふとムラカミさんのことを思い出す。(1月27日)


尻割山に登った

 21日の午後、丸山運動公園から大引尾根を歩いて尻割山に登った。山のベテランマッコイT氏とコーヘーチャンが同行していたので非常に安心出来る山行だった。もうすぐ70歳に手が届こうかと言う私にはこの尾根道はかなりきつかった。馬鹿な私はペース配分を考えずに何時も「痩せ馬の先走り」になってしまう。この日もそうだった。
 テレビ局によってかなり異なっていたが、前日の天気予報ではこの日は雨の予想であった。しかし曇ってはいても雨の様相はなかった。12時45分に歩き始めた。気温はかなり低く、途中から時折雪が舞い降りる状態だった。この道は尾根をほぼまっすぐに登り、展望も良くないので私としては余り好きな道ではない。二人のベテランは私の体力を気にかけて、ゆっくりとしたペースで進んでくれた。
 ようやく四本松についたのだが、残酷にも尻割山まで行こうと提案された。ここから更に続く尾根道は私の最も苦手な道である。二男が幼稚園の頃二人の息子を連れて登ったことがあったが、もう私にはそんな馬力はない。命の水を経由して林道を歩こうと言う提案に渋っていた私もついていく事にした。
 四本松を過ぎる頃から次第に雪道になってきた。雪の表面には何種類もの動物の足跡があった。
 若い頃には歩くとすぐに汗をかくほど新陳代謝の力があったが、その能力も衰えてきたようだ。少しは汗ばむが一向に身体は温まらない。休憩した時に着込んだダウンジャケットを来たまま歩いた。山頂に近くなると道は完全にアイスバーンとなっていた。滑り止めを持っていなかったので下る事を考えると怖くなった。雪は降ったりやんだりしていた。ようやく山頂についたが町は雲に隠れて見ることが出来なかった。最近は車で林道を走り、少しばかり歩いてここに来ていたので徒歩で下から登ったのは何十年ぶりだろう。などと思っていると突然雲が切れて海が見えた。
 ポケットに入れていたコンデジをかじかむ手で取りだして何枚か写真を撮ったが、この日はここ以外でカメラを出すことはなかった。

 丸山に下りたのは6時前だった。筋肉痛が心配だったが、老化のせいだろうか、翌日、翌々日になっても若い時のような筋肉痛が出てこない。マッコイT氏は翌日筋肉痛に悩まされたそうだ。


新年に思うこと

 
 明日は大寒だと言う時に改めて新年などと少々場違いな文章になりそうがだ、まあご容赦を。
 昨年は猛暑に襲われたり台風多発や各地の豪雨など異常気象に見舞われた厄災の年であったが、今年は我が家にとっても暗雲立ちこめる年になりそうな予感がする幕開けとなった。
 まず元日に配達される年賀状が例年に比べていやに少ない事からそれは始まった。
 最近出来るだけ年賀状を少なくしたいと言う考えから、なるべく親しいと思う人でもその数を減らし続けているのだが、頂いた人には差し出すことにしていた。ところが毎年来る人から来ないようになった。10人ほど来ていない。???と思ったのが正直なところであった。
 以前何でこの人から年賀状が来るの?と思うような人から突然来て返事を書いてからずっと着続けていたが、理由も判らないまままた突然途絶えたことなどあったが、まあ来なくても結構な関係だから別にそれはそれで良いのだが、10人も来ない人が出てくると、私は何か不都合なことをしでかしたのかなどと気になってしまった。
 そのうち三人からは年末に家族に不幸があった旨の挨拶が後日届いた。また10日頃までにはポツポツと来たが、二人からは来なかった。
 身内に不幸のあった人でも商売をしており、私を客として考えている律儀な人からはきちんと来ているのだから、やはり私は嫌われているのか、などとひがんでしまう。おそらく当人達は出したつもりなのだろうと思う他ないだろう。
 仕事始めの6日、母を病院に連れて行こうとした時悲劇が起こった。いつものように車に母が乗るように後部ドアを開けて運転席にいた私は母の姿が突然消えたことに驚いた。急いで外に出て後ろに回ると母が左後部の駐車場に倒れていた。急いで起こそうとすると痛みを訴える。老人なので骨折を疑った。その日行く予定にしていた病院ではなく市立病院に行くように予定を変更して家政婦を呼んだ。 
 頭の中では救急車を呼ぶことも浮かんだが、自分の車で行く予定にしていたのでまさかそんなことも出来ない。
 なんとか車に乗せて市立病院に着いたのは午前10時頃だった。私が病院の駐車場に車を回している間に総合受付の看護師さんに様態を見てもらったら緊急を要する外的な所見はなさそうだということで一般外来として順番を待った。仕事始めと言うことで病院は通常にも増して混雑を極めていた。レントゲンを撮ってもらい、別に問題はないと言われて帰宅したのは午後三時だった。もし私一人だったら手こずったことだろう。何も無かった事は不幸中の幸いと言える。
 ただ、足の弱った母の事を考えて車も車高の低いものに変えたのに何故転倒したのだろうと不思議に思っていた。その翌日かかりつけの病院に行く時に母の乗り込む様子を見て謎が解けた。ドアの横に乗り込む人が持てるようにハンドルがあるのだが、母には手が届かず、母は助手席の椅子の背中に手をかけて乗るようにしていて、その手が滑ったようであった。
 何か良い方法はないものだろうか考えて、ロープで小さな輪を作り助手席のヘッドレストに通して短めの取っ手を作り、不要になったはずの踏み台を使い、それまで運転席で母が乗るのを待っていた私は車外で乗り込むのを見ることにした。仕方がない。
 そう言う事があってから、市役所の高齢者福祉担当の人に相談して介護認定を受けることにした。これまでは要支援1と軽いものだったがおそらく進んでいることだろう。

 私にしても安心出来ない。今の私本人が1年前の私ではなくなっている。運動能力、思考力の低下はかなり実感している。三つの事をするつもりで準備していても二つの事しか頭に入っていない。図書館に借りた本を返却するつもりで、本を玄関に置いたまま出掛けたり買い物をしてレジでお釣りを貰う事を忘れそうになるなどざらにある。手紙はなるべく下手な文字でも手書きを心掛けているが漢字が出てこない時がある。家なら辞書を見れば判るが、外でしかもいきなり他人の目の前で書く時は文字ではなく恥をかきそうになる。
 介護認定の申請書を書く時担当医の名前がきちんと出てこなかった。まあ全体的な雰囲気はこんなものだろうと、崩して書いてしまった。これでは駄目だと思いタブレットで「漢字テスト」をしていて、昆虫の昆がいきなり出てこなくなった。
 もう一度小学生の漢字ドリルを勉強し直さなければいけない。

 そもそもこれを書き始めた時には、他に何か書こうと言う気持ちがあったのだが、それが何か忘れてしまった。もう今年も1年の24分の1が経過した。

 そうだった!私はブロガーではないから毎日更新するなんてことは考えていない。今年に入ってなかなか気分がのらなかった。で、それでもこんな事やあんな事を書こうかといくつか頭に浮かんでいた事があったのだが、冒頭の母のことですっかり忘れていた。
 先日二ヶ月ぶりに糖尿病の検査をしてもらった。HbA1cの数値が上がっていた。しかしそれは全て想定内のことだった。7月が7.9と完全に異常であった。その日以来かなり自己規制をして8月には6.8に下がり9月5.5、10月5.4、11月5.3と言う良好な数値であった。
 その結果に気をよくした私は年末に「年越しそば」を口にした。半年ぶりの麺類であった。それ以来堰を切ったように、これまで口にしなかったものを食べ始めた。唐饅頭、大番等久々の甘露であった。極めつけは北海道のラグノオEFと言う会社から出されている「ポロショコラ」と言うお菓子であった。自分でもこれはアリ地獄に落ちたアリだと思ってしまった。ずっと我慢して家政婦が美味しそうに食べるのを横目で見ていたのだが、1月の検査でどの程度上がるのだろうと言う崇高な精神が、我が身を犠牲にする実験に踏み切ったのであった。
 それでも初めは口にするのは一日に一切れであった。それが二切れになりついには一日一箱(5切れ)になってしまった。何故かこのお菓子は宇和島ではあるスーパー一軒しか置いていない。しかも家政婦の話では常備在庫と言う訳ではないらしい。陳列棚から消えると次にお目にかかれるのは一週間先か一ヶ月先か不明だと言う。ある日「これが最後だった」と三個も買って帰ったのは年末のある日だった。
 年が明けても発見出来ない。私はメーカーに電話をして宇和島近辺で売っている店を聞いたが、新居浜では置いている店舗はあるが宇和島近辺では置いていないと言うことだった。
 今となってはあの甘い味が懐かしいが、これも意志の力を試されているのかも知れない。
 1月に調べてもらった数値は5.6だった。薬も飲まないでこの数値なので(参考正常値4.6〜6.2)また忍耐の日々を送るしかないのだろう。先生の話では週に一回程度だったら良いでしょうと言うことだった。

(平成26年1月19日)

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