心機一転

新・私の独り言


部屋の片付け邁進中

 おそらく若い頃なら三日もあれば目途のついたであろう部屋の片付けはもう十日以上もたつのにもまだ完了しない。動作は緩慢な上に目がはっきり見えない。
 おまけに部屋が狭いので右のものを左に移し積み重ね、あるいはその逆、ひどい時には堂々巡りになるので、どこに何を置いたのかさえはっきりしない。

 机の引き出しの中には驚くようなものがある。
四十歳に手が届こうかというような息子の幼稚園の頃の写真が出てきたりする。これもひとえに私の怠慢からきたものだろうが、目が見えないことが一番つらい。
 車はメガネをかければ運転には差し支えないのだが室内のものを探すのはなかなかしんどい。

 本来ならば、A、B、Cと三つ揃って使うはずのものが、バラバラに出てくる。例えばCDプレーヤーの本体とコードがとんでもないところから別々に出てくる。それを発見して今度はきちんと置いておこうと思って保存しているつもりが、また見失ってしまう。
 そんなこんなで四苦八苦したが、なんとか目途がつき始めた。
 古いウィンドウズ98も処分することにした。息子の使っていたドデカホーンと言う馬鹿でかいCDプレーヤーはじめ私の使っていたプリンタ、スキャナ等々も処分した。以前はいくらかもらったものが最近は処分するにもお金がかかってしまう。

 それぞれの品にはそれぞれの思い出があるのだが、もうそんなことを言っている場合ではない。
 毎日朝から晩までの作業で腰が痛くなった。それにしても本当にわが身の愚かさにはあきれてしまう。
 百均で買ったものがなんと多いことか。それもほとんどゴミになっている。百均で唯一まともに使えそうなものは、クリアファイルとファスナーの付いたビニールの小袋くらいであろうか。これは重宝する。他にもいくつか便利だと思うような商品があったと思うが、余りにもゴミを買ってしまったと言う悔しさで忘れてしまった。とにかく単価が安いのでつい買ってしまった我が身の愚かさばかり気になる。

 何で突然整理を始めたのかといえば、長年集めてきた切手を処分しなければと思い立ったことがきっかけだ。家政婦からあんたが死んだらただの紙切れにしかならないから、価値の判る時に処分をしろと生意気に言われた。
 計画では切手、山、写真等自分の趣味とこれからも元気なうちに勉強をしたい歴史関係のことをきちんと仕分けするつもりだった。

 切手に関して言えば、若い頃には老後はのんびりと切手の整理をしたいと考えていた。しかし状況は思わぬ方向に進んでしまった。最大の問題は老眼が進み細かいものが見えにくくなったことである。これは想定外のことだった。
 私たちの世代はいわゆる「グリコブーム」の落とし子で、たいていの人は子供の頃に一時期切手を集めていたと思う。切手に興味のない人でも「見返り美人」とか「月に雁」などの切手の名前はご存知だろう。これは切手趣味週間の記念切手としてそれぞれ150万枚、200万枚が発行されたのだが、切手ブームが起こると昭和33年(1958年)には切手趣味週間に発行された記念切手は驚いたことに2500万枚と言う十倍もの数が発行された。
 当時の日本郵政省はこれは儲けると思い発行枚数を増やした訳であるが、この頃以降の切手は「額割れ切手」と呼ばれ、額面が10円の切手でもコレクターが処分をしようとした場合8円のものなどまだましで、半額以下のケースもでてきているようだ。
 
 私の場合投機的な考えはほとんどなかった。むしろ小さな紙切れ一枚が貼られた封筒が世界の各地に無事故で届くという制度への魅力に惹かれた。横文字で書かれた外国の切手は美しいものが多く、特に初めて目にする凹版で印刷された切手には驚いた。外国ではたまに切手を剥がされてしまう郵便物があるらしいが、日本の郵便制度は時刻表通りに運行される鉄道と同じように日本が世界にお誇るべき制度だと思う。切手に関して言えばきりがないのでまた別な機会に。

 切手の処分が事の発端だった。話が横道にそれてしまった。
部屋の片付けで最大の問題は目が見えくいと言うことに加え、やたらと紙切れが多いことだ。私の世代ではものを大切にするという観点から、使って終わったカレンダーの裏等をメモ用紙に使うことが習性になっていたが、その手製のメモ用紙のなんと多いことか。

 少し離れると紙切れと言うことは判るが、それが大切なものなのか単なる記録なのかがさっぱり判らない。狭い部屋のあちこちに紙のブロックを作ってしまった。しかも考えるよりも先にその辺りに適当に置いてしまう。この前などインスタントコーヒーの空き瓶に五百円玉を貯めているのだが、それが行方不明になってしまった。消滅した訳ではないのだが、十円玉、五円玉、一円玉を入れたものはそのありかが判ったのに、白銅貨だけ見失ったのは癪に障った。その後発見したのだが、そう言ったことは最近の私には日常茶飯事である。
 
 私の一番悪い習癖は物の手前に物を置いてしまうことである。これは私に限ったことではない、我が家の家系なのではないかと思う。家政婦さえもがそれを見習って、押入れの前に物を置く。押入れの中は多分空っぽなのだろうが、その手前には物が乱雑に置いてある。
 父が残したものに沢山の歴史専門書がある。たまに私が調べたいと思っても、母が本棚の手前にいろいろな物を山積みにしているために目的の本に到達することさえ出来ない。

 こうして狭い部屋をさらに狭く使っているのである。部屋の片づけを始めて久しぶりに部屋の向こう側にたどり着くことが出来た。大げさだが本当である。まだ完全に片付いていないために、部屋の中を歩くときにはそっと足を出さないといけない。先日はうっかり電気のタップに触ったようで予約録画がふいになってしまった。猫が部屋に入るとよくそう言う事があるために猫は立ち入り厳禁にしているのだが、私本人さえもがそれをやらかしてしまった。

 部屋の奥からは息子が子供だった時に残したものが出てきた。今私がいる部屋は次男が使っていたが、ここの片付けば今度は長男がいた部屋の片付けが待っている。長男が出てから数年経過したが、家政婦がきれいにしているもだとばかり思っていたら、大きな間違いだった。

 どうにか目途がついたので、久しぶりにPCをつけた。セブンにも慣れなければいけない。

 目の悪さにも増してもともと悪かった頭がさらに悪くなった。
 今もノートの7で文字だけテキストでうち、USBメモリでデスクトップのXPに移そうと取り外したのは良いのだが、うっかりして見失ってしまった。まだUSBは大きいから捜す事は多少良いのだが、指の爪ほどのサイズのマイクロSDカードには泣かされる。せめて蛍光ピンクとか目立つ色合いにしてもらいたい。USBはもしかすると机の下に落としたのではないかと懸命に捜したが見つからなかった。あきらめてふと引き出しの中を見るとそこに鎮座していた。
 机の下では思わぬものを発見する事がある。先日も片付け中にUSBメモリが落ちていた。昔は物を落とせば気が付いたのだが最近はそれに気が付かないでいる自分に気が付いた。これは怖い。
 今から机の下に何か落ちていないか懐中電灯をつけて捜してみよう。(2月25日)

Windows7を使い始めた

 この4月からXPのサポートがなくなるということで、とうとうセブンを買ってしまった。デスクトップのPCが欲しかったのだが、私に使えるかどうか不安なので、まず格安の中古のノートPCを買った。確かにシステムが不安定なデスクトップに比べて、中古とは言えなかなか快適ではあるが、いまひとつ使い方が判らない部分が多い。例えば窓の杜でフリーソフトをダウンロードする場合XPだとグラフのメモリが出て状態をで確認できるのだが、7ではまったく判らない。DLが完了するとメッセージが出るのだが、面食らってしまった。

 狭い部屋の上にで机も狭い。デスクトップのキーボードを片付けてその空いたスペースにノートを置き、三分の一ほどはみ出した状態で、この部分を初めて作ってみた。デスクトップのモニタが近視と老眼で見えなくなってきたので、ノートのモニタの距離だとまあまあ見やすいと思える。
 タッチパネルでマウスを動かすことも限界にきたので、ケーブル式の光学マウスを使っていたのだが、これまた使いにくいためにとうとう無線のマウスを買ってきた。久しぶりに大型家電店に出かけると世の中が随分変わってきたことを改めて痛感した。
 私は浦島太郎になっていた。

 車でも同じことが言える。17年間乗っていた車に比べすべて自動化されていると本当に驚くことばかりだ。後部座席のスライドドアが自動ドアになっているのにはたまげた。聞けば最近の車スライド式ドアはほとんど自動になっているらしい。
 とりあえず、ノートの7での初仕事をアップする。

 まず車を換えてからおよ二ヶ月半が経過した。目の痛みは収まった。これも毎回窓を少し開けて空気の流通をよくしなければいけなかった。計器類の操作もまだ慣れていない。CRVと比べると車幅が約60cmほど小さくなったために狭いところでも安心して車を回すことができるが、感覚的にはバックでの駐車は難しい。しかも座席が狭いために運転席にアームレストが付いているのだが、それを使うと左腕があたってハンドリングがしにくくなるので、もっぱら折りたたみのバーは上げたままにしている。小物入れがついているのだが使ったことはない。もったいない話だ。計器類も運転中に前方を向いたまま手探りで触るのが難しいので、どうしても目で探すことになる。Dモードで走るときはCVT無段変速オートマチックだが、パドルシフトでハンドルの真横についているレバーで1〜7段の切り替えができるのはありがたい。しかし最近は慣れてきたが、初めはレバーの位置がわかりにくく、それを探すつもりがワイパーを触ってしまい晴れた日にいきなりワイパーが動き始めて、困ったこともあった。車を降りてからマニュアル本を読んでは少しづつ操作を覚えた。車の運転は常に危険が伴うので普段は変わったことをしないように心がけている。私はオートと言うのは何にしても好きではないので、ライトもオート機能はあるのだが、常に手動操作にしている。

 ノートのウィンドウズ7も似たような感覚だ。私は98からはじめたのだが、当時に比べると格段の違いを感じるが98が懐かしい。
 この7にうれしいものが入っていることに気が付いた。オリジナルゲームに「なんとなく麻雀」と言うゲームを発見した。どうにかこうにか使い方が判ると、7の操作を覚えるよりも先に麻雀に興じてしまった。こちらのほうでは三人麻雀が主流だが、ゲームは正統派の四人打ちである。しかしあまりにもパソコンのスピードが速い。自分がリーチでもかけようならめまぐるしくパイが動き、どこかで止まったならパイの色が変わってロンである。私はなきあがりはあまり好きではない。ほかの面子はよくなく。まああくまでもPCのゲームだから勝ち負けにはこだわることはないのだが。パイの配り方はランダムなのかどうかはわからないが、久しぶりに四人麻雀を楽しんでいる。
 目が痛くなったので今日はこれまで。(2月9日)

 ノートは富士通の中古だがまあまあ問題なく動いてくれる。ただいろいろと戸惑うことがある。XPはNECのノートも使っているのだが、例えばディスクドライブはNECが右側にあるのに対して富士通の場合正反対の左に付けられている。USB取り付けの場所も富士通のものは右に一個、背面に三個となっており、右は無線マウスを取り付けるとメモリでデータを移動する場合は、のぞき込んで後ろに取り付けるのは実に面倒だ。USBのハブを付けたらマウスを認識しなくなったので、ハブは外してしまった。

 老人には新しいことを覚えるのは難しい。最近特にそれを感じるのは包装してあるものを開ける時である。セロテープを新しいものに取り替える時、矢印は判るのだが、その矢印の方向に力を加えるのか、その矢印の先にはがす場所があるのか判らない。闇雲に爪で触っているとかすかに段差があることが判ってようやくセロテープを台につける事が出来る。箱に入っている場合はさらに悲惨だ。なんとなく開封しているうちにスムーズに開かなくなる。きれいに開くつもりが最終的に箱をべりべりと破ることが多くなった。
 昔だと考えられないミスも出てきた。自分では間違いなく乾電池のプラスマイナスをきちんと付けたつもりで、スイッチを入れても動かないので、確認するとあべこべに電池をセットしていたことが多くなった。電池を入れる前に向きを確認する凹凸のマークさえ満足に見えなくなった。誰もが思うことではあるが、歳は取りたくない。

市川猿之助さんが宇和島に

 1月31日、2月1日と南予文化会館で歌舞伎公演が行われた。
 貧しい私は入らなかったが、無料のライブに行った。

 南文(南予文化会館の略。ちなみにフジ北宇和島店は北フジ、恵比須町店はエビフジと呼ばれている。何事も短くして言う今の風潮だ。)の前を通ると、ご覧のような幟が立っていた。

 1日には商店街で「お練り」があると聞いたのだが、ここもガランとしていた。

午前11時から始まると聞いていたので、待っていると「お祭り男」タクちゃんに出会った。

 彼はお練りの車引きの役だった。


商店街の入り口ではスタッフがスタンバイしていた。

商店街の中程で待っていると徐々に人が集まってきた。

「しんばし」の社長さんがせっせと準備をしていた。地元では大企業の社長さんだが実に立派である。夜の顔の「谷やん」を明るい時間に見つけることは出来ない。

やがてお練りがやって来た。どこから湧いてきたのだろうと思う程の人間であった。

猿之助を歩かせるのか?と思っていたら違っていた。(右の隠れている和装の人は市長やった)

 「いよっ! おもだかや!」

さすがに重みがある。これまで呼び捨てにしていた猿之助をさん付けで呼ぶことにした。

南文に到着。
(写真を撮っていて、ルール違反をする市民がいたことは不愉快であった。商店街でのお練りでは、何時もカメラに入ってくるおっさんがいた。報道などはきちんとわきまえて、ある程度撮ると視線を遮らないように引いていくのだが、このおっさんはずっと前に前にでては邪魔をしていた。それと。写真は出さないが、個人的にサインをねだったバーさんが居た。多忙なスケジュールの邪魔はしないのがマナーだ。

市川猿之助・城山でトークショー

 

上り立ち門の脇に看板がなければ、私はこのイベントにも無関心だったことだろ。

上でしばらく待っていると「おもだかや」が現れた。

この場所はロケに向いているのだろうか。えらく気にって写メを何度も撮っていた。

他の人には申し訳ないが私は猿之助さんしか顔を知らない。

観客も次第に増えてきた。最終的には約300人はいたらしい。

この人出は花見の時より多いような気がした。

一行はまず天守の石段で記念写真を撮った。

かなり天守からの景色が気に入ったらしく中々下りて来なかった。
その間、カレンさん本人とおばさん(私の同級生)に出会ったが、後から思うとカレンさんとのツーショットを撮っていればよかった。なにぶんシャイなもので。

ようやく下りてきた。和装では階段の上り下りは難しいだろう。

トークショーの前に行われるアトラクションを見る。かならず前座に何かある。

寒くもなく暑くもなく、天候に恵まれた一日だったのは幸いだった。

(2014年2月1日)

補足

 トークショーの前座として和太鼓の演奏と「宇和島さんさ」の踊り「八つ鹿踊り」が行われた。

 このグループとは別な人たちがこの後に踊ったが、一般的な衣装としてはこちらがポピュラーなので取りあえず載せた。「宇和島さんさ」は以前NHKのど自慢で日本一に輝いた人が歌ったことで一時期脚光を浴びたが、踊る女性の年来が毎年高くなって来ている様子は残念である。この曲に限らず日本の唄は一般的にヨナ抜きとか言われて陰旋律のものが多くて、寂しい気分にさせられる。最近では市内でほとんど聞こえなくなったミュージックサイレンの中にもこれが入っているが、聞く場所によっては不気味と言われるのも頷ける。

 この次に登場したグループに「おもだかや」ご一門の方々が飛び入り参加された。おそらく前日に練習をしていたのだろうとは思うが、皆さんさすがにプロ。とてもにわかに踊ったとは思えない見事な身振り手振りであった。しかしいきなりのことなので多少のばらつきはあった。トークショーでその事を司会者から指摘されると「前の人の振りを見て真似るから、少しずつ遅れたのでしょう。それが日本の文化でしょう」と見事な対応であった。

 

 市役所「八つ鹿保存会」の皆さんによる「八つ鹿踊り」
 これもまた悲しい旋律だ。大昔私は子供心にどうしてこんな悲しい旋律が伝えられているのか不思議に思った。鹿踊りに限らず、「月の砂漠」「しかられて」「花嫁」などは不思議でならなかった。
 今でも八つ鹿の唄を聞くと切なくなってくる。
 宇和島の踊りは大正時代に京都から踊りの師匠を招いて脚色されてしまったらしく、直接東北地方に出掛けて習って帰ったと言う城川の鹿踊りは国の無形民族文化財になっているが、宇和島市内のものは違う。当時はそんな意識はなかったのだろうが、あの時に加工されて居なければと思うと残念でならない。

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