心機一転

新・私の独り言


天赦園秋の夜長の竹灯篭

10月11日から15日天赦園で竹灯篭の夕べが催された。

三つある宇和島伊達家の家紋のうち、九曜紋、三引き。

笹に雀の家紋は複雑なのでこの日には使われなかったのだろう。

天国に続く道か

 実物を見たことがないのだが、秋田県横手市のかまくらを連想した。

 この側で
「来年は夏にビアガーデンを兼ねてやりたいな」
と作成に関わったと思われる人たちの会話が聞こえてきたが、、夏だと蚊が多いと思うし、来年私が同じ光景を見ることが出来るだろうか、と考えるとちょっぴり悲しくなってきた。

チャララーン

 必殺仕置人の舞台になりそう。あのトランペットのテーマが聞こえてきそうになる。


実際は下のような色合いなのだが、露出を誤った。

ここに中村主水のシルエットが浮かんで来ると嬉しいのだが。

加工しようとしてミスった。

本当に仕置人が登場して欲しい時代になった。


どっこい、生きています

10月1日

 退院してからもう二ヶ月半が過ぎようとしている。入院した日が遠い幻の彼方なのか昨日の記憶なのか、自分でもはっきりとした区分けが出来ていない。
 八月も後半まではきわめて順調な快復の様子だと思っていた。週に一回ほど飲みにも出かけるようになった。ただしビールは中ジョッキ三杯まで、もしくは焼酎の水割り三杯まで、九時には必ず帰宅をしているという自分の作ったルールをきちんと守っていたからなのか、身体の変調はまったく感じなかった。
 九月二日に飛び込んできた同級生でもあり元宇和島東高野球部、現済美高校野球部監督だった上甲正典君の訃報はまさに青天の霹靂であった。それよりも以前八月も終わる頃にある同級生から彼が危篤だと知らされた。それを耳にしてもまったく実感が起きなかった。新聞、テレビで報道されてようやくそれが現実だと知った。松山での葬儀には友人が車を出すということで便乗を考えていたが、車に乗るだけでもまだ私の体力ではかなわないことを知った。弔電を電話で依頼するとき電文を読み上げながら絶句してしまった。

 やけ酒という訳ではないが訃報を聞いてからしばらく飲む回数が増えた。一度など九時に帰ろうとする私を強引に引き止めるあるオヤジがいて、気が付けば零時を回っていたこともあった。
 不摂生がたたったせいか時々お腹がチクチクと痛み始めた。ただそれほど差し迫った激痛ではなかったが、焦った私は病院に行ってみてもらった。幸いなことに膵炎にはなっていなかった。しかしそれ以来飲酒を堅く控えている。

 アルコールの摂取は自分でコントロールできるが、辞めさせて欲しいと願う私を無慈悲に縛り付ける仕事の(ような)関係で、スーツに革靴の格好をしなければならない事があった。自分でも最初から断っておけばよかったと思う。これはかなり快復を逆戻しにしてしまった気がする。それまで屋外を歩くときにはスニーカーばかりだったが、あの革靴の底から伝わる振動にはかなりダメージを受けた。

 退院して道路を歩き始めた頃、微妙な起伏さえもが歩行を困難にしていた。足を踏み出す度にコンマ数ミリで右足と左足の高さが違ってくる。室内の廊下などでは感じなかった歩行の違和感は家を出ることで痛感した。小脳が元気であれば考える前に身体が反応するのだろうが、歩き始めに覚えた違和感はしんどいものだった。これは経験者でなければ判らないことだろう。今ではそう感じていたことさえ忘れてしまった。

 九月のある日、デイサービスから帰った母親の様子がおかしい。足が動かなくなったという。私は一瞬脳梗塞を疑った。夕方になっていたが急患は見てもらえるだろうか、市立病院に電話したところ、救急車を呼んだらいいとアドヴァイスをもらった。私が元気なら抱えて自分の車に乗せるところだが、とても今の私にはそれほどの余裕はない。不本意ではあったが生まれて初めて救急車に来てもらった。(昔、父が喉に食事をつめた時には母が呼んだことがあるらしい)
 こちらとしてはタクシー代わりに使う意図はないから緊急車両として警報音を断ることはしなかった。あとから聞いた話では、救急車で運ばれたのは退院して間もない激痩せしたこの私だという噂が町内に広まったらしい。

 笑い話は他にもある。母親を乗せて市立病院に向う車の中で救急隊員から私に「ご主人は何かお仕事を……」と言われてしまった。まだ続きがある。緊急患者で忙しそうな治療室でも担当のお医者さんから同じように「ご主人……」と言われてしまった。このどちらも私が違うと告げると、笑いをかみ殺すような、まったく同じようなリアクションがあった。


 まあどうでも良いですけどね。殺伐とした救急現場に爽やかな笑いを提供できただけでも良かったかな。

後日談
 
 母親が歩行困難になったのは何も昨日今日突然悪くなったわけではないことを宇和の近藤先生から教えていただいた。市立病院で撮ってもらったMRIの画像にははっきりつぶれている脊椎の画像があった。それが判るまで実に紆余曲折だった。市立病院で診察を受けたとき、母親がパーキンソンの薬を服用しているといったところ、脳にはまったく異常がない(軽い年齢に応じた脳梗塞の現象はあるが)、宇和の近藤先生がご専門だからそこで詳しく診てもらったらどうかと言われた。
 もし高速道路が通じていなければ宇和まで行くことはなかったのだが、行ってよかった、と言うことなのだろう。

 九月も終わる頃こーへーチャンに誘われて薬師谷に行った。こーへーチャンは伝説の仙人マッコイ氏と二人で屏風岩を登るということなので、私は歩行訓練をかねて作業道を堰堤まで行くことにした。カメラを持参したのだがこの日はまったく被写体には恵まれなかった。退院後初めての山歩きだった。身体をかばいながらぼつぼつ歩いたのだが多少自信が付いてきた。
 退院した時53.5kgだった体重はいつの間にか60.05kgに上がっていた。


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