心機一転

新・私の独り言


秋を探して

 滑床編

 11月に入ってから時間があると秋を探して近郊のあちこちに出かけた。私の行く場所はそれほど紅葉の名所ではなく、きわめて地味な場所が多い。

11月3日に黒尊に行ったのだがこれは不発に終わった。

11月12日朝早く滑床に出かけたが少し時期が早かったようで、限られたところでしか秋はなかった。ただ早朝だったため駐車場には車は一台もなく、端のほうで小鹿が一匹餌を探していたのに出くわした。私はゆっくりと車を乗り入れたが全く気が付く様子はない。一瞬奈良公園の人になれた鹿のことを思い出した。もしかすると誰かが飼っているのだろうか。余りにも臆することのない鹿の様子にそうまで思ったが、やはり野生の鹿だった。私の存在に気が付くと飛ぶような速さで山のほうを目指して逃げていった。



鹿の次は猿に出会った。この地方では滑床の野猿は昔から有名だが、大分県の高崎山の猿とは違う。遊んでいた猿は私に気が付くと警戒の声を出し逃げていった。


この木はまだ早すぎた。

雪輪の滝まで行ったが期待した程ではなかった。途中で何度も引き返そうかと思った。

 龍沢寺編

 しばらく時間も体力もなかったので遠出をしていなかったが、11月24日に西予市の龍沢寺に出かけた。家を出るのが遅かったためと天候が悪かったためにきれいに撮れなかったが、オートで撮るよりマニュアルで撮ったほうがある程度思うような露出ができるようになった。ただ無念に感じるのは目が悪いことである。カメラの窓の文字がさっぱり読めないのだ。ファインダーをのぞくと絞りとシャッター速度が出るので、のぞきながらダイヤルを回した。一枚撮るたびにモニターに数秒出てくる画像を見ながら調節したが、帰宅してパソコンで見ると、カメラのモニタもあてにならないことが判った。
実はこの時に持って行ったカメラはほとんど使いこなせていない。覚える間もなく入院する羽目になったので、いい加減な捜査しかできない。分厚い取り説があるのだが、これまた目が悪いために読むのに難儀している。
以前だったらそれほど苦にならなかった龍沢寺へのドライブも疲れた。ただ少し楽だと感じたのは国道を走る車がきちんと車間距離を一定に保ち、煽る車もいなければトロトロ走る車もいなかったことだ。

天候が良ければ申し分なかった。

 市内編・恵比須町

数日前久しぶりに車で旧ロータリーを通った。ふと道脇を見ると恵美須町フジ側にミカンの木があり、色づいたミカンが沢山なっていた。

愛媛県はミカン県らしい。ならば市内各所にこのようなミカンの木がもっとあっても良いとは思うが管理が大変なのだろう。

和霊神社編


ちょうど歯科医に行く予定があったので帰宅して自転車に乗り換えカメラを持って行った。ついでに和霊神社にも行ってみた。
遠方にしか秋はないと思っていたが、和霊公園には秋があった。私が気付いていなかっただけのことで、身近なところにも秋がやってきていた。



季節は移ろい秋はやがて冬となりまた春が訪れるだろう。

人生の秋を迎えた私に春は来るのだろうか。

そうだ!再春館製薬に聞いてみよう!


腕立て伏せをした

 昨日退院してから初めて腕立て伏せをした。
 これまで怖くて出来なかったが、うつぶせになり布団の上の猫をなでていて、ちょっとやって見ようと思った。腹は痛くなかったのだが、なにしろ長期間筋肉を使っていなかったために、情けないことに連続5回が限界であった。しかし腹は痛くないと判ったのは収穫だった。
 ただ、今でも人混みが怖い。特に大勢の子供が騒いでいる場所には、いきなりぶつかって来るのではないかとつい身構えてしまう。
 
 そんな私が先日某小学校の体育館で行われた孫のドッジボール大会を見に行った。案の定体育館では大勢の子供達がはしゃぎ回っている。幸いなことに私にぶつかってくる子供はいなかったが、別な部分でこの国の将来を心配してしまった。
 ゲームが始まると一つのチームの中でも、積極的な子供と消極的な子供の両極端に分かれていることがすぐ判った。私の小さい頃にも運動神経の発達した子供とそうでない子供はいた。しかし驚いたのはボールを拾っても消極的な子は運動能力の優れた子にそれを渡してしまうのである。すぐ側に相手チームの子がいても自分でボールを投げようとしないのには驚くよりも悲しくなった。
 単に一つのスポーツで、全てを判断するのは間違っていることは判るのだが、今我が国では派遣社員が増加していると言う。なんだかその縮図を見たような気がした。

無題

 昨日金魚が死んだ。

 正確に言えば金魚ではなくペットショップで売られている熱帯魚などの高級魚の餌になるためだけに生まれてきた「ヒブナ」なのだろう。保育園に通っている孫がある夜突然にビニール袋に三匹の魚を入れて持ってきた。夜店でもらってきたいわゆる金魚すくいの魚だった。全長二センチほどの小さなヒブナを何も考えずヌマエビの入っている水槽に入れた。
気が付くと元気よく泳ぎまわるヒブナだけが残り水槽のヌマエビは姿を消していた。
 それまでにメダカは別な水槽に入れていた為に難を逃れていたのがせめてもの救いだった。ヒブナはぐんぐん成長し、水槽に近づく人影を見ると餌を求めて寄ってくる。これを「金魚ダンス」と呼んで一日数回餌を与えていた。三匹の力関係には優劣があるらしく、決まって色が薄いけれど大きな魚が他の二匹から追いかけられていた。
 形は驚くばかり大きくなってきた。体長10センチ以上には成長していただろう。季節は移ろい夏の暑さはすっかり忘れてしまった。水温が下がり魚の食欲も収まったと思っていたら一番大きな魚が水槽の底で動かなくなっていた。
 それまで厄介者だと思いながらも惰性で飼育してきたヒブナだったが、朝は元気に泳ぎ回っている姿を見ていただけに突然の死はショックだった。

 この夏以来私の周囲では生き物の死が頻繁になっていた。入院中世話をしていなかった物干し台に置きっぱなしになっていた二年越しの鉢植えのモミジも枯れていた。メダカやヌマエビも大部分が猫のせいで死んでしまった。
 このいきさつについては様々な要因が絡んでいる。まず、息子が母の日に持ってきた鉢植えのカーネーションをメダカの水槽の上に家政婦が置きっぱなしにしていたことから始まった。ある夜網戸に出てくる「やもちゃん」(単なるヤモリですが)に猫のガリが飛び掛ったことで、鉢が水槽に落ちてしまった。その鉢には肥料が入っていたようで、水質が悪化したせいかメダカ、ヌマエビがほとんど死んでしまった。偶然にも増えすぎた水草をバケツに入れて物干しに置いていたら、ある日そのバケツの中で小さなメダカが泳いでいた。知らないうちにメダカが産卵していたようだった。なんとかメダカの血統は保つことができた。


 退院してからも一時は快調に体力が復活していたと思っていたが、あるところまでくるとそれまでの快復ペースがうそのように鈍化してきた。
 11月3日文化の日に黒尊スーパー林道に出かけた。10月10日は快晴という神話は消えていたが、文化の日は見事な晴天だった。ところどころ色づき始めた木の葉を眺めながら生きていることの有難さを改めて感じていた。しかし林道に車をとめ、尻割山の撮影スポットに行くまでの役100メートルの急坂を上り下りすると息が切れ、まだ私の体力では山歩きは難しいことがわかった。秋を見つけることはできなかったようだ。
11月4日病院で検査をした結果、私は病気をなめていたことがわかった。手術前に見つかり駆除するために飲んだ薬は効果なく、ピロリ菌は相変わらず存在していたし、Hba1cの数値は6.9と以前の状態に戻っていた。ドクターからは残念そうに食事制限しましょうね、と言われた。一頃は5.3辺りまで下がっていたのだが、こう言う結果になったことには全て心当たりはあった。

 つかの間の一般市民食生活からキリギリス生活に戻らなければならないかと思うと心が重くなった。病院で検査を受けた日の午後城山に上がった。退院後二度目であった。MP3プレーヤーでスサーナの歌を聞いていたのだが、選曲がまずかった。
 
 別れのサンバから始まりサバの女王などを聞いているととても切なくなってきた。この前日には晴天に心は前向きであったが、翌日は晴天にもかかわらず心は曇天になっていた。


 そうして家に帰ると金魚が死んでいた。

スーパー林道で

私が最も好きな光景

視線を変えて三浦半島方面を

尻割山から権現山を

スーパー林道を黒尊に向けて走る。宇和海に別れを告げ高知県方向に曲がると大久保山、八面山が見えてくる。

大黒山

黒尊渓谷の対岸は遠すぎる

何で対岸しか秋はないのか

神殿橋のちかくでようやく見つけた。


先月に戻る

前に戻る


新・独り言のトップ

TOP

これまでの独り言はここ
inserted by FC2 system