心機一転

新・私の独り言


バイクの思い出

ホンダ・シルクロード編

 もうバイクに乗らなくなってかなりの年月が過ぎた。この写真は全て印画紙をスキャンしたものである。ホンダのシルクロードは私が初めて購入したバイクであった。

 私が高校生の頃には年齢が達すれば、学校では問題なく運転免許を取ることができた。今とは大違いである。記憶ははっきりしていないが、14歳でバイクの免許を取ることができた。その頃はバイクもヘルメット着用義務はなくノーヘルで乗り回していた。
 年寄りが昔話をしていてもきりがないので、35歳から再びバイクに乗り始めた時からの写真を何枚か載せることにする。

 シルクロードはかなり車重のあるバイクだった。高校時代には慣れていたバイクも中年になって乗り始めると、扱いは難しくなっていた。シルクロードはツーリングに向いていたが、ダートを走るには私の手に負えないバイクだった。しかし今振り返るとホンダCLに似た軽やかな排気音と柔らかいショックは懐かしい。セル付きの250CC、スーパーローという物が付いていたがほとんど使うことはなかった。

これは黒尊スーパー林道を走った時の記念写真で、多分昭和58年だったと思う。

どう見ても林道を走るタイプには見えない。重そうだ。

顔が見えないと結構格好良い。(自画自賛の意味がようやく判った)

これでも国道439号線。ほとんど車が走らない。


東京から友人が来たときに、室戸岬までツーリングをした。その途中四国カルストで撮ってもらった写真である。友人のバイクはヤマハSR、カメラはキャノン・オートボーイだった。都会の人間には牛が珍しいのだろう、後で送ってもらった赤毛の土佐牛の細かい毛が鮮明に写っていたのには驚いた。

まだ舗装されていない頃の黒尊スーパー林道


私は四国カルストが好きでよく出かけた。当時は大規模林道はまだなく、大野ヶ原へ行くには鹿野川経由か檮原経由だった。これは地芳峠から柳谷に下り途中から大川嶺に上がったところだったと思う。


大川嶺の道のどん詰まり。この時は「ササユリ」の花の写真を撮りに行った。

小田深山から獅子越峠を河辺の方に向かった所(だったと思う)

ヤマハ・セロー編

石鎚スカイラインで

瓶が森林道で

高知県・藤が生林道で

熊本県・内大臣林道に入る前

ヤマハセローが発売されるとすぐにセローに乗り換えた。排気量225ccで少し非力だが車重が軽いために取り回しは楽だった。セローはかなり長い期間乗った。

内大臣林道は熊本県から宮崎県に横断するスケールの大きい林道でバイク雑誌ではよく取り上げられていた。初めてここを走った時はソロツーリングだった。

仲間と走るのも楽しい。高知県・春秋峠

向こうに見えるのは石灰石の露天掘りが行われている高知県「鳥形山」

場所は忘れた。ムラカミさんに撮ってもらったのだろう。

こけた! ただしアクセルターンの失敗なので怪我はない。(藤が生林道)

ホンダ・TLR編


セローに乗っている間にも中古のホンダTLRと言うトライアル用のバイクにも乗っていた。けものみちを走るのには楽だった。

藤が生林道(キッカーズツーと言うグループの中で私が開拓した)

黒尊スーパー林道、これだけ雪が深いとお手上げ。

TLRの本領はこのような道を走ることが出来ることである。

藤が生林道からさらに入ったところ。

これは私ではない。若い人は運動能力に長けていた。

大超寺奥にあったトライアル場。ビデオカメラを回しているのはムラカミさん。


 またデジカメを買ってしまった。

 キャノンのパワーショットSX700HSと言う機種である。

 これまでキャノン製品は食わず嫌いなところがあった。しかしこのカメラの機能には驚いた。コンデジなのだがあらたまった写真を撮るのでなければ大抵の場合は便利である。ポケットに入るサイズなので重宝する。

 ただワイファイ機能を重視しているらしく、マニュアルの大半はその使い方に関するものが多い。 

多分上までが光学ズームだろう。



 マニュアルが電子マニュアルなので屋外で読みながら勉強するのは無理である。ネットで調べたら製本版があるという事で早速取り寄せた。ズームは光学で30倍、デジタルズームだと100倍以上可能らしいが三脚を使わないと難しい。
 上は手持ちでデジタルズームにしたのだが、ちょっとね、と言ったところだろうか。おそらく私にとって最後のデジカメになるかも知れない。この手軽さを考えるとあの重くて馬鹿でかいデジイチは一体何だったのだろう。 


ガリが死んだ!

 正月早々縁起でもない話になるが、1月2日の夕方交通事故で死んでしまった。

 

 我が家の猫の物語(仮)

 現在(平成26年12月末)我が家では三人の人間と三匹の猫が同じ屋根の下に住んでいる。計算上の平均年齢は37歳。そのうち人間の平均年齢は73歳、猫は1.3歳である。本来ならもう一匹13歳になる猫がいるのだが、昨年六月に「ガリ」が来て間もなく家出をし、近所のお世話になっている「ぷー」と言う猫は計上していない。
 「ぷー」は平成14年の夏拾ってきた猫だった。ポケットに入るほどの大きさだった。以来ずっと我が家では唯一の猫として君臨していた。雌猫で避妊の手術は時期がくるとしていた。初代「ガリ」、一昨年の「ふく」と子猫を拾ってきてもそれほどの抵抗はなかった。

来たばかりの「プー」


 初代「ガリ」も「ふく」もオス猫で、これも時期が来ると去勢手術をしたのだが、本来外に出かけることのないように手術をしたが、どちらも一ヶ月ほど過ぎるといなくなってしまった。「ふく」は姿を消して二週間ほどたったある日戻ってきたが、よほど精神的なダメージを受けたのか、それまでのお茶目な「ふく」から性格が変わっていた。何時も何かもの思いにふけっていた。戻ってきて数日後再び姿を消した。

 それまでは友好的ではないにしても何とか共存していた「ぷー」だったが、昨年の六月に二代目「ガリ」を拾って来てから態度が一変した。「ガリ」は来た時には「ぷー」が来たときと同じくらいのサイズで、何時も「ぷー」に甘えては追っかけてばかりいた。それが煩わしかったのだろうか、ある日を境に「ぷー」は家出をした。考えてみれば「ぷー」はおそらく親猫や仲間と共に育った記憶が少ないのだろう。どちらかと言えば自閉症の猫だった。いつも一匹でぽつんとたたずんでいた。私は「黄昏のぷー」と呼んでいた。
 
 「ガリ」の存在に不快感を示すように、何時も外から帰ってくると一匹でうなりながら廊下を歩いていた。そうして突然家出をして近所の世話になってしまった。先日久しぶりに向かいの駐車場にたたずんでいる「ぷー」を見た。呼びかける私に気がつくと寄ってきた。昔、「犬は三日飼っても三年は飼い主を忘れないが、猫は三年飼っても三日で忘れる」という格言めいた言葉を聞いたことがあるが、それは嘘だ。犬の「コナン」は自分を飼っていた人が来ても激しく吠えている。自分が育てた犬に敵意むき出しで吠えられる人が気の毒でならない。
久しぶりに会った「ぷー」が寄ってきて道路で寝転がった。しかし抱いて家に連れて帰ろうとすると暴れて逃げ出した。家政婦などはなでようとしただけでうなり声をあげられるらしい。
久しぶりに出会った「ぷー」が私を覚えてくれていたことはうれしかった。

 我が家の近くには野良猫が多い。奇特な人は捕まえては自腹で避妊手術をしているが、それに追いつかないほどの数である。また、遠方のボス猫と思われる猫が時々出張してきては相手かまわず子孫を残す。初代「ガリ」は長男が近隣の町のどこかの自販機の下で見つけて連れて帰った猫だった。かなり空腹だったのか食パンを貪るように食べていたのを覚えている。ガリガリにやせていたので「ガリ」と名付けた。「ふく」も二代目「ガリ」も近所で鳴いていたのを家政婦が拾ってきた。どちらも六月の事だった。

 そうして今年の六月またしても子猫を拾ってきた。この場合は拾ったと言うよりはカラスの魔手から救出したと言う方が正確だろう。同時期へその緒がついた目の見えない子猫が三匹紙袋に入れられて敷地内に捨てられていたばかりだったので、都合五匹の世話をする事になった。紙袋に入っていた猫のうち一匹は間もなく死んで四匹になった。暑くなる時期だったが、獣医師のクロダさんの話では保温が必要だとのことでホッカイロを求めて市内のドラッグストアを探し回った。幸いなことにかなりの数を入手した。

 家政婦は毎日猫の世話に時間を取られた。子猫の爪は細く針のように鋭い。哺乳瓶でミルクを飲むとき、その爪が痛い。親猫であれば乳首が複数あるから同時に何匹も飲ませることが出来るだろうが、哺乳瓶は一個なので順番を待つ猫が家政婦の身体によじ登り、哀れ家政婦の身体には無数のみみず腫れが出来ていた。

 「ガリ」は好奇心から子猫の中でも一番成長していると思われる「イトはん」に軽く猫パンチを出した。300グラムの「イトはん」はそれに負けないで威嚇の体勢をとり反撃のポーズをした。これから先が思いやられると心配だったが、それも杞憂になった。
なんと「ガリ」は子猫に対して保護者の立場を取り始めた。紙袋の猫はクロダさんのお世話で里親が見つかり、無事にもらわれていった。
 残った二匹も今は「ガリ」と一緒に毎日を元気に過ごしている。
 子猫は「ガリ」の真似をしながら様々なことを覚えているようだ。「ガリ」には出来ても子猫にはまだ出来ないことが沢山ある。
 「ガリ」が自由に外出できるように洗面台の窓を何時も解放している。夏は虫が入るし冬は寒風が吹き込んでくるのだが、猫の暮らし最優先主義の家政婦はいっこうにそんなことにはお構いなしである。その窓は一階の屋根まで約130センチの高さがある。「ガリ」は自在に出たり入ったりするが、子猫たちにはまだそこまでの技量はない。室内からそこまでジャンプは出来るのだが、そこから下に飛び降りるのにはまだ勇気がないようである。「ガリ」の様子を眺めながらも窓から庭を眺めるのが精一杯だった。
ところがある日「イトはん」は外からその窓を経由して家の中に帰ってきた。板壁なので爪を立ててジャンプするこつをつかんだのだろう。

 これを書いている途中の1月2日夕方衝撃的な話が飛び込んできた。
近所の車の往来が激しい道路で「ガリ」が交通事故にあい死んでいたと、近所の人が亡骸を運んできた。チャイムがなって玄関に出た家政婦が泣き崩れるのを見てただならぬ気配を感じた。

 玄関の土間の新聞紙の上に横たわった「ガリ」はまだ暖かく柔らかかったが、頭部から少し血を流し私の呼びかけにも反応はなかった。私は悲しみよりも現実を受け止める力が強かった。すぐに庭の真ん中に穴を掘り埋葬した。今こうしてその時を思い出すと、突然やってきた「ガリ」の死が悲しくてならない。
 これを機会にポツリポツリと我が家の屋根の下で共に暮らした猫たちの物語を書いて見ることにした。



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