心機一転

新・私の独り言


涙の年度末

 今年初めて花粉症になったことを実感した。頭が重い、鼻水が止まらない、くしゃみが出る。目がチカチカと痛い、喉がいがらっぽくエヘン虫が大量発生。
 どれもある日突然一斉におこった。

 これまで花粉症とは無縁だと思っていた私であったが、その日大量に花粉が飛び交うと言う話を聞いて、もしかするとバラバラに感じていた、私のその症状の正体が花粉症なのかもしれないと思った。断っておくが自分で勝手にそう思っているだけである。正式に医者から花粉症だと診断された訳ではない。

 今でも覚えている。2月19日木曜日。私が花粉症を実感した日である。
おまけに最近ではPM2.5が襲来して山が真っ白に見える時もある。もともと虚弱体質の私は微粒子のダブルパンチには降参するしかない。

 使い捨てのマスクは花粉除けというよりは、予告なしに突然でてくる鼻水対策である。マスクを付けていない時にはハンカチを手放せない。

 3月31日もひどかった。まさに涙の年度末になった。

 何事においても間が悪いことがある。伊達400年祭オープニング当日の3月29日もそうであった。


 武者行列というどこにでもあるようなパレードそのものにはさほど期待はしていなかったのだが、仮装行列の様子でもカメラに収めようと、天候を気にしながら前夜はカメラの準備に余念がなかった。 
 雨が強ければ一眼は使わないようにしようと考え、コンデジ含めて三台のカメラをリュックに入れた。前日は良い天気だったが、予報通り朝起きると小雨になっていた。それでも時折薄日がさすようになっていた。私は徒歩で文化会館に向かった。文化会館に近づくと道ばたでは祭りの準備に忙しく動く人たちがいた。

 テレビ局のカメラのそばなら場所的に間違いないだろうと陣取り、そろそろ行列の姿が見えそうになると思われた時、家政婦から怒ったような声で電話がかかってきた。どうやら何度も電話をかけてきたのに、気がつかなかった私に怒っていたらしい。


 私の親類にあたる森一族がやってきたからすぐに帰れということだった。はぁ?これには参った。今からおいしいご馳走を食べようとする寸前にお預けを食らうような気分であった。お預けなら待てば時期は来るだろうが、このパレードは二度と見ることができない。私も家政婦の怒気に負けない剣幕で「帰らんぞ」と言ってはみたが、遙々と遠方からやってきた森一族を無視する訳にはいかないために、涙をのんでその場を去った。自分で「酸っぱいブドウ」の口実を探したのだが見つからなかった。


 やって来るのであればせめて前日に連絡をして欲しかったが、森一族の場合にはそう言うこちらの要求は通用しない。いつも突然やってくる。

 何年か前の秋のことを思い出した。友人と城川の龍沢寺に紅葉の写真を撮りに出かけたときもそうだった。龍沢寺で写真を撮っている時、森一族がいきなりやってきたと家政婦から電話があり、友人に詫びて急いで帰宅したことを思い出した。さらにそれより以前の秋の連休の前日に、予約無しで宇和島に行くのだがホテルがどこも満室でとれないから何とかならないかと連絡があったことも思い出した。何しろ森一族は多忙らしく時間が出来ると急に思い立つらしい。


 昨年四月以来本当にロクなことがなかった。これまでまとめた資料などをゆっくり整理する自分の時間を持つことができると思っていたら、なりゆきで非常勤ながらもある役に付く羽目になった。その仕事を覚える間もなく病の床に就き(命拾いをしたとも言われた、それはあたっていると自分でも思うのだが)、お役ご免を嘆願したがそれも願わずずるずると引きずったまま、年度末を迎えることになった。そうしてこの有様である。

 細川たかしの「細雪」という曲の歌詞に「……春になったら出直したいと、こころに決めて未練酒……」と言うのがあった。この心境に頷くのは私だけではないだろう。

何事においても間が悪いことがある。誰のせいでもない。間が悪いだけである。

パレードの雰囲気が伝わって来はじめたこの時電話がかかってきたのであった。


宇和島伊達400年祭

 このところ時間がなくて、全てが手に付かない。そうかと言って時間だけは無慈悲に過ぎていく。

 3月29日から約半年間、宇和島に伊達秀宗が入部して400年を記念するイベントが行われる。

私は以前高速道路が開通した時に行われた「いやし博」というものに懲りていたので、今回のイベントはスルーするつもりであった。
 しかし、先日宇和島市の某職員と話す機会を得て、現場の担当者の苦労が伝わってきた。いきなり話が来て参ったそうである。結構時間に余裕のある部署と普段からてんてこ舞いの部署があることは判っている。3月29日のオープンに間に合わせるために懸命であった。
 彼に限ったことではないだろう。そのために過度な期待はまったくすることはないが、やはり紹介だけはしておこうと思うようになった。

 「いやし博」の時の焦燥感がない訳ではないが、あれは愛媛県が主体になって行われたものだったと聞いている。かなり不評であった。イベント会社に丸投げをして、地に足がついてものにならなかった。内容は宇和島には無縁の夜市の露店のようなだしものが多かったようである。小学校低学年だった孫は連日手裏剣コーナーに通っていた。なんとなく今回も似たような部分がありそうで怖い。
 今回は宇和島市の職員が主体になって行われると聞いた。2015年という時が到来することは前もって判っていたはずである。取り組みにかかるのが遅かったことは今更言っても仕方がない。何とか結果が出ることを願うだけである。

 多分私は遠くから見ているだけになるだろう。(2015/03/25)



土日はパンの日

3月の初めにいつものように定期検査に行った。今回は自分でも血糖値は上がっているだろうと思っていたが、予想通りの結果であった。HbA1cが6.3に上がっていた。前回の検査では5.6だったから先生は驚いたことだろう。
 上がるにはそれなりの理由があった。あんパン、クリームパン、お菓子と全く用心することもなく、好きなだけ食べていたから、当然の結果である。

HbA1cは一番最初の測定では7.9だった。しかしでん粉質や糖類を意識的に遮断して、きれいな下降線を描き、薬を飲むこともなく5.3まで下がり、優等生になった気分であった。しかし昨年4月に5.9に上がったHbA1cは6月には6.9に上がり、それまでたまにしか検査をしていなかったCA19-9、CEA、エラスターゼ1のすい臓の腫瘍マーカーのうちエラスターゼ1が正常値が432のところ615になっていた。それに気付いた先生がエコーを撮ってみましょうということから、今日に至ってきたわけだ。HbA1cが6.3に上がったことが判ってからは、以前のような糖質制限食に自分で切り替えた。

 しかし全く食べないでいるのもシャクなので、毎週土日はパンの日と自分が決めて、その日だけはあんパンを食べる事にした。週末が来ることを楽しみにしている。

 今五種類の薬を飲んでいる。飲み続けて八ヶ月になるから慣れてきても良いのだが、いまだに飲み忘れることがある。食後の薬は忘れることはまずないのだが、それでも突然外食することになって忘れたことがあった。漢方薬で「補中益気湯」を毎食前30分と言う指示がなされているのだが、これを忘れることが多々ある。それを言うと食後でも良いと先生から言われたが、漢方薬のサイトで見ると食間服用とあるので、食前30分にはこだわらず、一時間前にでも気が付いた段階で飲むことにしているが、朝から晩まで薬を飲み続けている毎日のような気がする。

四種類の食後に飲む薬では、朝三種類、昼二種類、夜四種類を飲んでいるが、月に二回ある「お講」の時に忘れることがある。たいてい小さな袋に持参しているのだが、それでも忘れてしまうことがある。
幸いなことに抗ガン剤、制ガン剤の類は飲んでいない。食事の度に必ず飲むのが、「マーズレンS顆粒」と「「ウルソ錠」。マースレンはきわめて飲みやすく、胃に優しい薬だと実感できる。ウルソは胆汁の流れをよくしたり胆石を溶かす薬らしい。退院直後、胆嚢がふくれあがり七転八倒したことがあって以来、これの服用が始まった。

この二つに、朝は「プロテカジン」胃薬の仲間、夜は更にインシュリン分泌を促進する「エクア錠」が加わり、私の薬四天王勢揃いとなる。あ、漢方薬の存在を忘れていた。

 四月に入るまでには何とか家の中を片付けたいと思っていたが、雨がよく降るために庭のストックハウスの片づけが出来ない。

 私も整理整頓が下手なほうだが、家政婦、母親とランクは更に上がる。なんでこんな物をと思うようなボール箱が次から次に出てくる。ゴミ袋が何杯でたことか。先日はもう使わないことを前提に足踏み式のミシンを知り合いの人に引き取ってもらった。ミシンがなくなってその部屋が使えるようになる、と思っていたがそれは甘かった。多少はスペースが出来たが、端切れ等が山のようになっているようだ。

 毎日片づけばかりをしている訳ではない。むしろ片付けに専念出来る時間はほとんどない。たまに片づけしている時に限り人が来る。その人にすれば私は毎日片付けばかりしているように思えるのだろうが、とんでもない。

 このパソコンを置いている部屋はずっと昔は二人の息子の勉強部屋だった。私が使うようになってから押し入れの下段を暗室にして写真の現像などを行っていた。いつの間にか押し入れの手前に物入れなどを置いて、押し入れは使えない状態にしていた。
 庭に出ることが出来ない日が続いたので、押し入れに手をつけることにした。開けようとするがふすまが動かない。ホームセンターでシリコンスプレーを買ってくることから、押し入れ活用作業が始まった。
 出るは出るはゴミの山である。現像液や定着液、未使用の印画紙などが出てきたが、もう今の私には不要のものである。薬品にはアグファゲバルト社の名前の入ったものがあったが、もうそれが何だったのかも忘れてしまった。印画紙は三菱の「月光」というものが多かった。ゴミ袋に入れながら、こんなことにうつつを抜かした時代があったことを思い出していた。

 片づけの作業をしながら、また何か紛失するだろうなと思っている。そういえば、MOドライブを見つけた、ウィンドウズ98の時代に使っていた外付けドライブだが、ウィンドウズ7でも対応出来るはずだと思いながらもまた行方不明になってしまった。

 科学は日進月歩だ。もうフロッピーディスクなど読み取るドライブは別に買わないと本体に付属していない。


 寝たきりの母の誕生日にケーキを買ってきた。バースデーケーキを食べるのであればそれは結構なことなのだが、とても食べることは出来ない。イチゴのショートケーキを食べさせたが半分も食べなかった。
 昨年の三月には孫、ひ孫も含めて総勢9名で米寿の祝いをしたことがまるで嘘のような老化ぶりである。昨年のその時点で要介護1だったが、昨年12月に要介護2になったかと思うと現在ではさらに進んでいる。 最近は基準が厳しくなったらしいがそれでもヘルパーさんの話ではこれだと4か5だろうな、ということであった。まあ数字なんてどうでもいいが、時間をとられることに悩みが生じる。同じような環境の人はたくさんいると思う。私などはまだまだ恵まれた環境だと思うのだが、まさか老々介護の世界に私が入ることになるとは思っていなかった。

 私自身、人生に残された時間が少なくなってきた。ゲーテの最後の言葉は「もっと光りを」だと言われているが、私の場合「もっと時間を」になるのだろう。





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