心機一転

新・私の独り言


介護初心者のつぶやき

 
 ある日気がつけば老老介護の家庭になっていた。いや、病老介護かもしれない。随分長いあいだ介護に明け暮れていると感じたが、昨年の今頃はまだ母は自力で歩くことができていた。寝たきりになってからまだ1年も過ぎていない。先日ようやくショートステイを体験した。母の一件がおこるまで私は介護のことについては全く無知だった。いわゆる老人ホームは簡単に入所できるものだと思っていた。老人福祉について最初は何をどうして何処に相談すれば良いのかさえ判らなかった。いざ母の具合が悪くなってからというもの、いろいろと経験者に話を聞いて、まず「ケアマネージャー」(以下「ケアマネ」と略す)と言う人に相談をすることから始めなければならないと教えられた。

 だが「ケアマネ」と言う人に会うためにはどうすれば良いのかさえ判らなかった。言葉は聞いたことがあるがそれまでは私とは遠い存在であった。いろいろな介護施設にいるというところまで判った。そうすると介護施設の評価に係わってくるはずだから、介護施設を選ぶところから考えなければいけない。

 これには苦い思い出がある。ずっと昔の話になるが、父の具合が悪くなってから母は在宅看護をしていた。ある時どうしても外泊をする必要にせまられ、ある施設に数日間父を預けた。預ける前まではとぼとぼとではあったが、何かにすがりながらも父は歩くことが出来た。自宅に居たときは毎日歩行の訓練をしていた父だったが、数日その施設に預けた後、自宅に帰った父は全く歩くことが出来なくなっていた。これはあくまでも噂であるが、父に限らずその施設ではリハビリなどは全くしていなかったそうである。

 どこの「ケアマネ」に相談したらよいのか思案に暮れていたとき、知人がある施設の事務をしていることが判った。真面目でしっかりしている人だから、勤めているところも信頼に値するだろうとお願いした所から私の介護人生の第一歩が始まった。昔読んだ北杜夫の文章に物事を決めるのに、様々な専門書を読んで熟考して決める人の結果と、コインを投げて決める人の結果はたいして変わらないというのがあった。私も似たようなものかもしれないが。

 まず役所の福祉関係の人が来て母の介護認定をしてもらった。私の知っている経験者が何人も口をそろえて言うのには、その時は皆しっかりと答えるそうである。母も例に漏れずはきはきと答えたが季節感がなくなっており1月なのに季節は夏だと答えていた。その頃は自分で歩くこともでき、立ったり座ったりも出来る。要介護1の通知が来たのは平成26年の2月だった。
 その年の終わりに要介護2になったかと思えば1月にはとうとう要介護5になってしまった。悲しい飛び級である。ベッドに寝たままの母は「不便なことは何かありますか」と問う医者に「これといって不便なことはない。買い物も食事の支度も自分で出来る」と答えたのには参った。
 おそらく自分では歩くことが出来ると今でも思っているのだろう。
 一つの施設に週三回デーサービスに通うようになっていたが、認知症の専門医の診察が必要になってきた。「ケアマネ」と相談して別な施設にも週一回通うことにした。それと並行して初めてのショートステイをすることになった。これらの手続きを8月から9月にかけて行った。同じような書類を何通も書いているうちに私の頭は混乱してしまった。

 私が住んでいるのは昔の家なので車いすに乗って玄関から出るにはスロープが必要になる。スロープはアルミ製の三段の一番長いものをレンタルしてもらって使っているが、これがかなり重くて取り付けがやっかいである。週に一回増えるだけで私のストレスが増幅し、ついに耐えかねてスロープを使わないで電動リフトが使えるようにしてもらうことにした。それだと簡単に家の中から道路に出ることができる。ただ、そのためには玄関の簡単な改修工事が必要になる。その工事を知り合いの大工さんに頼むことにした。

 何年も前に病気で他界されたが、その大工さんのお父さんは私の古い知り合いでバイク仲間であった。彼が高校生の時に一緒にツーリングをした覚えがあった。
 数年前にスーパーで偶然息子さんと再会した。聞けば現在は父親と同じ大工仕事をしているという。俗に言う一人親方らしい。雷に恐怖を覚えた犬が壊した戸を直してもらったことを始まりに、時々仕事を頼むことになった。
 「ケアマネ」が改修の指示をするというので、工事の前に玄関先で大工さんと待ち合わせていたら、「ケアマネ」がくるなり「おまえか」という話になった。二人は同級生であった。狭い町である。

 大工さんと世間話をしているうちに彼が猫好きであることがわかった。七匹の猫を抱えて困っている私はダメもとで子猫はいりませんかと持ちかけたことから、一番可愛い「ヒラ」を引き取ってもらうことになった。私も家政婦もその猫が気に入っていたが、せっかく引き取ってもらう機会が出来たので工事も終わった先日猫を渡した。
 今なら特別サービスで一匹もらうとさらにもう一匹お付けしますという、私の提案は却下されたが……。
 姿が見えなくなってからしばらく他の子猫たちは「ヒラ」を探していた。とくに同期生の「クマ」は遊び相手がいなくなったことで、虚ろな顔でしょんぼりとしていた。

 レンタルの電動リフトがもうすぐつくことになったが、家政婦は私以上にそれを楽しみにしている。どうやら自分が乗って遊ぶ計画をたてているらしい。考えてみれば他人の母親のために毎日食事を作り食べさせ、洗濯をはじめ身の世話をしなければいけない家政婦のストレスは計り知れないものだろう。子猫を相手に遊ぶことでストレス発散できるならと今は認めているから、リフトで遊ぶくらいは大目にみようか。しかし事故でもあると大変だ。先日「ケアマネ」には子どもが遊んで事故でも起こさないだろうかと尋ねて、安全だという返答は得てはいる。まさか良い歳をしたババアが遊ぶとは言えないので、孫が…とごまかしてはいる。


イベントなんて知らない

 急速に情報弱者となった。
シルバーウィークも終わったが私は悲しいことになんとかウィークとは無縁な存在になってしまった。
宇和島に住みながら地元で何が行われているのかさえ知らない。何か行われていることは判るが、それについて感心が薄れてきた。と言うよりは、他のことに気を取られてそれどころではなくなった。


映画三昧

 お彼岸の墓参りにも行けなかった。これは私にとっては初めてのことである。昨年はお盆の墓掃除に行くことが出来なかった。そのうえに今年はお彼岸にも行けなかった。要介護度5の母親のこともあり自分のための時間がきわめて限られてきた。特に9月に入ってからこれまで週三回通っていたデーサービスが、新らたに認知症に対応した施設に行くようになり、さらに初めてショートステイにも行くことになった。その準備に追われる毎日となり、外出もほとんど買い物だけのためとなり、引きこもり症候群になってしまった。
 毎日買い物に出かける訳ではないが、かさばる紙おむつなどを買う場合はどうしても車で出かけるほかない。

 しかし唯一の収穫はこれまでケーブルテレビの放送で録画していた映画を見る時間が十分とれたことだった。

 「プレデター」、「プレデター2」を見たあと、放送とは別にツタヤで借りた「ラスト・ショウ」を見た。「プレデター」は昨年手術をした直後病室の壁に現れた幻覚を見て以来だった。それが自分の作り出した幻覚だとは判っていたが、細かい部分までよく出てくるものだと我ながら感心していた。しばらくDVDを見ることがなかったので、「プレデター」、「プレデター2」は時間つぶしにはなったが、「ラスト・ショウ」を見るための準備作業だった。

 ストーリーは省くが、この映画は私にとってはとても素晴らしい映画であった。劇場で見たときの記憶に残っているシーンもあれば、えっ!こんなシーンあったっけ?と思うところもあった。そのあと「ダイ・ハード」「ダイ・ハード2」と見たあと「ギルバート・グレイプ」を見た。

 アメリカの田舎町という「ラスト・ショウ」と舞台が重なる部分もあったが、これも私の記憶とは違ったところもあった。二度見たはずなのに記憶にないシーンがあった。そもそも何でこんな地味な映画を見ようと思ったのかさえ思い出せない。主人公のジョニー・ディップが演じる役はとても私には真似が出来ないほど重苦しい立場である。時々自分の立場と重ね合わせながら見ていた。これを見る前にグレゴリー・ペックの「アラバマ物語」を見た。アメリカ南部の人種差別をテーマとした映画ではあるが、子どもの目を通して若干コミカルに描かれているためにそれほど重くはなかった。しかし残念なことにNHK・BSの録画が途中で終わっていた。地上波だとDVD器機の番組表でいとも簡単に録画予約ができるのであるが、BSはライン入力で録画しなければならない。そのために、ケーブルテレビのチューナーで予約をしてそれにあわせてDVDのほうもきちんと数字で時間を入力しなければいけない。多分13時から15時と入れていたのだろう。通常2時間以内に映画は終わるが、時々2時間を超える番組がある。今まで何度ミスったことやら。
まだ放映はないが「愛すれど心さびしく」「ピアノ・レッスン」はこれも録画したい映画の一つである。(ネットで調べると差別的な表現が多い「愛すれど心さびしく」は今では放送出来ないらしい。借りるしかないか)

 さあ今度は「スタンド・バイ・ミー」を見ようか、それとも「エイリアン」にしようか。あるいは「赤い河」でも見ようか。映画に関する独り言は本当に独り言になった。


病は気から??なのかな??

 9月の初め定期検査のために病院に行った。前回血液検査の結果カリウムの数値が高く、心電図をとったところきれいな(?)不整脈の図形が出た。通常6週間ごとに主に血液検査を行っているが、循環器科にも回されて今回は早めの検査となった。

 8月も終わる頃から元気がなくなっていた。猛暑の疲れが出てきたのだろう。おまけに心理的な要素からも不安が増してきたのだと思う。
結果は別にどうってことはなかった。循環器科の医者からは血糖値も下がっているから、現在二種類飲んでいる糖尿の薬のうち食前に飲む薬を減らしましょうと言われた。これは嬉しかった。

 今回はCTで輪切りにした私の身体を細かく説明してもらった。すい臓の切り取られてなくなった部分、胃と繋いでいる部分もなんとなく理解できた。画面に出てくる黒い影、白い影などについても説明を受けた。大動脈に少し白い影があるのは動脈硬化だという事だったが、小さいもので別にどうというものではなさそうだった。大動脈が大きなものだと初めて判った。

 気になっていたカリウムの数値は前回6.1 mEq/1 が5.2に下がっていた。(参考正常値=3.6〜5.1)数値がどんなものか医学に見識のない私にはさっぱり判らないが、以前ネットで調べたら7.5を超えると心臓が止まると書かれていた。まあ当分は止まらないのだろう。空腹にもかかわらず血糖値は119と高めだったがHbA1cもぎりぎり基準値内の6.1だった。
単純な私はすっかり元気を取り戻したが、かといって完全回復した訳ではないことは肝に銘じておかなければならない。

 今回は二つの科の受診をするので費用がかかるだろうと思い多めに持っていたのだが、それでも財布の中身が足りずにカードで支払うことになってしまった。


二学期が始まった

 暑い夏も終わり、二学期が始まった。今年の夏の暑さには参った。気温は私が子どもの頃と変わりはないだろうから、私の身体が気候について行けなくなったということだろう。
 息子夫婦が共稼ぎのために、夏休みの期間中、月曜日から金曜日まで孫がお昼に我が家に来ていたが、これでしばらく孫とも会えなくなった。

 同じ市内に住んでいるが、小学六年生ともなると孫はほとんど顔を見せることはなくなった。7月下旬久しぶりにやってきた孫は声変わりをして、私とそれほど変わらないほど背が伸びていた。今度冬休みに孫が来るときには、背丈は私よりも高くなっているかも知れない。ついこの前までオムツをしておしゃぶりをくわえていたと思っていた孫も来年春には中学生になる。私も歳を取るはずだ。

 いろいろと歳を感じる問題に気がついた。全てにおいて物事をこなすことがスローになってきた。根気がなくなり途中で投げ出すことが多くなった。取扱説明書を読んでも理解できないことが多くなってきた。人の名前がすぐに出てこない。大切な用件を忘れそうになる。あげればきりがないが、最近自覚したことの一つに握力の低下がある。血圧の関係でカップ麺は全く食べないようになったが、インスタント食品の中に入っているスープやフリカケ類の小さな袋を指で開けることが出来なくなった。たいてい目印として小さな切り目が入っているが、そこから開けようとしてもきれいに開けることができない。最終的にはハサミで開けるようになる。材質にもよるのだろうが、それを年の近い人に話すと、皆同じような経験があることが判った。私の指先の力がなくなったのだろう。

 それにしても9月1日の雨はすごかった。


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