心機一転

新・私の独り言


10月26日石鎚山に登った

今年は異常気象のために紅葉の色付きが良くないときいていた。


(参考・2010年10月12日)

 一昨年手術をして以来登りたかった石鎚山であったが、なかなかその機会に巡り会えなかった。今年の異常気象で、紅葉が気になっていたが、今年は色づきが悪いと聞いていた。天候の具合を見ながら今年の秋には是非登ってみようと考えていたが、10月も終わりが近づき気ばかり焦っていた。おまけに私の周囲で石鎚山に登ってきたという話を聞くと居ても立ってもいられなくなり、週間天気予報に従って10月26日の水曜日に登る計画をたてた。谷やンからきれいなかったぜー、とメールをもらったのが引き金になった。この予報がとんでもない食わせ物だった。おまけに私の大きな勘違いも手伝って散々な登山になってしまった。



この日の朝は確かに悪い天候ではなかった(スカイラインから)


これは2011年(平成23)10月20日同じ場所から撮ったもの。

石鎚スカイラインは冬期閉鎖になるのだが、私は11月から通行止めになるとばかり思っていた。天気予報では10月29,30日は晴れと言うことだったが週末で賑わいそうだった。月曜日から雨が続き、唯一水曜日が曇り時々晴れとなっていた。この日しか残されてないと思っていた。

朝4時に起床。これは時計の針を見誤ったためである。その時ふと2011年10月10日から始まった悪夢の数年間の出来事を思い出した。石鎚登山を計画していたあの日、夜中の2時頃に背中の痛みで目が覚めた。痛みはすぐに治まったが二度寝をして寝過ごすといけないので、そのまま夜中に車を走らせることにした。しかし市内を出てすぐに脇腹に激痛が起こった。引き返す途中で何事もなかったかのように収まり、石鎚登山に向かった。土小屋から登り初めて第一ベンチで休憩した時にまた、激痛が発生した。これは尋常な痛みではなかった。それより少し前に当時の民主党の小沢一郎さんが腎臓尿管結石で救急車のお世話になったという話が浮かんできた。(これについては以前にも書いたので以下省略)

この時計の針を見誤ったことに以前の出来事を思い出し少し不安を覚えたが、極端な時間の間違いではなかったのでそのまま予定を進めることにした。真っ暗な道を檮原に向かい、そこから地芳トンネルを経由して33号線に抜けると美川から面河に向かった。石鎚スカイラインを終点の土小屋に進めた。

約3kmもある(新)地芳トンネル


駐車場に着いたときはまだ山頂は見えており所々に青空も見えていた。8時20分に歩き始めた。歩き始めると周りは雲に囲まれ景色はほとんど見えなくなった。「かかと」と膝のサポーターを付けているので足の不安感はなかったが、途中で空腹を覚え始めた。

歩き始めの道。鳥海山以来、路面を意識するようになった。こんな道ばかりだと言うことはない。


思い出の第一ベンチ


第一ベンチから石鎚山方向を望む

2011年(平成23)10月20日の時

1963年(昭和38)7月・高校一年の時撮ったもの

2011年 カメラを寄せてみた

肉眼では見えないが山頂の神社が見える

リンドウはつぼみばかりで、この日見つけた唯一色付いていたもの。

これは以前撮ったもの。2011年には10月20日にはほとんど開花していた。

この日見つけた華やかな色。これ以外は霧の中だった。


色気をつけてみた

余りにもきれいな被写体がないので、三枚ほど以前のものを


この日は途中のコンビニで朝食用にサンドイッチを二個、昼食用におにぎりを二個買っていたが、駐車場で朝食のサンドイッチを食べたところ食欲がなく、昼食用のおにぎりを車の中に置いてきたことを悔やんだ。

これは鳥海山の時と同じパターンだと思った。空腹を覚えてから足が動かなくなってきた。どこかで何か口に入れようと思ったが、丁度落石注意の看板が目立つやっかいな場所である。なんとか安全と思われる道の脇で休憩をして非常食を食べた。道に近いために何人もの登山者が声をかけてきた。みっともないといえばみっともないが背に腹は代えられない。例によってゼリータイプとビスケットタイプのカロリーメイトを持参したものの半分を食べたのは10時頃だった。

食べ物を口にして少し元気が出てきた。
11時10分ようやく山頂に着いた。時間的には2011年に登った時とそれほど変わりはないが、疲労度はかなりのものだった。

山頂は霧に包まれ周囲は白一色であった。天狗岳などは全く見えない。実はこの私前回も前々回も天狗岳には行っていない。鎖を伝って山頂に登ったのも天狗岳に行ったのも2000年の秋が最後だった。

もともと高所恐怖症だったのだが、ある時から突然弥山(神社のある山頂)から細い尾根を伝って天狗岳に行くことが出来なくなった。今回天気が良ければ最後の天狗岳に行くつもりだったが、濃霧でその気力さえ消えてしまっていた。鎖もそうである。それまでは何も感じなかった。高校時代など重いザックを背負って鎖を登ることなど何の苦もなかったが、やはり加齢による体力の低下と言うことは何事にも現れていることを痛感した。


平日にもかかわらず山頂は大勢の登山者で賑わっていた。中には私よりはるかに高齢と思われる人の姿も見られた。みんな元気だ。寒くなってきたのでダウンジャケットを出して神社の周囲の広場の端っこに腰を下ろして昼食のサンドイッチとカロリーメイトの残りをほおばった。そのうち雨が降り始めてきたので私は退散することにした。

しかし不思議でならないのは山頂にあれほど居た登山者は一番下の鎖の横にある避難小屋をすぎると全く姿を見かけなくなったことである。西条側に下りたのだろうか。私は歩くのは遅い方である。下る途中土小屋方面から上がる数人の人とすれ違ったが、私を追い越してくる下りてくる人は誰もいなかった。山を下りながら鳥海山のことを思い出していた。今回の歩き方であれば鳥海山でも予定通りの時間で歩くことが出来たのだろう。私の身体の中の脂肪はラクダのコブのようにエネルギーを蓄えることは出来ないのだろう。


山頂も今回は色気が無いので過去のものを

こんなに混み合う時もあった。

この時は何処かの中学校が団体で登ってきた。(本当は判っているけれど……)
みんな嫌な顔をして礼儀知らずの子供達を見ている。早々に下山する登山者が続出した。
引率の教師の誰一人として子供達にマナーを教える人が居なかったのは情けなかった。


現在

木道が多いのもこの道の特徴だ。昔はそれほど気にならなかったが、歳を取りバランスが取りにくくなると結構苦手な道になった。

過去


2000年の秋を最後に私は鎖から登ることをやめた。鎖を登るだけでかなりの体力を消耗することが判ったからである。迂回路にはこのような鉄板の道が造られている。ここも少々怖ろしい道である。場合によっては身がすくむ時がある。

下りる途中少し膝が痛くなってきたが「バンテリン」のサポーターのおかげで何とか車のところまで帰り着く事が出来た。Tシャツは着替えを持っていたので車の中で乾いたものに着替えることが出来たが、その上に着るものが無い。仕方なくダウンジャケットを着て寒さをしのいだが、実はきちんと持ってきて助手席に置いていたのも気がつかず忘れていた。歩きながら食べようと思っていたドライフルーツも車の中に置いたままだった。まったく鳥海山の教訓が生かされていない馬鹿な私であった。外気温は15度。エアコンを付けると暖かい風が流れてきた。

もしかするとこれが私にとって最後の石鎚山になるかも知れないと思ったが、そうだとすると余りにも切ない。
体力を付けて次の登山では素晴らしい景色を見る為に、この日は霧と雨の洗礼を浴びせられたのかも知れない。そうだそう考えることにしよう。


おまけ


桑瀬峠

高校一年の夏の合宿で、西条の笹ヶ峰から石鎚縦走をしたことがあった。

今思うとキャプテンの坂本さんにこっそり写真を撮って頂いたことが貴重な思い出になる。


当時のザックはキャンバス製の横型だった。


瓶が森


瓶が森・背後は石鎚山


瓶が森・子持ち権現


不明


筒上山


二の鎖


天狗岳


堂が森


五代の判れで記念写真・皆げっそりと痩せていた


私らだけの秘密の場所・通称「グレートロック」背後は宇和島(今は誰も行かないだろうな)


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