心機一転

新・私の独り言


平成28年

3月の連休に岬巡りの旅をした

佐田岬


この灯台は最近国登録文化財になった

 春のお彼岸の三連休(私はほぼ毎日が連休であるが)齢70を目前に突然「岬巡り」の旅をすることにした。まあ天気が良かったので連チャンで出かけただけのことであるが。
3月17日は佐田岬に行った。この数週間前にも三崎までは出かけたが、そこから道は狭くなりなにやら工事をしていたので行くのをやめた。

早めの昼食を終えると八幡浜を経由して日本一長い半島を三崎に向かった。八幡浜の市内を抜けるといきなり自動車専用道路があり、保内までの一区間だけ完成していた。これは大洲までつながるようである。その為に大洲市内の肱川にかかる橋の拡張工事が行われている。
何も知らない人間が部分部分だけ見るとどれもとぎれとぎれのようであるが、全体を知っている立場の人から見ると流れが判るだろう。

保内から伊方に入る。かなり以前、まだ国道が整備されていなかった時に一度当時の三崎町まで車で走ったことがあったが、国道197号線は「行くな」と呼ばれていた不便な道路であった。
かなり昔のことなので細かくは覚えていないが、集落から次の集落に行くためには、曲がりくねった狭い道を上ったり下りたりしていた。畑の中の道を走っているとウサギが跳びだしてきた覚えがある。

夏に向けてキャンプ場の整備などが行われていた。
(写真は上も下も旧日本軍の要塞跡。)

岬の周辺には海流が渦巻き魚を狙った海鳥たちが群れていた。

もう少し時間が遅ければもっときれいな色になっていたかも

私が灯台にいた時佐賀関からのフェリーがやって来た。

三崎港まで併走したが。白い船がこれほどまでに美しいとは。


二車線の道路が出来たときは随分快適な道路だと感じていたが、今回走ってみると何か時代遅れの道だと思ってしまった。

所々に登坂車線が設けられてはいるが、それが短かったりカーブだったりする。また三崎港から駐車場までの道はほとんど狭い一車線の道ばかりで、私が初めて灯台を訪れた頃とそれほど変わりはないように思えた。ただ、道路工事は進んでいるようだ。


夕陽が豊後水道を染めるころまで居るつもりであったが、お腹が減ってきたので帰ることにした。帰る途中西予市でワラのマンモスのその後が気になり立ち寄ると、骨組みだけになっていた。

今年の冬にはマンモスの家族が増えるとか、もっと大きくなるとか、そんな夢があるのだが実現すると楽しみである。

室戸岬

3月18日朝6時半に家を出ると室戸岬を目指した。宇和島から行く場合、私の知っている道としては、梼原経由で須崎に出て高速に乗り、南国ICで国道55号線を通り、ひたすら東に進むしかない。

(横波スカイライン)


朝早かったことから時間的な余裕があるので、高速は使わず、須崎から横波スカイライン(今でもそう呼ぶのかどうかは不明)を走り、太平洋に沿って高知市を通過し、赤岡あたりで国道55号線に出る予定にした。
昔は横波は有料道路だった。横波に限らず足摺スカイライン、仁淀川にかかる仁淀川河口大橋、高知湾にかかる浦戸大橋も全て有料だった。
当時は車は所有しておらず、バイクでのツーリングばかりだった。車に比べると通行料金は安かったし、お金を払う分快適な環境ではあったが、貧乏人の私にとっては痛かった。

仁淀川の橋などは迂回することはほぼ不可能に近い状態だった。
県道14号線は南に雄大な太平洋を望み、今は黒潮ラインと名付けられた快適な道路であるが、生活道路となっているようで、朝夕のラッシュ時にはかなり混み合うような気がする。特に印象に残っているのは、連休時の桂浜近辺の大混雑である。それを体験してからは季節によって出来るだけ敬遠することにした。
この日は土曜日にもかかわらず至る所で道路工事が行われていた。年度末になると何時も同じ光景に出会う。


室戸市の手前で胃薬を持参することを忘れていた事に気がついた。スマホをこういう時に使うのは初めてだったが、薬屋を検索して国道沿いの店で「大正漢方胃腸薬」の小瓶を購入することができた。

市内を通過するときに少し道が混み合ったが、たいした渋滞もなく、11時過ぎに室戸岬の中岡慎太郎像の前の無料駐車場に車を入れた。

室戸市ではジオパークに決まったことで湧いていた(少しだけ)


まず食前の胃薬を飲んで、途中のコンビニで買ったサンドイッチをほおばった。
東に位置する室戸岬は西の足摺岬と対比されるが、灯台が断崖の上に建つ足摺岬に比べて、室戸岬はここだというポイントが判らない。灯台はあるのだが場所の関係で写真が撮りにくい。



私が室戸岬を初めて訪れたのは大学一年の夏だった。夏休みを利用して高校時代の友人たちと三人で交通機関を利用して四国一周を行った。室戸岬の海岸でテントを張って寝ていたら、二人乗りのバイクが道から落ちてきた。運転していた中年の男性はそれほどのダメージはなかったようだが、後ろに乗っていたらしい若い女性はどこかを打ったようで、しきりに痛がっていた。

私たちでバイクを道路まで運んだことは覚えているが、その後どうなったのか記憶がない。
ただこの二人は怪しい関係だと思った。


その時一緒にまわった友人たちは二人とも鬼籍に入ってしまった。

室戸岬は多分、点ではなく線の海岸だろうと思うが私が歩いたのはこの中岡慎太郎の像の周辺だけである。30年ほど前にも東京からバイクでやってきた友人と、この近くの旅館に泊まったことがあったが、この銅像をバックに写真を撮った覚えがある。



太平洋を見つめる中岡慎太郎

嘘か誠か知らないが、有名な桂浜の坂本龍馬像を中にして東にこの中岡慎太郎像、西に足摺岬のジョン万次郎像があるが、高知県全体を考えたレイアウトだとか。
九州から高知県に移住したある人から、高知県の人は太平洋を見て暮らしているので話が合わないと聞いたことがある。

足摺岬

連休も最後の日になった。一週間ほど前に足摺岬に行こうと大月町まで行ったが、天候が悪くなったので国道321号線が太平洋に出たところで引き返した。
20日はあまり天候は良くなかったが、雨の心配はなさそうだったので、早朝家を出た。前回引き返した場所に着いたのは午前9時半頃だった。

(月山神社へは海岸から一度上がりこのような小高い峠を越えていく)


この日は岬巡り最後の旅として行ってみたいところが二つあった。この大月町にある「月山神社」というところと、四万十市中村から徳島市を結ぶ国道439号線であった。国道321号線が大月町の市街地を抜けて太平洋に出るところに「月山神社」と道路案内板がある。足摺岬に向かう度にこれが目に入る。私は出羽三山の一つ「月山神社」と何か関係があるのではないかと考えていた。
しかし、山形県の月山は「ガッサン」と読むが、大月町の神社は「ツキヤマ」と読むことがこの日初めて判った。山形県の月山神社とは全く無関係である事が判った。

もとは「守月山月光院南照寺」と呼ばれ、神仏混合の霊場でしたが、明治以来「月山神社」と改称されました。  
月山の名は、神社のご神体が三日月形の石であり、また月弓大神を祭祀したことによって名付けられたことが起源とされています。
大月の海の護り神として、また四国八十八ヵ所番外札所として、参拝客が絶えません。

かつて月山神社は守月山月光院南照寺という修験の寺であり四国八十八カ所番外札所とされていた。明治初頭の廃仏毀釈により寺は大師堂に転用され現在に至っている。
堂の建築は、月山神社に残る古文書等によると、安政五年(1858)頃と推定される。
宝形造りで像頭木鼻、蟇股の彫刻も優美で、斗○を密に配置し均整の取れた建築物である。
天井には、広瀬友竹(絵金)、河田小龍、宮田洞雪の他、幕末維新期の土佐を代表する絵師たちの天井絵が奉納されている。

海岸の道路は今でこそ「足摺サニーロード」という名前がついた二車線の快適な道だが、私がバイクで足摺岬に行き始めた頃はこの道もひどい道だった。宿毛から観光スポット竜串に行く道はこの道路とは別に山の中を通る県道がある。昔は分岐点で「今日はどっちのルートににしようか」とどちらのルートを選んでも大差ない狭い道だった。ところがいつの間にか「足摺サニーロード」と名付けられ、道路はどんどん工事が進み、今では海岸を走るルートしか考えられなくなった。

このような現象は土佐清水市から足摺岬に行く道でも見られた。昔からずっと「足摺スカイライン」が良い道だと思っていた。この日初めて海岸の道が改良されて広くてカーブの少なく時間も短縮出来る道だと判った。足摺岬は小さな半島になっている。その真ん中に造られた足摺スカイラインしか無いと思っていた。ところが土佐清水市の市街地を抜けて信号待ちをしていると、スカイラインの入り口には「唐人駄場」という案内しかなく、海岸方面の道に「足摺岬」「近道」とかかれた案内板があった。
それを信じて進むとあっという間に足摺岬に着いた。


汗がにくい!

足摺岬にある38番札所金剛福寺

国道439号線(よさく=与作)を走る

足摺岬からの帰りは灯台から時計の逆回りで四万十市中村に着いた。四万十川べりの広場に車を停め昼食のサンドイッチを食べた。
国道439号線を走り、大正にでて帰ろうと家を出る時から決めてはいたが、酷道439(与作・よさく)と言われるほどの難道でもある。439はは広い道もあれば、これが国道?と驚く劣悪な道もあるし、少しためらったが、予定通り439を通ることにした。

ここでは「大型車通行注意」とあるが、「通行不可」と書かれたものもあった。

国道439号線は時々テレビのバライティー番組などでも取り上げられている。
この日山中ですれ違ったのは自転車に乗った人ただ一人だった。それはそれで離合の困難から解放され嬉しいが実に人寂しさを覚える道だった。
大正から早明浦まではとびとびに昔バイクで走ったことがあった。こんな山の中にと思うほど立派な道路もあれば、けものみちに近い狭い道もあった。津野町や仁淀町では道路の拡張工事が行われているが、おそらくこの杓子坂の道は拡張されることはないだろうと思う。

一人なのであまり写真を撮る機会がなかった。


動画約1分

山の中で出会った唯一の人類


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