心機一転

新・私の独り言


宇和島市民ミュージカルと宇和島高等女学校

 2016年4月3日(日)南予文化会館において第5回宇和島市民ミュージカルが開催される。関係者のご承諾を得てパンフレットを貼っておく。いずれもクリックすると大きな画面になる。


 このミュージカルの関係者からある時宇和島高等女学校の制服のことで問い合わせを受けたのが発端になり、寝たきりの母親のアルバムを探し始めた。母は大正15年3月の生まれで、女学校の卒業生である。認知症も手伝って昔のことなど覚えている訳がない。

 アルバムを探すためには、母がこれまで保存していたゴミの山の片づけから始まった。この時代の人間の特性なのか包装紙をあちこちに保存していた。ボール箱一杯の割り箸も出てきた。あれこれ捜すうちになんとかアルバムを発見した。

 今から考えると結構面白い写真が出てきた。昭和13年と書かれた日記帳はおそらく母が入学した時のものだろう。身内といえども中身は読んでいない。学校に提出するものだったのだろう。


 

まだ太平洋戦争には入っていないが、すでに大陸では戦争に突入していた。

学校の近くで撮ったものだと思われる。

面白いと思ったのは、まず、セーラー服の上着の丈が短いことである。これが本来のセーラー服なのだろう。何人かの生徒はランドセルを背負っている。このランドセルは布製だと母と同級生で元気な人から聞いた。

足下に目を向けると、ズック靴、下駄、草履とまちまちである。

物に恵まれた今の子供たちには想像出来ないだろう。

これは誰が何のために撮ったものか判らないが、授業の一コマだろう。

母は弓道部だったようだ。

以下保存状態の良いものを幾つかピックアップする。

当然ながら、写っている人は仮に存命していても90歳前後のはず。

個人を特定できないだろうと思ってアップした。

実に健康的な人

胸のバッジと右下のタムラ写真館のエンボスが珍しい

夏の制服なのだろうか。ベルトのバックルが仰々しい。

おそらく写真館のスタジオで撮ったものだろう。

断っておくが、うちの母親の写真はここにはない。

どこのどなたか判らないが、昭和13年から16年の間に宇和島高等女学校でこのような人たちが学んでいた証左を残しておきたいというのが私の気持ちである。

小学校を出るとすぐに働く人の多かった時代、この人たちは恵まれた環境だったと思われる。


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