新・地名考・2 「網代」騒動記


網代騒動記

 網代騒動と言っても別に漁民一揆がおこった訳ではない。角川地

名大辞典・愛媛県を見ていて不思議なことに気が付いた。


 後日宇和島の小字をまとめて掲載する予定であるが、本に載せ

られている宇和島地方の小字名を拾いおこしている時にはっと気

が付いたことがあった。頭から「網代」(アジロ)だと思っていたが、

よく見ると「網」(アミ)のはずの文字が「綱」(ツナ)になっているので

ある。これは不思議だった。最初は私の眼が悪いので読み間違え

ではないかと思った。

 拡大鏡で調べたがやはり綱になっていた。平浦に横網代という小

字があるのだが何度見直しても横綱代である。同辞典では宇和島

以外の小字名ではどれも正しく網代と書かれているのでなおさら気

になった。

 気になると眠れない性格である。思い切って角川書店に問い合わ

せてみることにした。

 奥付は昭和56年10月8日の発行となっている。1981年だから

30年以上も昔になる。はたして私の疑問に答えてくれるだろうかと

気になった。まず奥付に書かれてある番号に電話をした。「この電

話は現在使われておりません。番号をお確かめになっておかけくだ

さい」とメッセージが流れた。よく見たらまだ三桁の局番だった。東

京はいつの間にか四桁になっている。ネットで角川書店を調べると

角川ホールディングスとなっていた。業種も増えている。書籍という

ところから見当をつけて電話をしてみた。さすが立派な会社であ

る。田舎ものの電話にもきちんと丁寧に応対してくれた。しかし私が

電話した先はコミック関係で別な番号を紹介してくれた。そこに再

度電話をかけ直した。大代表なので用件を告げると担当の部署に

電話を回してもらった。そこでさらに地名大辞典の担当者に回して

もらったのだが、あいにく席を外しているとのことでこちらの連絡先

を聞かれた。

 連絡先を言い、手間を省くために私の質問事項を告げておいた。

しばらくして電話が鳴った。私の用件はすでに伝わっていたらしく、

宇和島の小字の頁を見ていたらしい。その中にも一カ所きちんと網

代と書かれている事があることも教えてもらった。言われた頁には

間違いなく網代と書かれた文字があったが、私が気が付いた綱代

に関しては先方もおかしいですね、と言うことだった。おそらくこの

原稿の執筆者も現在存命しているかどうか不明なので確認の仕様

がないけれど、手書きの資料を参考にしているために文字が判明

出来にくいか、そのように(綱代)書かれていたのではないでしょう

か。という話だった。日本各地の地名は全て現地の執筆者にお願

いしているので、それ以上のことは判らないし、はたして現在ご存

命かどうかも不明という事だった。

 しかしさすが天下の角川書店である。田舎者の質問にも丁寧に

応対してくれた。新人物往来社でも同じような対応をしてくれるだろ

うか、などと思ったりもした。

 地元のことはやはり地元に聞いた方が賢明だと思い、市の教育

委員会文化課のN氏に問い合わせると、しばらくして返事をもらっ

た。発端となった平浦の横網代はやはり横網代で間違いなかった

らしい。江戸時代の地図にの文字はイトヘンにエンガマエの中にカ

タカナのメと略字で書かれているものがあり、他の網代も同様に書

かれているとの連絡をもらった。ようやく謎が解けた。

 重箱の隅をつつくようだと思われるかも知れないが、気に掛かる

ことはきちんとしたいのが本来の性分なのである。

 これに似たような話で、保内町出身で宇和島中学では芝不器男

(しば・ふきお)の1年先輩になる新興俳句の雄、富沢赤黄男(とみ

ざわ・かきお)の姓がウカンムリの富なのかワカンムリの冨なのか

随分迷ったことがあった。

 結論として戸籍上の姓は冨沢で、作品を発表するときの姓は富

沢であるらしいことが判った。小平霊園にある彼の墓碑には冨沢と

あるのを写真で見た。

 聞けば徳富蘆花と徳富蘇峰もどちらかがワカンムリらしい。これ

は兄弟が不仲になり、片方が変えたとも聞いた。本当に日本語は

やっかいなことがある。ずっと以前に愛媛県知事だった白石春樹

氏も石に点がついていたような気がする。

はじめに   1 駄場 2 網代騒動記  3 宇和島について 4 宇和郡について 5 三間について

6 葛川の謎



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