新・地名考・4 「三間」について


三間について

 三間町誌によると三間の語源は

@ 水沼(みぬま)説 太古水沼であったという説

  太古の時代、この地方は広い地域にわたり水沼であった。

A 水沼別(みぬまわけ)説 

 「日本書紀」によれば国乳別皇子は水沼別の祖でもあると記され

  ており「みま」はこの水沼別より転化したもの。

B 任那(みまな)説

  朝鮮半島にあった任那の出先機関として任那日本府が置かれ

  ていたがその違民が三間地方にも来て冶金の術を伝えたとも

  いい、任那が転じて「みま」となったと考えられなくもない。

 と三つの説を上げている。うち、湖沼説が主に言われているが、

その他に

C ヘビ信仰説が武光誠と堀内統義の著書に書かれている。

  平成25年の干支が「巳」であることから、それについて述べて

  みたい。

武光誠著「地名から歴史を読む方法」より


◎いっけんわかりにくいヘビにまつわる地名

 (前略)大国主命信仰などのヘビ信仰にまつわる地名として、

(ナガ)、宇賀(ウカ)、美馬(ミヌマ)が知られる。さらに「竜」の文

字の字をふくむものも、ヘビ信仰にかかわるものとみてよい。古代

人は毒のあるマムシを恐れていたので、ヘビをあらわす「巳(ミ)」

や蛇(ヘミ)(古代語「ヘミ」がのちに「「ヘビ」と訛る)を嫌った。

 そのため、巳や蛇のつく地名をつくらず、別の語でヘビをあらわ

したのである。「長」は、ヘビが長いことからできた語で、それが

「那珂(なか)」「那賀(なか)」に変わる。古代の石見、阿波、日向、

紀伊に那珂郡(那賀郡)が見られる。この中の阿波のものは長国

造(ながのくにのみやつこ)の領域をもとにつくられたものである。

 紀伊の那賀郡の地名だけは、現代にも受け継がれ、和歌山県

那賀(なが)町になっている。

 宇賀は、ウミヘビをあらわす古代語「ウガ」からつくられたもの

で、また、美馬は、蛇神をあらわす古語「ミヅチ」から転じた地名で

ある。

(67〜68頁)

堀内統義著「愛媛の地名」より


(前略)谷川健一さん(管理人注・民俗学者、地名学者、作家、歌人)の考

えを援用、引用しながら紹介してみよう。

 氏は、仁徳天皇の子である「反正天皇」を『日本書紀』が、多遅

比瑞歯別天皇(たじひみつはわけの・すめらみこと)と称したことに

注目している。「瑞歯」は、生まれてすぐ生える歯のこと。蝮(まむ

し)は卵胎生であるため、民間では母親の胎を食いやぶって生ま

れると伝えられている。毒牙を持っていることから、生まれながら

に歯を備えていると信じられていて、それが「瑞歯」をもって生まれ

た反正天皇の伝承となったと想像する。「タジ」または「タジヒ」はも

ともと蝮のことをさしている。

 『古事記』には「天皇、御身の長さ九尺二寸半、御歯の長さ一

寸、広さ二分、上下等しくととのひて、すでに珠を貫けるがごとくな

りき」と記されている。谷川さんは、この記述を。朝鮮、十三世紀

の史書『三国遺事』における新羅第四代脱解王死亡の叙述に「歯

の骨がつながって一つのようになっているのは、いわゆる天下無

敵の力士の骨だ」とあることと照らし合わせている。つまり「瑞歯

(みつは)」は、生まれながらの豪傑、まさしく瑞兆をもった歯を意

味しているというのだ。

 そして『古事記』では「水歯別命」と表記されている。

 これは水神の●象女(みつはのめ)のミツハを連想させる。ミは

水、ツは助詞で、ハは蛇の古語ハハに出来し、ミツハは水の蛇で

あり、ミツハはミヌマと呼称が変化するが同一神だと、谷川さんは

指摘する。

 氏は折口信夫が『大和物語』の

ぬばたまのわが黒髪は白川のみつはくむまで老いにかるかな

 という歌を引用して、「みつは」は瑞歯含むの瑞歯であって、もと

もと「みつはの女神」の若返りの水に関連した修辞が、平安時代

にもちこしてわからなくなったのを、習慣的に使ったまでであろうと

紹介している。

 折口信夫が、丹波のわなさ翁、媼も同様に「みぬま」の信仰と物

語を説いてまわった神部の総名であったにちがいないといい、更

にそれは阿波から持ちこされた「おほげつひめ」であり、おほげつ

ひめは粟の神であるから、阿波の女神と考えて差し支えなく、阿

波の美馬郡はそこから来ているだろうと推測している。

 さらに、「多遅比瑞歯別」の誕生にあたって、湯をそそいだ蝮(た

じひ)の壬部(みぶっべ)は、女性の竜であるミヌマが皇子に水を

かけてその健康と長寿を祈念する役割を代行したことになるが、

それは竜神のかけた水を浴びると若返るという信仰があったから

で、その根底には、水中の蛇類を族霊とする古来の海人の信仰

が流れていることは確かなのだと、谷川さんは主張する。

 この信仰は、倭の水人たちの根拠地「筑紫」からはじまってい

る。

  筑紫の水沼君(みぬまのきみ)は、水底に住む蛇身の女神を

斎(いつ)き祀る巫女。宗像、安曇など九州の海人族が東へ移動

して、阿波、淡路を中心として活動するようになると、水の神を祀

る信仰もそれに伴って東上したのだ。

 そうした海人族の到来が、九州に近い伊予西南部の地域に「三

間」の地名を残したと考えて少しは不思議ではないだろう。

79〜81頁

●は網のイトヘンのないもの。

由来に複数の説があるものは中々判りにくいが、私は信仰説より

は以前にすでに地名はあったのではないだろうかと思う。だとすれ

ばやはり「沼」説が有力ではないかと思うのだが、平成25年は巳

年である。それに因んでこの「三間」の地名を取り平上げてみた。

武光の著書では南予の三間を特定しているものではない。

引用した二つの書籍は何れも文庫本サイズであるが、それぞれ20

0」頁以上の厚さがある。以前原稿台を買ったのであるが例によっ

ていざ使おうと思うと見あたらない。左手で本を開いては右手だけ

で文字を打ち込む作業のなんと面倒だったことか。単語一つ一つ

を確認しながら打った。気合いをいれて取りかかったのだが、始め

てから完了するまでに約一ヶ月は経過してしまった。

以下工事中


はじめに  1 駄場 2 網代騒動記  3 宇和島について 4 宇和郡について 4 三間について

5 葛川の謎


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